第60話:ディープ・ブルー
「これ……今度こそドラゴンか……!?」
「ええ、蛟龍と呼ばれる種ね」
海中から突如出現したそれは、翼を持つドラゴンとは違って蛇のように多くの脊椎骨と長い胴体を持つ骨格構造の龍。
だが蛇とは違ってサメのような歯がギラつく頭部は翼竜よりも大きく、直立して鎌首をもたげる胴体前部から下は水面下に隠れていて全長はどれ程になるのか想像もつかない。
深海の水圧にも耐える為か、体表の多くは蒼玉のように青く輝く硬質の鱗で覆われており、太陽光を乱反射させて煌めいている。
(綺麗な龍だな……)
個体名を付けるなら、蒼玉龍といったところか。
鰐や夜行性の蛇と同じような縦長の瞳孔は晃生達と、そして太陽を一瞥した後に翼竜へと向けられた。そしてアルバドロスの首に咬み付き、また派手な水飛沫を上げながらその巨体を海中へと引き摺り込んでいった。
「……今のも討伐対象ですか……?」
「いいえ。警戒リストには目を通しているけど、おそらく未確認の個体ね。日々モンスターを討伐している陸上と違って、海洋生態系は魔素の影響を受けたまま独自の進化を遂げているの。異世界からの外来種や魔素による変異種が多すぎて、特に深海なんかは完全に未知の世界ね」
「海中であんなのを狩るなんて、それこそ貴女くらいしか出来ないですね」
「狩る必要はないわ。これはこれで新しい生態系のバランスが保たれているのよ。だから被害がでて依頼されたモンスター以外は逆に狩ることで生態系の破壊に繋がるから、気を付けてね」
「へぇ……けど貴女の能力なら——」
「ねぇ、いつまで私のことをあなたって呼ぶのかしら?」
「え……あ、亜凰、さん……?」
「亜凰でいいわ。敬語も要らない。私が認めた男だし、本来堅苦しいのは苦手なの」
「あー、じゃあ、あ、亜凰」
「ええ。何かしら」
「えっと……亜凰の能力なら海中でも自在に移動出来るんじゃないか?」
「確かに、斥力で海水を押し退けながら引力で飛ぶように動けるけど、そうね……水の密度をおよそ997kg/m³、重量加速度9.81m/s²として、水深が1m深くなるごとに約10,000Paの水圧を受けることになる。日本海の最深部は3796m。つまり海底では4千万Pa近い圧力に耐え続ければならない。となると……多分、水深の浅い部分でしか無理ね。深海に居続けてると私の魔力でも数分で限界がくるわ」
(……つまり魔力があれば深海でも行けるってことか……面白そうだな)
「俺が魔力を回復させてればどうだ?」
「……深海に行く気?」
「未知の世界って言われたら気になるだろ。先生が連れ出して授業サボらせたんだから、最後まで付き合って下さいよ」
最後だけまた敬語に戻してイタズラっぽく言った晃生に、亜凰がくすっと笑う。
「悪い子ね」
「子って……歳4つくらいしか違わないでしょ」
「晃生君には何となく、お姉さんぶりたくなるのよ」
「な、なんですかそれ」
「敬語はなしよ。はい手握って。私から離れたら圧死してしまうから」
「分かりまし……分かった」
互いに手を握り、ふわっと浮いた2人の体は砂浜から海上へと移動し、ゆっくりと海の中へ入っていく。
亜凰を中心として発生された半径4mの斥力場が海水を押し出し、晃生達は空気を含んだ球形のバリアの中で完全に水中へと沈む。
水面下に現れたそこは、まさに海中の楽園だった。
どんな魚類のモンスターが襲ってくるかと身構えていた晃生達は色とりどりの熱帯魚に迎えられ、その光景に言葉を失う。
鮮やかな濃い青色のコバルトブルーラミジレィ、純白の体色で長い背びれと尾びれを優雅に漂わせるプラチナエンゼルフィッシュ、派手な赤一色で目を引く、人工的に生み出された種で野生には存在しないはずのパロットファイヤー、発色の良いブルーメタリックのネオンドワーフグラミー、深みのある単色系のロイヤルブルーが美しいベタ・ハーフムーン、青と赤が絡み合うような縦縞模様を見せつけるように悠々と泳ぐ熱帯魚の王様、ブリリアントターコイズディスカス。
「綺麗だ……」
何故ここにこんな魚がいるのか。晃生の頭に一瞬浮かんだ疑問も消し飛ぶほどに、心を奪われてしまう光景だった。
時期もあるが、本来熱帯魚が東北の日本海側で見られる筈がない。
ギリギリだが北緯40度以北のビーチから沖に向かって進んでいる今、そこは黒潮と台湾暖流が混ざり合って九州西方沖から流入する対馬暖流も冷やされて届かない、リマン寒流の領域。
晃生達が海中に潜ってからバリア内で感じている気温の低下も、シベリア南東部沿岸を南下する寒流から伝わった冷気によるものだ。
まあ晃生の能力で体温の低下も回復出来るから体表面で冷気を感じる以上の影響はないが。
「てか、そういやなんでこんな所に熱帯魚がいるんだ……?」
(熱帯魚を飼う時の水槽の温度って、26℃とかが多いんじゃなかったっけ?)
「魔素に適応して強化された魚は生息域を大幅に変えているの。これまでの生態分布や活動時期は全く当てにならないわよ」
「マジか……」
さらに沖へと進んでいくと、頭上の海面ではバンドウイルカの群れが戯れており、水中では飛ぶように泳ぐ2mサイズのウミガメや、横幅4.5mを超えるオニイトマキエイも複数見てとれた。
ゆるやかに沈んでいきながらも2人はそれを目で追っていると、急に視界が暗くなった。
その原因は——海面から差し込む太陽光を遮る程の、大量の魚群。
イワシが変異した種だろうか。
成体のイワシよりやや大きいが、ウルメイワシのようなつぶらな瞳と輝いて見える白銀の鱗を持っている。
まるで1つの巨大な生物のように蠢くその群れは、サーディン・ランと呼ばれる鰯の大移動のような行動。
the Greatest Shoal on Earth——地球上で最も偉大な大群と称されることもある、ダイバーや写真家にとっても垂涎ものの光景だ。
本来なら頭上にいたイルカやオットセイ等の捕食者から逃れるために見せるものだが、逆にイルカの群れに近付くように現れたこの白銀の魚達は普通のイワシと違ってイルカを恐れてはいないのだろう。
その魚群は次に球形の群れを形成して晃生達を取り囲み、さらに幻想的な光景を創り出した。
360°どの方向を見ても白銀の輝きが視界を埋め尽くしている。
あまりの体験に目を見張る晃生達だったが、その銀イワシのうちの1匹が亜凰の斥力場にぶつかった。
その後もドンッ、ドンッドンッと激突してくる魚をよく見ると、口にはピラニアのように鋭い歯があった。
「……これ、俺らを食べようとしてるのか?」
「そうみたいね」
どうやらこの集団行動は捕食者から逃げる際に生き残る確率を上げる為の生存戦略ではなく、捕食の為の狩りだったようだ。
バリアはそのままに、亜凰がブワッッと一瞬弱い斥力を放って魚達を弾くようにすると、群れは球形を崩しながら上へ上へと、水中に生まれた竜巻のように旋回しながら離れていく。
その光景もまた、オニカマスが見せるバラクーダトルネードのような、言葉を失う神秘的な現象だった。
「こんな凄いのか……海って……」
「ええ。私も、知らなかったわ……」
「もっと、全部見てみたい。生き物も、環境も……」
「そうね。ここから下に潜ってみましょうか」
亜凰の引力操作で沖への移動から下向きに方向転換し、深海を目指す。
少し潜った所では、眼下に巨大な生物の群れと遭遇する。
どんなモンスターかと近寄っていくと、それは体長25mを超えるシロナガスクジラの群れだった。
その姿はダイナミックかつ荘厳で、コバンザメを従者のように引き連れている。
(おおお……肉食じゃないと分かってても、水中で見る巨大生物ってかなり怖いな……)
晃生がスリルを感じつつも興奮している様子を見た亜凰は、近くを通った1匹の鯨との間に引力を発生させ、逆に引かれていくように群れと共に漂いながら水中を移動していく。
馬に馬車を引かせるように、鯨に自分達を牽引させるというなんとも贅沢な移動方法だ。
巨体の群れが生み出す海流にのって一緒に泳ぐ小魚達を眺めていると、その小さな魚達が突然逃げるように何処かへ行ってしまった。
気付けば鯨達の泳ぐ速度も速くなっている。
(なんだ……?)
何かが……来る。
晃生がそんな予感を感じた時、亜凰が牽引させていた鯨がさらに巨大な生物に噛み付かれ、掻っ攫われるように下へ下へと引っ張られる。
慌てて亜凰が鯨との間の引力を無くし、水中に噴き出す鯨の血の合間からその謎の巨大海洋生物を確認すると——それは地球上最大の動物種であるはずのシロナガスクジラより一回りも二回りも大きな、超巨大鮫だった。
哺乳類である鯨は別として、世界最大の魚類であるジンベエザメでも体長は大きくて20m程度。
だが目の前で鯨を喰らうサメのサイズは優に30mを超えている。
「あれは……メガロドンか……!?」
「ええ……未確認個体だけど、恐竜とかと同じで絶滅種と呼ばれるモンスターね」




