第19話:変異
西川重蔵。38歳。男。
彼は人肉嗜食の持ち主で、猟奇的な犯行により世間を騒がせた死刑囚だった。しかし死刑執行までの期間で魔力に適合し、3倍にまで跳ね上がった身体能力で拘置所から脱獄。犯罪捜査規範第三十一条に基づき警察庁指定被疑者特別指名手配の対象となる。
その男が今、ある暗い一室で食事をしていた。
不気味な笑みを浮かべる西川が食べているのは——ゴブリンの肉。
ゲート開放時に迷い込んで生き残っていた1匹に偶然遭遇し、3倍の身体能力で嬲り殺しにしてわざわざ死体を持ち帰ってきたのだ。
西川は焼いて、茹でて、あるいは生のまま、まだ生き物の形をしているゴブリンに齧り付いていく。
その異常な食事を心から楽しんでいる西川が、突然咳き込んで苦しみ出した。
「ぐッ……ゥグッ……ゴハァッ……!」
あり得ないほど急激に発症した腹痛と発熱、嘔吐。床についたその腕の皮膚がゴブリンのような鱗に変質し始めた事から、単なる急性胃腸炎ではないことが分かる。
「ぐゥゥゥァァアッ」
皮膚だけでなく、爪は硬く鋭く伸び、歯は牙へと変質する。筋肉は肥大して全身が巨大化していき、身長は2mを超えて3mにまで達した。
尾骨の辺りから生えた太い尻尾が振り回され、ガシャンッと窓ガラスを容易く破壊する。
人とゴブリンの混ざり合った魔力により、偶然DNAの塩基配列が書き換えられた時——両者を遥かに超える怪物が誕生した。
「ハァッ……ハァッ……ハァッ……!」
肉体の変化が終わると同時に苦痛も治まっていくが、その姿はもう、人間のものでは無かった。
♢
春休みのある日、勇斗と愛奏音は2人で学校へと向かっていた。
「もう勇ちゃん。春休み明けには課題テストがあるんだから、勉強もしとかないと駄目じゃない」
「いや、色々と忙しくて……」
勇斗はゲート出現以降、異界で得た魔剣で魔物と戦っていた。
現在では異界から迷い込んだ魔物はほぼ自衛隊やギルドの魔力覚醒者、勇斗のような力を持つ協力者によって討伐されたが、魔力に覚醒したのは人間だけではなかった。
この2ヶ月、魔素の影響によって禍々しく変質した犬——黒妖犬や、巨大化した蜘蛛である土蜘蛛、角が生え肉食となった牛——牛鬼など、地球産のモンスターが多数出現しており、勇斗は愛奏音に内緒でそれらの魔物との戦いに身を投じている。
「また私に内緒で危ないことをしているんじゃないでしょうね……?」
勇斗の性格をよく知る愛奏音が疑いの目を向ける。
「し、してないって。それより、今日は誘ってくれてありがとね。勉強みてもらえるのは助かるよ」
「ううん。私の勉強にもなるから」
学校に着くと、そこにはサッカーの部活終わりにたむろしていた3人がいた。
「あ? よう、陰キャじゃねぇか。春休み中の学校に何の用だよ。帰宅部のエース様だろうが」
「コイツが一己が言ってたザコかよ」
「あははっ、アタシ弱い男ってマジ無理」
以前勇斗に突っかかってきたサッカー部のエース、三浦一己。そして同調するように笑うもう一人の男は一己と同じサッカー部の夏目亮。女子生徒は距離感から見て一己の彼女だろう。サッカー部のマネージャーなのか彼らと同じエナメルバッグを肩に掛けている。
「勇ちゃんをバカにしないで。彼はあなた達の何倍も強いわ。心も、体もね」
普段は怒ることのない愛奏音がいつもより低い声で言い返す。
「いいよ愛奏音ちゃん。行こう」
勇斗は自分の力を人相手に見せびらかすつもりはなく、穏便に去ろうとするが、一己達が引き止める。
「おい待てよ。お前が俺より強い訳ないだろ」
「だなァ、バカにしてやがる。見せてやろうか?」
この二人の男は自分達の力を誇示しなければ気が済まないようだ。
「実はなァ、俺ら魔力に適合してンだよ。バカみてぇに力が溢れてくるし、どんだけ暴れても疲れねェ。分かるか? 俺らは選ばれたんだよ。お前みてェな奴は世界が変わろうが負け組のままってこった」
「あァ、今の俺ならお前なんざ1秒でぶち殺せるぜ」
魔力の適合は人を選ばない。
三浦一己は魔力によって呼吸器系が強化されていた。内呼吸、外呼吸ともにガス交換の効率が大幅に向上し、酸素とともに魔力を全身の体組織へ供給し身体能力を上昇させる。
もう一人の男、夏目亮は消化器系の強化。強化された消化酵素と胃酸は有機物なら何でも分解し、小腸、大腸は栄養素とともに魔力を効率的に吸収する。
つまり2人は、呼吸すれば、食事すれば強くなる。かなりの超人と言える。
常人と比較すれば、その身体能力は両者ともに10倍以上。
「教えてやるよ。俺の力をなァッ!」
吠えるように言った一己は、持っていたサッカーボールを本気で蹴り飛ばす。
ドッッと勇斗の腹部に直撃したボールを、瞬時に距離を詰めた一己がさらにドゴッッッと蹴ってめり込ませる。
「がッ……ぁ……!」
後方へ吹っ飛ばされた勇斗は数秒呼吸が止まり、苦しそうな声を上げた。
「はっははァッ、よく飛んだなァザコ野郎!」
剣を持っていない時の勇斗は一般人より少し強い程度。まともに食らった衝撃は勇斗にとってかなりのダメージだった。
「勇ちゃん!」
「ごほッ、ごほッ……!」
駆け寄った愛奏音は、勇斗が咳き込みながら腹部を抑える姿を見てタレ目を鋭くする。
「待ってて、勇ちゃん。私がッ……!」
「大丈夫だから、愛奏音ちゃん。このくらい大したことない……」
愛奏音が魔力弾を乱射しかねないのを見て、勇斗は強がって見せる。
それを聞いた3人は愉快そうに高笑いした。
「ははははァッ、みっともねェ、やり返してみろよカスが」
一己はそう言って彼女の肩に手を回し、3人は笑いながらその場を後にする。
「……はぁ、やっと終わった」
気にしない素振りで勉強をするため図書室へ向かおうとする勇斗の手を、愛奏音が掴む。
「……勇ちゃんのそういうところ、すごいと思うわ。けど、勇ちゃんが傷付くのも、バカにされるのも、私は見たくないのよ」
「ありがとう。愛奏音ちゃんがそう思ってくれるから、僕も我慢できるんだ」
その時、愛奏音の携帯から着信音が鳴る。
発信相手が父だったのを見て、愛奏音は一旦話し合いを中断して電話に出る。
「愛奏音ッ! 今どこにいる!? 今日は学校へ行くと言っていたが、もういるのかッ?」
もしもしと言うよりも早く、慌てた様子で父——玉森総一郎が聞いてくる。
「え、ええ。学校にいるわよ」
「すぐに帰るんだ! 付近で怪物が暴れている! 絶対に近付くんじゃないぞ!」
総一郎の声の裏からパンパンと銃声が聞こえる中、注意を終えると通話を切られてしまう。
「勇ちゃん、聞こえてた?」
「うん……」
その時、パトランプを点灯させたパトカーがサイレンを鳴らしながら何台も学校の前を走っていく。
——ガシャァァァンッッ!
不意に遠くから大きな破壊音が聞こえ、耳を済ませば直接銃声も耳に届いてくる。
「勇ちゃん、今何考えてるの?」
「……この辺りはギルドが拠点にしているビルが近くに無いし、警察の中に強い能力者がいなかった場合、被害を抑えられない……」
「だから自分が行くしかないってことかしら?」
「……僕が行くことで助かる人がいるかもしれない。逆に僕が行かなかったら傷付く人が増えるかもしれない。この力を持ってから、そんなことばかり考えてる。だから……行かずにはいられないんだ」
ある日突然身に付いた戦闘能力。世界が変わりつつある中で、勇斗は自分に課せられた責任を正しく理解していた。
「それなら、私が行くことも止めることは許さないわよ。私が行くことで助かる命もあるかもしれないしね」
「それは止めたかったけど……」
「ダメよ。ほら、そうと決まったら急ぎましょう」
勇斗がこれ以上何か言う前に走り出す愛奏音。その後ろに振られた手に残る火傷が勇斗の目に入る。
(これ以上は、絶対に傷付けさせない……!)
改めて、勇斗はそう決意した。




