第2話:遭遇
「……え? どういうこと?」
ここが異世界という可能性。それを突きつけられた木乃香は驚愕で理解出来ず、晃生に聞き返してしまう。
「巨人でも住んでそうな巨木の密林に、図鑑やテレビでも見たことがない虫。こんな植生も生態も、地球上のどこにもないと思う」
晃生がそう言った傍からトンボのような翅を羽ばたかせる百足みたいな虫が木乃香の顔の横を飛んだ。
「きゃっ……!」
小さな悲鳴を上げた木乃香は思わず跳び退いて晃生の腕を掴む。
バランスを崩した木乃香を支えながらも、晃生は真剣な顔で今の虫を見つめていた。
(やっぱり……あんな突然変異みたいな虫が普通に飛んでるなんておかしいだろ……)
地球のアマゾンですら、肉食のワニやジャガーだけでなく、クロドクシボグモやヤドクガエル、軍隊アリ、ウマバエ等、命を危険に晒す生物が山ほどいる。年間で最も人間を殺す生物として知られる蚊も、マラリアやデング熱、黄熱病を媒介する可能性がある。
医療機関のないこんな場所で刺されたら終わりだ。
未知の世界、そのジャングルにいる危険性を正しく理解している晃生は崖の上へ登れそうなポイントを探して歩きながらも最大限の注意を払っていた。
(危険生物に遭遇しなかったとしても、この暑さだけでも厄介だ。天音さんもいるし、早く戻らないと体力が保たないぞ……)
アマゾン熱帯雨林の広さは550万km^2もあり、現在地も方角も不明で装備もない高校生2人が歩き回れる場所ではない。その上ここはアマゾンどころか前人未到の地球の外、地図の外にある未知のジャングルで、広さも生態系も全く分からない状態だ。
その事をしっかり頭に入れながら晃生は木乃香の前に出て、後ろからついて来やすいように草を踏み倒して歩く。
(なんか……車道側歩いてくれる彼氏みたい……)
人知れず照れる木乃香をよそに、晃生は木々の形やそれに実る怪しげな果物を目印にしてほぼ同じに見える密林内の景色をなるべく記憶しながら進む。
相変わらず崖の上に登れそうなポイントは見つからないが、しばらく歩いたところでこれまで密集していた大木が拓けた場所が見えてきた。
草を踏み倒し、枝葉を避けながら木々の密集地帯を抜けた先はまたも崖の上だったが、そこには——
見たこともない、幻想的な光景が広がっていた。
「なんだ、これ……」
「うそ……」
今まで密集した木の葉で隠されていた空の向こうに——2つの星が、見える。
何億光年も離れた光点のような恒星ではなく、天体望遠鏡で拡大したような2つの惑星の表面が、うっすらと、しかし昼間に肉眼でということを考慮すればはっきりと空に浮かんでいる。地球から見る月や太陽の何倍も大きく、雄大に。
数十キロ先の空ではその惑星の重力に引っ張られるかのように幾つもの島が宙に浮かんでおり、さらにその浮遊島の近くには大きな翼を羽ばたかせる巨大生物が旋回しながら飛行している。
(あれは、プテラノドン……いや、まさかドラゴンか……!?)
山のように積み上がった積乱雲からは雲の表面の一部が滝のように下へ下へと流れ落ちていて、青空の向こうにはよほど強い太陽風と大気の原子がぶつかっているのか、昼間にも関わらず緑白色のカーテン状のオーロラが天空のキャンバスに色彩を加えている。
地上——崖の下には大木の密林が地平の彼方まで続いており、遥か遠くには美しい天を突く超巨大な木が一本聳え立っている。頂点が雲に届きそうな程の常識はずれなサイズの巨木だ。
(まさに異世界……というよりも、これは……宇宙、か……?)
異星——地球ではない、生存可能領域である太陽系外惑星なのか、それとも全く違う世界に迷い込んだのか。
今晃生達に真実を知る術はないが、その神秘的な光景に心を奪われてしまった。
「すっげぇ……」
「うん、なんか……目が離せないね……」
(多分、ここに来てから体が重いのも、この星が地球より質量が大きくて重力が強いからだったんだ)
「ね、晃生君。一緒に写真撮ろ?」
「え、ああ、良いけど……」
突然の木乃香の提案に、晃生は内心喜びながらもややスカした対応をしてしまいつつ……
木乃香が腕を伸ばして構える携帯のインカメ内に収まろうと2人が身を寄せ合い、肩がくっついてドキドキしながらツーショットを撮った。ファンタジーのような異世界の絶景を背景に。
「次、俺の携帯でも撮っていい?」
「そ、それはダメ!」
「えっ」
まさかの全力拒否に晃生がこの世の終わりのような顔をする。
「あっ、えっと、違うの! そうじゃなくて……ほらっ、晃生君の携帯ちょっと古いやつだし、私ので撮った方が画質が綺麗だから! だから、その……写真送るから、連絡先教えて……?」
慌てて誤解を解く木乃香は徐々に声を小さくしていきながら恥ずかしそうにQRコードを表示した携帯を差し出した。
「あ……お、おう」
晃生も緊張で手が震えそうになりながらもコードを読み込——もうとしてエラーが出たことで、ここが圏外だったということを思い出す。
「あ、そっか。電波がないと交換出来ないんだね、あはは……」
「俺も忘れてた。あー、その……また地球に戻ったら……交換、しよう」
今度は晃生が勇気を出して交換の約束を切り出して、ぱぁぁっと笑顔になった木乃香も嬉しそうに「うん!」と頷いた。
その笑顔に照れた顔を隠す為に目を逸らし、しばらく異世界の絶景を目に焼き付けるふりをした晃生は、これまで見逃していたあることに気付く。
2人が滑り落ちてきた後に沿って歩いてきた方の崖の一部に、傾斜が緩やかで登れそうなルートがあったのだ。
「天音さん。あそこ、なんとか上に行けそうだ」
「本当だ! やったね晃生君っ、これで地球に戻れるねっ」
「ああ。けど、油断せずにいこう。まだ何が起こるか分からないしな」
「うん。そうだね」
2人は声を弾ませながら崖の上を目指して坂道を登り始めた。
他の場所と比べて傾斜が緩やかとはいえ、柔らかい土と地面に敷き詰められた落ち葉のせいで滑りやすくなっている。
上の方まで行くと徐々に傾斜もキツくなってくるし注意しないと……と思っていた矢先、木乃香がズルッと足を滑らせた。
「わっ」
「天音さん!」
咄嗟に晃生がパシッと木乃香の手を掴んだおかげで転ばずに済んだが、やはり通学用のローファーでこの大自然は歩きにくそうだ。
「ありがと。あ、あの……このまま、手、繋いでてもらってもいい、かな……?」
「あ、ああ……また滑ったら危ないからな」
2人とも顔を赤くしつつ、手を繋ぎながら斜面を登っていく。
互いに引っ張りあったり、時には晃生が下になって木乃香を押し上げながら、どうにか無事に上まで登り切ることができた。
その崖の上で、晃生達はまた奇妙なものを発見する。
「何だこれ……」
それは、人工的に整形されたような巨大な岩の造形物。
岩石を正方形に切り出して組み合わせ、一番巨大な岩を中心に離れるほど小さくなっていくように岩が並べられているが、末端の石はまた少し大きなものが置かれており、極太の蔦のような木の根が地面から伸びて絡まっている。
何らかの意図を持って並べたような、奇妙な物体だ。
気になった晃生と木乃香が周りを少し歩いてみてもデカすぎてまだ全体像が見えてこない。
(はっきりとした形は分かんないけど、横倒しにした何かの……)
さらにその石造建造物を回り込んだ崖の反対側に、一方向に向かって大木がバキバキにへし折れている巨大な獣道のようなルートがある。まるでティラノサウルスが2頭、喧嘩しながら競争した後のような光景だ。
「ここが宇宙のどっかの惑星だとして……この岩の造形物は、この星に知的生命体がいて、そいつらが作ったってことかな」
「そう、かもね。何となく、ピラミッドみたいな……」
「確かに、まるで大自然に呑み込まれた古代の遺産って風情だな。でも、こんな所に誰がなんの目的で——」
——ガサガサッ
突然背後から草むらをかき分ける足音のような音が聞こえ、2人はすぐに振り向いた。そこに立っていたものに、晃生も、木乃香も、目を見開く。
「……なに、あれ」
そこには、身長130cm程の人型の生物が立っていた。
爬虫類じみた緑色の体表とギョロついた眼。頬の横まで裂けたような大きな口から覗く歯は人間のそれとは違い、野生を生きる肉食動物特有の牙と呼べる鋭さがある。
トカゲか何かの爬虫類が直立二足歩行を獲得して進化してきたような、人間とは別種の人類、亜人とでも呼ぶべき存在だ。
とはいえ、その進化がまだ途中——今の人間が完全に進化しきっているというわけではないが——だということも見て取れる。
その進化の過程で人間が切り捨てた尻尾が残っているし、重い脳を支えられる二足歩行でも、まだ人間ほどの知性は感じられないからだ。
地球上ではまずあり得ない生物だが、それでも、晃生の頭にはこの生物の名前がすぐに浮んだ。
「こいつは——ゴブリンだ」