第7話:誰でもない男
(誰だ……? ここの原住民か? 見た目は完全に地球人だが、俺らみたいに迷い込んだにしては、この未知のジャングルで妙に落ち着いているような……)
「……ここに、俺以外の人間がいたとは」
そう呟いたのは晃生ではなく、謎の男だった。
この死の危険が潜むジャングルにいながら冷たく、そして静かな声だ。
ぱっと見の歳は晃生達と近そうだが、背は185cm以上ある。長身、細身でスタイルの良い男だ。
ボロいフードを被っていてよく見えないが、やや癖のあるアッシュグレーの髪の隙間から覗く眼は地球ではあり得ない金色をしている。
古代中国では妖魔や異人種のものと考えられていた『悪魔の眼』だが、金色と言っても琥珀とはまた違う装飾品のような白色金で、まるでうっすらと光を放っているかのように綺麗な瞳だ。
その何処か危うさを孕むミステリアスな雰囲気が晃生を警戒させる。
(こいつも、体内に粒子を持ってるな。俺や木乃香よりも圧倒的に多い……)
「……誰だ? ここは危ないぞ。って言ってもその謎粒子エネルギーを持ってるなら大丈夫か」
違和感はある……が、仮にこの世界にも自分達と同じ姿をした人間がいるとしても、こんなジャングルの奥地に1人でいるのはおかしい。そのため、やはりゲートを通って迷い込んだ人間だろうと声を掛ける晃生。
「……粒子……? 魔力のことか?」
謎の男は落ち着いた様子で会話に応じてきた。
「魔力……って言うのか、これ」
「確か……そんな気がする」
(……気がする……?)
「で、結局誰なんだ? ここで何してる?」
疑問に答えてもらった手前、警戒心を露骨に態度に出したりはしない晃生だが、言葉の一部が引っ掛かり、やや口調の強い問いかけになってしまう。
「誰……と言われても、分からない」
「分からない……?」
「気付いたらここに居て、もう1年になる」
(……記憶喪失ってことか? 1年前にも地球のどこかであのゲートが開いていて、その時この世界に迷い込んだ……?)
「1年……」
この危険な世界に1年も閉じ込められる恐怖を想像し、木乃香が同情の念を込めて呟く。
「ここで暮らしてるってのか……1年も、1人で?」
「1人じゃない」
「……でもさっき、自分以外の人間は初めて見た的なこと言ってただろ」
「人間はな。こいつらが一緒なんだ」
男がそう言うと、巨岩の後ろや木々の裏側に隠れていたモンスター達が姿を現した。
まずは、スライム。一般的なイメージ通りの青色、というよりは白に近い半透明の澄んだ水そのもののようなスライムが多く、他には加工した黒曜石のように黒いスライムが2〜3割を占めている。後はさらに希少で、黄玉のように綺麗な黄金のスライムが1匹だけ隅の方に見て取れる。
大きさはバレーボール程だが多少の個体差があり、ぽよぽよと形を変えながら器用に動き回っている。
「かわいーっ! なにこの生き物!」
木乃香はスライムの圧倒的小動物感に釘付けだが、晃生は別のモンスターに目を奪われていた。
——ヒト型爬虫類。
それはChitauriとも呼び、ヒトに擬態し進化した異星人のことを指すため語弊があるが、そのもう1つの別名は、リザードマン。
だがトカゲとはいえ、見た目的にはむしろゴブリンの方がトカゲ人間という外観だった。コイツは言うなれば鰐人間。
背中側や腕の外側にはそれこそ鰐のような鱗板骨による凹凸があり、外皮はそれなりの硬度を持っている。人間で言う尾骨の辺りからは太い尻尾が生え、身長は平均2m程度と群れ全体が晃生よりデカい。
黄色い眼球の中、黒目の部分である縦長の角膜を晃生に向けている。
(ホブゴブリンとは別の意味で、ゴブリンの上位種って感じだな……)
爬虫類から2足歩行への進化形。この種族もゴブリンと同様、亜人と呼ぶべき存在だった。
そしてもう1種は——オーク。
こっちは言わば猪人間で、下顎から上向きの長い牙が生えているのが特徴だ。その他は鬼のような野生の大男と言った風情で、体格はリザードマンよりもさらにもう一回りデカい。
肥大した筋肉が分厚い皮膚に覆われていて、こちらも結構な戦闘力がありそうだ。
それぞれ50匹程の群れが集合しており、1匹ずつ、おそらく群れの長と思われる他より明らかに強そうな個体が紛れている。
スライムだけは上位個体がいるかどうか判断出来ないが、強いて言えば金色のスライムが希少種っぽい。そしてスライム全体の総数は100匹を軽く超えており、最も多い群れを形成している。
男の指示を理解していた様子から見て、総じて知能が高そうだ。
だが晃生が目を奪われたのは巨岩の後ろから小さい翼で飛んで現れ、男の頭の上に乗った小さめの魔物。
「うおおおっ、そ、その頭に乗ってるの、ドラゴンか……? かっけぇぇッ」
木乃香はスライム、晃生は幼体のドラゴンと、2人ともファンタジー感溢れる生物達に大盛り上がり。男に懐いているのを見て警戒心はどこかへ消えたようだ。
その反応を見た男もフッと小さく苦笑いし、
「撫でてみるか?」
そう言って巨大な岩から地面に降り立つ。
魔物達は晃生達の会話をしっかり理解できているようで、ドラゴンは晃生の肩に飛び移り、スライムは木乃香の脚に擦り寄った。
「良いのか? おお、これが龍の鱗か。子供なのにめちゃくちゃ硬いな。金属みたいだ」
「この子はすごいぽよぽよー。冷たくて気持ちいいよー」
和む空気の中、晃生は猫にやるようにドラゴンの顎の下をゴロゴロと撫でると、大人しかったドラゴンが急に暴れ出し、ゴォォォォオオオッと口から火炎放射のような炎を吐く。
「うッ、熱っつぁぁぁぁああ!」
ガソリンを被った訳でもないのに、晃生に燃え移った炎は異常なほど燃え上がり続ける。
「晃生君!」
木乃香が慌てる中、男が目線で指示するとスライムがキュッと鳴いて周囲の空間にどこからともなく水を生み出す。さらに男が手を翳した先でも水の塊が生まれ、同時に火だるまとなっている晃生へと放出する。
相当な温度だったのか、炎の規模からは考えられない程の水蒸気が発生し、ジュァァァァアアアアッと視界を白く埋め尽くした。
その熱気で木乃香達が火傷しないように燃えながらも遠ざかる晃生と、放水圧を強めて蒸気の吹き返しを防ぐ男のおかげで何とか事なきを得て、消化された晃生はすぐに超回復を発動する。
「フゥー、助かった」
火傷の痕一つ無くなった晃生だったが、ただでさえゴブリン達にボロボロにされていた制服が見るも無惨に焼け落ちてしまった。
しかしそこで晃生は回復能力を制服に意識を向けて使ってみると、ちゃんと新品同様に修復された。
(おお、やってみれば出来るもんだな)
「……すごい回復力だな。悪い。逆鱗に触れると俺でも噛み付かれる」
「いや、大丈夫だ。こっちこそ悪かった。小さいのに強力な兵隊だな」
「まあな。最初は俺も戦って仲良くなった」
(俺の時も出会い頭に火を吐いてきたな……)
男は自分がドラゴンの子供に出会った時の事を思い出し、苦笑いを浮かべた。
「お前は魔物を仲間に出来るのか?」
「俺には魔物の声が聴こえるだけだ」
「良い能力だな。お前の……あ、そう言えば、自分の名前は? それも覚えてないのか?」
「……ああ、最初に言ったろ。誰と聞かれても分からない」
「じゃあ、名前決めよう。名前がないんじゃ呼びづらいだろ」
「今までは直接話せる相手がいなかったから俺のは必要なかったんだよ。まあ、好きに呼んでくれ」
「んー、天音さん、なんかアイデアないか?」
「私? えーっと……じゃあライアンっていうのは? 小さな王って意味らしいんだけど、彼、この子達の王様みたいでピッタリじゃないかな?」
「おお、良いじゃん。それなら、ジャック・ライアンってのはどうだ。ジャックは誰でもあり、誰でもない。何も覚えてないなら、これからどんな人間にでもなれる。良い名前じゃないか?」
晃生と木乃香が意見を出し合って決めた名前に、男も不満はないような顔をし、
(誰でもあり、誰でもない、か……)
「ああ。これからはそう呼んでくれ」
そう言って晃生に手を差し出した。
「お前とは、友人になれる気がする」
晃生もすぐに手を握り、強い握手を交わす。
「俺もだ。よろしくジャック。俺は中川晃生。晃生って呼んでくれ」
「ああ、よろしく晃生。そっちは?」
「私は天音木乃香だよ。よろしく、ジャック君」
「ああ、よろしく」
「ねっ、このスライムちゃんにも名前付けて良い? この金色の子、可愛過ぎるよ〜!」
「ああ……別に良いが……」
木乃香の激しく萌えたような圧に若干引き気味のジャックが承諾する。
「俺のことも助けてくれたしな」
さっきドラゴンに燃やされた時に水をかけてくれたこともあり、晃生も一緒になって考える。
「スライムだからラムちゃんっていうのは安直過ぎかな……」
「いや、俺も同じ名前考えてた。ホワイトラム、ダークラム、ゴールドラムでラム酒の色と被ってるし。海賊が飲む酒ってイメージでカッコいいし」
「めっちゃ良いじゃん! 晃生君お酒詳しいね。呑んでるの?」
「呑んでないって……父さんが好きだから覚えただけだ」
そんな話をしてると、金色のスライムが晃生と木乃香の傍に寄ってきて「キュゥッ」と鳴いた。
「気に入ったみたいだ。良かったなラム」
魔物と意思疎通が出来るジャックもスライム自身が気に入ったことでラムという名前を認め、ゴールドスライムを撫でてやっている。
(初めは無愛想だったけど、魔物に対しては優しいのか……でもまさかこんな所で友達ができるなんてな。とは言え……)
「なあジャック。俺らはここに迷い込んだ時に通ったゲートから元の世界に戻るところだったんだけど、一緒に行こう。地球に戻ったら何か思い出すかもしれないし」
「ゲート……?」
「あ、そう言えばジャック君の事聞いてばっかりで、私たちのこと話してなかったね」
「そうだった……でも俺らもよく分かってないんだよ。空間の穴みたいなものを偶然通って、気付いたらこのジャングルにいたんだ」
「空間の穴……」
「知ってるのか? あのワームホールみたいな現象」
「いや、なんとなく、何かを思い出せそうな……」
まるで記憶に靄がかけられているように、過去を想起できないジャックが額に手をやる。
「まあ、実際にゲートを通って地球に帰ってみれば何か思い出すんじゃないか?」
「……ああ、そうだな。そのゲートってやつの所に案内してくれ」
「ああ、こっちだ」
この巨岩の場所からゲートまでは崖に沿っていけば着ける為、木乃香の嗅覚に頼らずジャックに促された晃生が先頭を歩き始める。
だが少し歩き、晃生が最初のゴブリンを仕留めた場所に通りかかった時、異様な光景が飛び込んでくる。
そこでは——ゴブリンの死体が大木の根に絡め取られていたのだ。
不審に思った晃生がそこへ近付いていき、ゴブリンの状態を確認する。
(このゴブリン……首を絞めた跡がある。間違いなく俺が倒した個体だ。けどこの死体、こんな木の根元にはなかったはずなのに……木が歩いたとでも言うのかよ……)
「これ、お前らがやったのか……?」
「あ、ああ。ゴブリンなら、喰われかけたから何とか返り討ちに……でもさっきはこんな木に呑まれてなんて無かったのに……ってか、まさかこのゴブリンもジャックの友達だったとかじゃないよな……? 不自然なほど凶暴な生物だったけど……」
もしさっきのリザードマンやオークのようにこのゴブリン達がジャックの仲間だったならと不安になり、晃生が尋ねる。
「ああ、それはない。ただ、お前らに会う少し前に、近くで爆発的な魔力の波動を感じて気になっていた。コイツらが何か関係してるのかも知れない」
(魔力の波動……? 俺が魔力に適合した瞬間か、それともゲートが出現するときにそういう爆発が起こるのか……?)
この世界に来て、分からないことばかりが増えていく。だがそれは今考えても仕方がないことだ。晃生もそう思い、考えながらもゲートに向かって歩を進める。
「……なあジャック、なら何であそこに座って空なんか見てたんだ?」
「さあ。でも何か、懐かしい感じがしてな」
(懐かしい……?)
晃生が歩きながらも気になったことを聞いていると、匂いでゲートの位置が分かる木乃香が立ち止まる。
「晃生君……ジャック君……ここが、ゲートのあった場所だよ……」
「——え?」
会話を中断した晃生が周囲を見回すが——ゲートはどこにも見当たらなかった。