第34話:ブラックキャット
晃生が離れ、木乃香と彗の間にはコツコツとアスファルトを叩く靴音が響いている。
「そっか……晃生君のことが……彼なら、俺も諦めがつくよ」
「あれ、晃生君と仲良かったっけ?」
「いや、あんま話したことは無かったんだけど、この前怪我した時、何も言わずに治してくれたんだ。良い奴だよな」
「晃生君らしいね……あっ、絶対誰にも言わないでね! いつか言いたいけど、まだ心の準備が……」
「分かってるって。それとなく匂わせしとくよ」
「それもっ……いやそれはありかもだけど……でもっ……」
「ははは。ホントに好きなんだな。晃生君のこと……」
「……私は——」
木乃香が何かを言いかけたその時、2人の前に不審な男が現れた。
黒いフードとマスクで顔を隠しているが、明らかに木乃香達をマークして道を塞いでいる。
「……何か用ですか?」
ここは男として前に出つつ、彗が強めの口調で不審者に尋ねた。
「……その女を貰う。邪魔するなら——殺す」
チャキッ——という微かな金属音と共にフードの男が懐から取り出したのは、銃。
54式自動拳銃——少し前までの暴力団に人気だった、安くて信頼性の高いトカレフTT-33の中国製コピー版。一昔前の拳銃だが、現代でも世界中の非合法組織で多く使われている銃だ。
(嘘……銃……!? 魔力量は私の方が多い、けど……!)
木乃香が彗を連れて逃げるか、魔力持ちの自分が囮になるか逡巡する刹那——返答が無いことに苛立った男が銃口を彗に向ける。
「ダメっ!!」
——パァンッ!
魔力で得た特殊能力も、魔物との戦闘経験も全て無意味に帰す、科学の武器が火を噴いた。
♢
胸に深く大きな穴が空いたような、強烈な喪失感に襲われた晃生は2人の尾行をやめ、気付けば立ち寄った公園のベンチに座っていた。
(木乃香は別に、彼女だった訳じゃない。たまたま一緒に異世界に迷い込んで、最近たまたま仲良くなれただけ……俺にとっては唯一の女友達だったけど、クラスのアイドルだし、木乃香にとって俺は大勢いる男友達の1人……)
彗に向けた木乃香の笑顔が、晃生の脳裏に浮かぶ。
(何を勘違いしてたんだ俺は……ちょっと仲良くなったくらいで……もしかしたらって……)
「はぁ……」
さっきまで考えていた進路のことすらどうでも良くなった晃生はため息を吐き、空を見上げる。
その空に——パァン…………と、乾いた音が響いた。
(銃声——?)
嫌な予感がした晃生は魔力感知を全開で広げ、木乃香の魔力を感じ取ると、その近くにもう1人、魔力反応がある。
今の銃声のような音も、同じ方向からだった。
ダッッと晃生の体が反射的に動き出す。
アスファルトを踏み砕いて跳び上がった晃生は前方宙返りから民家の屋根に着地し、そのまま屋上を伝って木乃香の元へ急ぐ。
♢
発砲音が響く直前、木乃香が彗を突き飛ばすように庇い、放たれた弾丸は木乃香の脇腹を掠めた。
「あぅッ!」
1拍遅れてやってきた焼けるような痛みに顔をしかめ、木乃香が撃たれた傷口を抑えて倒れ込む。
「木乃香ちゃん!」
突き飛ばされて地面を転がった彗が起き上がり、木乃香が撃たれているのを見てパニック気味に駆け寄ってしまう。
「オイオイ、女を殺れば俺が消されるだろうが。余計な動きすんじゃねぇよ」
セリフの割に弾むような声で喋りながら、男は再度彗に銃を向ける。
「伊月君……逃げて……私は大丈夫」
「そんな、俺だけ逃げられる訳ないだろッ……!」
2人の覚悟を前にしても無慈悲に、男が引き金に指を掛け——
「今度はちゃんと死ねよ?」
——ッダァンッッッ!
響いたのは、銃声……ではなく、着地時の破壊音。
木乃香と彗の目に、上から降ってきた晃生の背中が映る。
警戒する男は引き金を引くのを止めて銃口を晃生に向け直し、何故かニヤついた顔になって呟く。
「お前……」
晃生は自身に銃口が向けられているにも関わらず男を無視し、手で押さえる脇腹から血が溢れている木乃香を見て——その顔から、怒り以外の感情を消していく。
「一度だけ言う。投降しろ」
「あ? する訳ねぇだろバカが。この銃が見えねぇのか?」
「そう言ってくれて良かった」
(お前を殴れるからなッ!)
ドンッッッと駆け出した晃生の勢いに気圧され、男が引き金を引く——その前に晃生は男の銃を下から掴み上げて銃口を上に向けさせ——パァンッと空に発砲させる。
晃生のあまりの速さに面食らう男の顔面を間髪入れずに殴り、怯んだ瞬間に銃を奪い取った晃生は男の眼前で銃身をバキィッと握り潰して見せた。
さらに晃生の腹部打撃がモロに突き刺さり、ミシッッと肋骨が壊れる音がして——ドガァァァンッッッ!!!
男は民家のブロック塀を破壊しながらぶっ飛ばされ、家の外壁を大きく凹ませて停止した。
「ぐゥッ……ガッハッ……ゴホッ!」
壁への衝突で胸部にも強い衝撃を受けた男は肺挫傷によって赤紅色の鮮血を吐き出す。
その苦しみの中でも、男の耳には晃生が1歩ずつゆっくりと近付いてくる足音が鮮明に聴こえ、恐怖心を煽った。
「ク、ソがぁぁッ!」
追い詰められた男は隠し持っていたもう1丁の銃を向け——パンッパンッパンッパンッ!
引き金を引くだけの撃発で亜音速の弾丸が連続して放たれるが——晃生には1発すら当たらない。
超人的な動体視力が引き金を引く指の動作を正確に捉え、発射直前のタイミングで射線から体を逸らしているためだ。
「当たらねぇッ……嘘だろ……ッ!」
弾切れまで連射した男がそれでもカチカチカチッと惨めに引き金を引く中、ザッ、ザッ、ザッ、と晃生が地を踏みしめ、男の前に立つ。
そこで男は初めて、銃という絶対的な武器を持っていたことで怠っていた彼我の戦力を比較し、晃生の圧倒的な魔力を感じ取る。
「あ……ぁあ……」
絶望した男へ、晃生が容赦なく拳を振りかぶった時——
「だめ!」
バッと後ろから木乃香が抱きつき、晃生を止めた。
「もういいよ晃生君! もういいっ、もういいから……!」
ぎゅぅぅぅっと木乃香に抱きしめられ、怒りを収めた晃生の眼に——既に失神している男の姿が映る。
「…………」
木乃香と共に駆け付けてきた彗は助かったと思いつつも、鬼気迫る晃生の戦闘に軽い恐怖を覚えていた。
最初の時点で晃生に傷を治されていた木乃香は晃生を離さず、背中におでこをくっつける。
「来てくれてありがとう。ホントに……ありがとう。晃生君」
広背筋が広がる大きな背中で安心する木乃香を、晃生が振り返りざまに抱きしめ返し——
「危ないッ!」
叫んだ晃生がバッと木乃香と自身の位置を入れ替えた次の瞬間——ドォンッッ!!
さっきよりも大きな発砲音。晃生の背中に強烈な衝撃が加わる。
「晃生君!」
すぐに晃生が自分の代わりに撃たれたのだと理解した木乃香が泣きそうな声で叫ぶ。
だが晃生は、
「大丈夫」
と笑顔を見せ、銃声が鳴った方へと振り返る。
「……流石だな。生捕りでもゴム弾じゃなく通常弾を使えと言われた意味が分かったぜ。だがどうやって気付いた?」
魔力感知のことを教える義理はないと現れた伏兵の男を睨む晃生は、今の言葉に違和感を覚える。
(流石? コイツ……俺のことを知ってるのか?)
「誰に言われたんだ?」
「さぁな。クライアントを吐くつもりはねぇ」
「ならもうお前を殴らない理由はない」
これ以上の会話は無意味だと、晃生が歩を進めようとした時、
「おっと! 動くなよ。この距離じゃさっきと違って俺が撃つ方が早い」
焦って制止を促す男が晃生に向けた右手の銃——グロック18Cに反対の手を添えて構える。
さっきの男が撃つ前の刹那の時間でやられたのを見ていて、自身が持つ銃の有効射程距離内で遠めの位置取りをしたんだ。
「1発はな。けど俺には当たらないし、さっきと同じで当たっても致命傷にはならない」
晃生の言葉に行動で返すように、男は拳銃のセレクターをフルオートに切り替えた。
「1発じゃなかったらどうだ? 俺は後ろの足手まといを狙う。避けたきゃ避けな」
グロック18Cはハンドガンの中では珍しい、アサルトライフルのようにフルオート射撃が可能なマシンピストル。
男はその拳銃の照星、照門、右目に加え、晃生ではなく木乃香を直線上に並べて照準を合わせ——
「晃生君避けて!」
——ドドドドドドドドドドドドドドドドドドォンッ!!
フルオートで放たれた17+1発の弾丸が晃生に殺到する。
背に木乃香と彗を庇う晃生は銃弾を避けずその身に受けるが、亜音速で飛来する9mmパラベラム弾も晃生の高密度に進化した筋繊維を貫けず、内臓まで到達出来ないため致命傷にはなり得ない。どころか傷付いた箇所から回復が始まり、銃創はすぐに塞がっていく。
「やっぱバケモンだよお前はッ!」
男はもう一丁のグロックを取り出し、さらにフルオートで全弾斉射を見舞うが、晃生は1歩も退かず耐え切った。
「もう終わりか?」
素手の晃生が逆に相手を威圧し、答えを聞く間も無くドンッッと銃声のような音を立てて駆け出す。
その勢いは最早晃生自身にすら解除出来ない速度に至り、男を殴り飛ばす直前——晃生は、失敗を悟る。
男は晃生の攻撃に対し回避も防御も捨てて、木乃香達の方に何かを投げていた。
ゴッッと男を殴り飛ばして振り向くと、投擲されていたのは——手榴弾。
殴られてぶっ飛んでいく男の手の力が抜け、グレネードピンを手放す。
「——木乃香ぁッ!」
木乃香達が手榴弾の落下地点から逃げようとする中、晃生は急激な方向転換で跳ね返るように戻る。
しかし手榴弾の種類が木製繊維の板で外殻を構成し衝撃波で目標を殺傷する衝撃手榴弾ではなく、鋼鉄の外殻を飛散させてより広い範囲を破壊する破片手榴弾——M67だ。
弾き飛ばしてもギリギリ破片が飛ぶ殺傷圏内かも知れない。そう考えた晃生は掴んだ手榴弾を体と地面で包み込み——ドォォンッッッッ!!!!
……辺りが、静かになる。
「……こうき、君……?」
「…………」
消え入りそうな声で名前を呼ぶ木乃香と、その光景に言葉も出ない彗が、恐る恐る晃生へと近付く。
すると——
「痛ってぇ……ッ! なんで手榴弾なんか持ってるんだよ……」
もう平気そうな顔を上げた晃生がうずくまった姿勢から道路にごろんと仰向けになる。
既に超回復で治したらしく、その腹部に手榴弾のダメージはみられない。
だが痛覚に耐性ができてきたとは言え、流石の晃生も手榴弾のゼロ距離爆破は相当堪えたようだ。
「……はぁ。ビビらせるなよ晃生君」
彗がホッとため息を吐き、木乃香が胸を撫で下ろした直後——ボッッッッ!!!!
突如として晃生の右腕が千切れ飛んだ。
タァーーン…………
遠方から銃声が木霊し、
「〜〜〜〜〜ッッッ!!」
晃生の口から声にならない悲鳴が発せられる。
だが着弾に遅れて聴こえてきた銃声から狙撃だと判断した晃生は自身の回復の時間さえ惜しんで次弾に備え、木乃香と彗を左腕一本で掻っ攫うように避難させる。
着弾と発砲音からスナイパーの方向を判断した晃生は民家の外壁を遮蔽物にして身を隠しながら右腕を回復する。
晃生の超回復にかかれば千切れ飛んだ腕が無くても丸ごと再生が可能だった。
「ここにいろ。ぶっ飛ばしてくる」
そう言い残し、あえて屋上に跳び上がってスナイパーにその身を晒す。
(多分あそこだな……)
晃生はおよそ1.6km先の廃ビルを睨んだ。
晃生の体を千切り飛ばしたとなると、相手の武装はただの狙撃銃ではない。
おそらく対物ライフルだ。
本来対戦車兵器として開発されたそれは人間に向けて使う物ではないが、晃生の肉体性能を知る敵が満を持して使ってきたのだろう。
万が一予測射撃で民家を貫通させて狙われたら木乃香達が危ないと考えた晃生は自らターゲットになり、動き回りながら射線を撹乱しつつ銃声で敵の位置を正確に把握して接近しようとしたのだが——
「晃生君だめっ!!」
木乃香も猫のように壁を駆け上がり、屋上へ来てしまった。
「木乃香!? 下で隠れて——」
晃生の注意が逸れた時、木乃香の眼に廃ビルからスコープに反射する光が映る。
ガバッッッと飛び付くように木乃香が晃生を押し倒した数瞬後、さっきまで晃生の左肩があった位置を超音速の12.7×99mmNATO弾が流星のように翔ける。
——ヒュボッッッッッ!!!!
空気を切り裂く音の後で——タァーン……と、弾丸を追いかけるように銃声が響く。
狙いの正確さから、おそらくライフルはバレットM82A1等のボルトアクション方式のもの。次弾装填から発砲まで僅かな猶予がある。
押し倒された晃生はすぐに体を木乃香ごと起き上がらせて、
「何やってる! 早く下へ——」
すぐに遮蔽物の影へ避難させようとするが、その言葉を木乃香が遮る。
「私だって晃生君を守りたい! 助けてもらうばかりじゃ嫌だよ!」
叫びと共に、木乃香から多量の魔力が放たれる。
その眼が睨むのは、スコープの光を捉えた廃ビル。
不吉の魔力特性が発動し、スナイパーの身に不幸な偶然が必然となって訪れる——
——突然ズズゥゥンンッッッッとビルが揺れ始めたかと思うと、ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴッッッとまるで爆破解体でもされたかのように根本から崩壊した。
安全圏からの一方的な狙撃だと思っていたスナイパーもあれでは無事で済まないだろう。
「すっげ……」
約1.6km離れた場所からでも見える、ビル倒壊の余波によって大きく舞い上がる煙を唖然と眺める晃生の背に、突然木乃香が抱き付いてきた。
「えっ、ちょ……え?」
戸惑う晃生を無視し、木乃香はさらにぎゅぅぅぅぅぅっと力強く抱き締める。
「……私、晃生君と一緒の進路にする」
「……えっと……それって……」
「だって……ほっとけないよ。また誰かを守るために、あんな無茶な戦い方を続けるんだって思ったら……心配させないでって約束も全然守ってくれないし……」
木乃香はさっきと同じように晃生の広い背中におでこをくっつけ、怒り半分、照れ半分の感情で言葉を繋ぐ。
「いや……心配ないって。誰かをっていうか、木乃香を守るためだから俺は——」
「えっ」
「あっ、いや、触れてたら分かるだろ。俺にはかすり傷一つない」
クラスのアイドルに後ろから抱き付かれていることで動揺して変なことを口走り、照れて誤魔化す晃生だったが、内心は全身脈打つような心臓の鼓動が木乃香に伝わっていないかと気が気じゃない。
「それでも、晃生君は傷付いてるじゃん……晃生君が人を守る為に自分を傷付けるなら、私が晃生君を守る。絶対、私も一緒に戦うから」
「……俺、特殊技能者育成学園に行きたいんだ」
「じゃあ私もそこに行く。止めたって——」
「——木乃香にも、来て欲しいと思ってた」
「えっ……」
驚いて木乃香が胴に回していた腕を解き、晃生が振り返る。
「だから……その、えーっと……俺と、一緒に……」
ここ1番の大勝負シーンで次の言葉が出てこず赤面する晃生を見て、木乃香が声を上げて笑う。
「あははっ、晃生君真っ赤! そこはカッコよく俺について来いとか言うところじゃない? 可愛い〜」
「は、恥ずいんだからしょうがないだろっ。それに可愛いのはそっち——てか、伊月君と同じ進路じゃなくて良いのか?」
「伊月君? なんで?」
「え、だって、伊月君と付き合ってるんじゃ……」
「見てたの!? 確かに告白されたけどっ、断ったから!」
「そう……か。一緒に帰ってったからてっきり……」
「ストーカーっ……あれはっ——」
(あれは晃生君の話で盛り上がってただけ……なんて、言えないよ……)
「あれは……ただ別のことを話してただけで……」
「なんだよ……てか別にストーカーしてた訳じゃ……駆け付けたのも、銃声みたいのが聞こえて、魔力感知を使ったら木乃香の近くにもう1人魔力持ちの反応があったからで——」
「分かってる。晃生君はそんな事しないって」
ストーカー疑惑に対し焦って弁明する晃生だったが、信頼されていたと知って「なんだよ……」と息をついた。その晃生のホッとした表情を見て木乃香も笑顔になり、一件落着となった。
「あー、じゃあ、そろそろ帰るか。送るよ。伊月君もまだ隠れてるだろうし、終わったって言いに行かないとな」
「そうだね。あ、特殊技能者育成学園だけど、舞桜ちゃん達も誘ってみる? 6人で行けたら楽しそうだし」
「ああ、俺も誘おうと思ってたよ。全員で、強くなってやろう。誰にも負けないくらい」
「うんっ!」
……コツ、コツ、コツ、と靴音が鳴る。
物陰からひっそりと会話を聞き、晃生達がいなくなってから路上に姿を現した男が1人。
その男は晃生が残していった右腕を拾って不気味な笑みを浮かべると、踵を返して去って行った。




