別れ
「あー、今朝も早起きですこと」
目が覚めて、時計を確認するとまた4時だった。
二日続けて4時起きは流石に今まで無かった事なのだが、どうした事だろうか。まぁ、早く起きた所でやる事は変わらないと言いますか。
着替えてウェストポーチをセットしてから台所へ向かい、冷やしている水筒を持って外へ出る。
この日も晴れ。
気持ちが良いくらいの風が吹いている。
柔軟をしっかりこなしてから歩き始めると、木に止まっていた鳥が2羽鳴きながら青い空へと羽ばたいていった。
「空、飛べたら気持ちよさそうだなぁ」
そんな事を思いながら歩いていく。特にどこへ行こうと言う目的地は無いが、そんなに時間が掛からず行って帰って来られる所までを目標に。
誰も居ないかと思いきや、数人のペット連れとすれ違った。皆ペコリと会釈をしてくれるのでこちらも同じようにして通り過ぎていく。
「今日は2組とすれ違ったな、朝早くない? 皆可愛かったな、ゴールデンレトリバーとフレンチブルか。ゆくゆくは犬も猫も飼いたいなぁ、でも、もし僕が忙しく超多忙な人気俳優なんかになったらお世話してやれないのかなぁ……それは嫌だな……でもあの子達はもう存在が癒しだよなぁ……」
そんな独り言をポチポツ漏らしながらどんどん進んでいく。
白み始めた空はグレーと青の淡いグラデーションの向こうに朝日を呼ぶ。
今日は、色々な人がお母さんに会いに来るんだろうな。交友関係はそんなに広くなかった印象だけど、どうなっていくやら。
完全な家族葬と言う話も一回出たのだが、常連に人気の喫茶店で長く働いていた事もあり、お別れをしたい人はもしかしたら結構居るのかもしれない。と言う事で、今では珍しい自宅葬ながら一通りを行う事としたのである。
それから小一時間歩いたり、小走りしたりと他にも自己流メニューをこなしながら家に戻ると今日は咲叔母さんと良子ばあちゃんが朝ご飯の準備をしている所だった。
「二人ともおはよう、早いね」
「おはよう、夏くん。今日も体動かしてきたのね。毎朝関心関心」
「おはよー夏、何毎朝ストイックだねぇー! 私は三日坊主常習犯だから続かないんだよねぇ」
「うーん、何か習慣になっちゃったらやらないのが気持ち悪いだけなんだけどね。まぁ、体作りは無駄にはならないだろうしね」
「そうねぇ、継続は力なりよ」
「うんうん、凄い凄い」
「へへ、ありがとう。ねぇ、それよりも何か手伝う事ある?」
既に部屋には味噌汁の良い香りと、焼き魚の香ばしい匂いが漂っている。
「後はそんなに無いよ。後はご飯が炊けるの待つだけだから。シャワー浴びてきちゃいなさいな」
「ん、分かった」
言葉に甘えて浴室へ向かう。
シャワーをザッと浴びて出ると丁度、ご飯が炊ける音が聞こえて来た。
ある程度髪を乾かし、新しい衣服を身に着ける。
「夏くん、これを菜緒ちゃんの所へ持って行ってくれる?」
ご飯、味噌汁、焼鮭、卵焼き、おしんこを乗せたお盆を良子ばあちゃんから渡される。
「うん、凄く美味しそうだね。ありがとう」
「菜緒ちゃん、鮭が好きだったから喜んでくれると良いのだけど」
「姉さん絶対喜ぶ、こんな豪華な朝ご飯だなんて羨ましいよ」
「あら、咲ちゃんのお家ではご飯どうしてるの?」
「夜勤が主になってから出来合いのご飯が多くなりましたねぇ。お恥ずかしい。レンジでチンするだけで出来る物とか。料理好きの姉さんが聞いたら怒りそうですけど」
ばつが悪そうに頭を掻く。
「咲ちゃん、今はそれでもいいのよ。二人とも忙しいのでしょ。咲ちゃんが作りたいなって思った時にやればいいの。今のスーパーやコンビニのお惣菜だってとっても美味しいもの」
「良子さん本当に優しすぎて涙出ます……」
「あ、じゃあ僕お母さんに持って行くね」
客間の向こう側で眠るお母さんにおはようと朝の挨拶をしてから、扉を開く。
テーブルの上に朝食をゆっくりと置いて、また後でねと声を掛け出る。
「夏くんありがとうね」
「いえ、準備してもらってありがとうございました」
「さーて、モリモリ食べて今日を乗り切ろう」
「うん、そうだね」
いただきます、と3人で手を合わせ朝食を食べ、今日の予定をざっくりと話しながら朝食を終える。
洗い物をやっていると、咲叔母さんが食器拭きを手伝ってくれる。
「夏、偉いね。男の子ってこういう事あんまりやらないイメージ」
「んー、学校とバイトに演技の勉強ってやってたから殆どお母さんがやってくれてたんだよ。でも、出来る時は洗い物とか、後片付けくらいはね」
「そっかぁ」
咲叔母さんが少し寂しそうに笑った。
その後は少しゆっくりしてから葬儀屋のスタッフと一緒に自宅で色々な物をセットをするのに手伝ってもらった。
14時には納棺師さん達が来て身を整えて綺麗に化粧を施してもらい納棺式までを済ませる。
そこでは咲叔母さんも良子ばあちゃんも「ほんと綺麗だよ」「眠っているみたいね」と涙ながらになったが、終わればその後の打合せに準備にと動いている内にあっという間にお通夜の時間になった。
時間前に受付の人、知り合いのお坊さんなども集合し、ちらほらと人が集まる。
弔問者達は挨拶を交わしながら自宅へと入っていく。
進行は葬儀屋のスタッフに任せながら、一通り流れ通りに進んでいった。
最後に、喪主として緊張しながらも来てくれた人への挨拶とする。
この後の通夜振る舞いは、自宅から出て、お母さんが勤めていた喫茶店へと移動するのでその案内も細かに行う。
─喫茶 時計─
一足先に戻っていたマスターが一行を出迎えてくれた。
「準備OKだよ」
「マスター、ありがとうございます」
「マスターさん、お世話になりますね」
テーブルが一つに長く繋がれ、囲むようにぐるりと椅子が置かれている。カウンターはそのままに、座りきれなかった人がそちらへ案内されていく。
テーブル上にはオードブルが何種類も用意され、中央の写真台にはお母さんの働いている姿で撮った満面の笑みを浮かべた写真が置かれていた。
あまり会った事の無い人も多かったが、皆お母さんと親しかったようで『菜緒ちゃんがこんな突然亡くなるなんて本当に信じられない』と口を合わせて言っていた。
写真を見ながら、お母さんとの思い出や最近の事を口々に話し合っている。
知らなかった一面も沢山知る事となったが、それは大体が僕に関する事で『どんな時も夏の将来について考えている』と言っていたとか、『息子の方がしっかりしていて私の方が教えてもらう事が多いの』と自慢げに伝えていたとか。そんな事だった。
喫茶店では、意外とドジな一面も持っていて2-3か月に1度は何かしら落っことしていたとの事だった。特に、大変だった時期はぼんやりしていた事が多かったようでマスターが無理しなくてもいいよと伝えていたが『息子が頑張っているので私も負けていられないです』と意気込んで早速皿を一枚割っていたらしい。
だが、それ以上に食事メニューやメニュ表、他にも内装についてはかなり貢献したようで店の売上には一役、二役と買っていたようだ。
昔からの事を懐かしみつつ、話が尽きない内に料理が先に終わりお開きとなった。
最後の挨拶も何とかこなし、明日の案内も済ませ無事にお通夜を終える事が出来た。
弔問客を皆送り出し、マスターにもお礼を言って後片付けを手伝おうとすると、『とんでもない、いいんだよ。僕に任せて、今日はきっと夜通しになるだろうし明日もあるのだから早く帰って菜緒ちゃんの側でゆっくりして』
深く頭を下げて、マスターに甘えさせてもらう事にした。
良子ばあちゃんと、咲叔母さんと一緒に帰路へと就く。上を見上げると星が幾つも瞬いて凄く綺麗だった。
何だか、あまり関りの無い人達がお母さんの事を話しているのを聞いて少し嬉しかったな。と思い返す。
家に到着すると、順番に風呂へと入った。
夜は、棺守りをすると良子ばあちゃんが教えてくれた。
「今はもうこうして夜通しお線香を絶やさずに守る事は殆どないのよ。夏くん、眠かったら寝てしまっていいんだからね。明日もある事だし」
「良子ばあちゃん、ありがとう。でも、僕も一緒にやるよ。その方が、沢山お母さんと話が出来る気がするからさ」
「そう、じゃあ菜緒ちゃんと一緒に居ましょうか」
「うん、あ。夜通しか、じゃあ僕今から少し買い物に行ってくるよ。食べ物と飲み物追加で準備する」
「夏、それ私も一緒に行くわ」
「ん。良子ばあちゃん、何か必要な物ある?」
「んー、そうねぇ……じゃあおはぎでも頼んじゃおうかな」
「おはぎね、了解! じゃあ行ってくるよ」
コンビニから帰ると、早速良子ばあちゃんが線香に火をつけていた。
「ただいま」
「夏くん、咲ちゃん、早かったね。ありがとう」
「うん、幾つか買ってきたから見てね」
「良子さん、他にもありますから好きな物とってくださいね」
「二人ともありがとうね、後で頂こうかしら」
それから、長い夜が始まった。線香の火を絶やさないように、火を灯す番を交代しながら他愛のない話をしながら棺守りを行う。
豪六じいちゃんの時も、お父さんの時も式場に合わせたのでこういう事はしなかった。良子ばあちゃんが自宅での葬儀を提案してくれたから今こうして本当に最後の時としてお母さんとひと時を過ごす事が出来ている。
良子ばあちゃんには感謝してもしきれない。いつか、いや、早いうちにどうにかして恩返ししていくよと心の中でお母さんに宣言しておく。
良子ばあちゃん、咲叔母さんと3人で家族の事から近況まで、色々と尽きない話をしながら過ごしていくと、割とあっという間に夜明けがやってきたのだった。
────
翌朝
朝の30分だけ運動の時間に充てさせてもらい、素早くシャワーを浴びて朝食の準備を手伝う。
昆布と梅のお握りとワカメと豆腐の味噌汁、ほうれん草のお浸しで完成。
昨日と同様、お母さんの所へ持って行って一言、二言話をして置いておく。
「さ、皆今日は忙しくなるわね。今日は最後のお別れになるからしっかり食べて体力つけてね。お葬式は本当に体力も気力も必要だからね」
「うん」
「はい」
皆で揃ってご飯を食べて、今日を無事済ませるべくしっかりと腹を満たした。
10時になり、葬儀が開始、お坊さんにお経を読んでもらい告別式へと移る。
焼香を行い、マスターがお別れの言葉を担ってくれた。家全体が啜り泣きに包まれる中、最後に喪主としてまた挨拶をする。
この後は、火葬場へ向かう。
出棺の時には、多くの人に手伝ってもらい無事に車へと乗せる事が出来た。
そうして家族や他の人を乗せた車は何台かに分かれて移動を開始する。
──
火葬場に到着すると、火葬する少し前室にて、棺の窓を開けて最期の言葉を交わす。
とても綺麗に化粧を施してもらっていて、眠っているようにしか見えない。
「菜緒ちゃん、ゆっくり休んでね。向こうで会ったら豪六さんと鏡一を頼むわね」
「姉さん、姉さん……またね……次も姉さんの妹が良い、ゆっくり休んで」
「お母さん、ゆっくり休んで。あ、でもお父さん達にもよろしくね」
火葬直前に、声を上げて泣き出す人が居た。他にも嗚咽があちらこちらで漏れ出る中、僕はただひたすらにお母さんが入った棺が中へ運ばれていき扉が閉まるのをジッと見つめていた。
別室へ通されてからその場で少し頼んでいた軽食を摂り、終わると骨を拾いに行って骨壺へと納める。納骨は直ぐ行わず、頃を見て行う事とした。
その場で解散ではあったが、特に親しい人達で喫茶時計に集まり後の会が開かれるのでそのまま時計に向かう。
喫茶時計に到着すると、マスターが慌ただしく準備を開始する。
お寿司を採っていた為、それも合わせてテーブルにセットをして、様々な食べ物や飲み物を用意してくれた。
精進落としの料理も食べていたので、全ての物が希望者は持ち帰れるようにと入れ物も用意してくれてあったので助かった。
一時間半くらいの時間で歓談しながら時を過ごし、解散となる。
マスターには二日間とてもお世話になったので、後日改めてのお礼をしに行くことで良子ばあちゃんと話がまとまっているのでそのようにするつもりだ。
──
結局、最後の最期まで僕が泣く事は無かった。
殆どの人が泣くようなこの状況で一粒も涙は零れ落ちない。僕はとんでもなく薄情な人間だったのかもしれない。
そう肩を落とすが、良子ばあちゃんが帰り際に『夏くん、哀しみは人それぞれなのよ。無理に泣こうとする必要はないの』と背中を摩ってくれたのがジンわりと温かかった。
自宅へと到着すると、咲叔母さんはその後すぐ、車を飛ばして帰宅する事となって慌ただしく早めの見送りとなった。
良子ばあちゃんは家に送り届けてから『一先ず帰るけど、何かあったらいつでもおいで』と言ってもらって別れた。
一人で自宅へと戻る。
玄関を開けると、人の気配がしない。リビングへ向かうと、開いた扉の向こう側はがらんとしていた。一軒家には、今朝までの騒がしさは何も残っていない。
シンとした静寂だけが落ちている。
「一人だ」
そう呟いたのはどうしてだったか分からない。
余計な事に思考を巡らせそうだったから、振り払うように頭を振って行動を起こす。
お母さんの入った骨壺をひとまずテーブルに置いて、荷物も全部そこに降ろしてから脱衣所に向かう。喪服を脱いでシャワーを浴びて、普段着に着替えてからやっとひと息をつく。
すると、この数日の慌ただしさが嘘のような感じがした。
スッと立ち上がってテーブルに立ててあったお母さんの写真立てを見ながら
「お母さん、今まで本当に沢山支えてくれてありがとう。今は何も返せないままだけど、僕は必ず夢を叶える。だから……良かったらお父さんと空で見てて」
写真立ての中で微笑むお母さんを真っすぐと見つめ、サムズアップしながら思い切り笑ってそう宣言したのだった。