オーディション
高校に上がったと同時に、部活には入らずバイトをスタートさせる事を選んだ。
限られた中でも本腰を入れ演技の勉強をするなら、色々見てみる方が良いだろうか。
ドラマや映画のDVDを借りたり、実際に舞台を見に行ってみるのも勿論良いだろう。以前よりも俳優を目指すと言う将来に向けて真摯に向き合い、勉強代を稼ぐ日々が始まる。
幸いにも、『高校卒業するまでの資金は貯えてあるから心配しないで、夢と両立させなさい』とお母さんから言われていた。
本当ならば、僕が中学を卒業した時点で高校進学はせずに何でも良いから働きだして家計を少しでも支えていくべきだったのかもしれないが、そう言う事で甘えさせてもらう事になる。
『学生の内は学業が本分だけど、夢があるならどこまでも諦めず追いかけなさい。夏人に今出来る精一杯で向き合うの。人生一度きりなんだから』
と言うお母さんに「なるべく早く有名になって、寺本さんと絶対に共演するから。親孝行、楽しみに待ってて!」そうも言ったっけ。
勿論、どんな事があったとしても夢を掴むまで諦めるつもりは毛頭ない。
お金がなくとも叶えたい夢が沢山出来てしまったのだから、今僕に出来る事を精一杯して勝ち取るつもりだ。
例えお母さんがおばあちゃんになるまで掛かるくらいの長期戦になったとしても、出来る限りアルバイトをしながら家庭には負担を掛けずにいこうと覚悟を決めた。
…………ところが、高校を卒業してから取り巻く様々な事があっという間に変わっていったのだ。
誰も予想など出来なかった方向へと。
──◇
『一応、学生の間は学業が本分だからね』
お母さんとの約束を交わしてから、自分の中で、オーディションを受けるのは高校3年生の終わり、又は卒業してからと決めていた。
元々、勉強が好きでは無かったからバイトの後に1時間だけ励むと言う学生としてはちょっと駄目な方だったと思うが……授業中も集中しきらず、演技の事ばかり考えていたりして。
そうこうして学生生活を過ごし、高校3年生の終わりに一つの気になるオーディションに強く惹かれる事となる。
映画のキャストを募集するらしく、大型のオーディションが行われるとの事だった。
どこの事務所にも属していない素人がなぜこのオーディション前情報に辿りつけたのか。
それは、バイト先のお客さん伝手に俳優を目指している事を知っていた人から情報を得る機会があったからである。
どうやら、大御所の監督と新人の監督が手を取り、初めて合作の試みをするとの事で、映像界隈では色めき立っていたとの事。
それから暫くして、珍しい監督同士の合同映画制作が発表されオーディションの正式発表もなされた。
【挑戦者求む、新しい扉を開けるのは君だ】
そんな挑戦的なキャッチコピーのもと、驚く事に一般からも応募を受け付けると打って出た大々的なCMに世間がざわりと波立つ。
それぞれ毛色の違う作品を手掛ける異色の監督同士が手を取る事にも十分驚かされたが、募集要項には年齢、性別、職業、経験全てが不問と記されており、一体どんな物語になっていくのだろうかと言う期待、どんな人々が集まって来るのだろうとワクワクした。
何より公募されたと言う事は、一般である者に正当にチャンスが回ってきたと言う事。何を置いてもこれを逃す手は無いだろう。
「やるしかない!」
一次選考はよくある書類審査である。
オーディションは主に、会場型とこうした書類選考とにまずは二分割される。
会場型は実際に見てもらってPR出来るので人となりは分かりやすい。熱意の色も伝わりやすいという利点があるものの、会場を貸切ると言う事はやはり莫大な資金が必要であるし、また、最初から日程を定めなければならない事から『行ける人』だけを招く事になるのだ。
一転、書類ならば誰しもに等しくチャンスがある上、公募側としてはより広く多くを集める事が可能であり、双方に利があると言えるだろう。
以上の事から、どのオーディションでも基本の第一次選考は書類審査になる事が多いのだとか。
そうは言っても、履歴書を書く事などアルバイト先に提出した高校1年生の時一度きり。
プロフィール欄はすぐに埋まったものの、自己PRの部分で躓き、テーブルでウンウン呻っているとお母さんが顔を覗かせた。
「ふむ、自己PRねぇ、これ意外と難しいよね。自分の事書くのって」
「そうなんだよ、色々と考えてみたけど……どれもありきたりだし、そんな事PRにもならないだろうなと思う事ばっかり。皆も出来て当たり前の事を書くなんてな……ま、それしか無いんだけどさ」
「うーん、なる程ね。……でも、そこは特別な事でなくても良いのかもしれないよ。まぁ、特異な事を出来た方が目立つかもしれないけど、今回公募された物は一般からも多く寄せられると思うのね。
当たり前の事を出来ますとか、諦めない事が得意ですって【言うのは簡単】だけれど、じゃあ実際出来る人がどれくらいいるんだろってね。だから、強味と思うなら、強味として書いて問題無いんじゃないかな」
「うーん、そうなのか? そういうもんなのかな……あ、じゃあさ、」
それから、お母さんから見た僕の長所と短所を質問してみると、今までの生活歴から遡って色々と聞く事が出来た。
幼い頃は活発で元気に走り回っていたり、ちょっと人見知りな所があったかと思えば、公園で知らないお兄ちゃん二人と仲良さそうに話してたり、遊んでもらっていたり、良く食べ良く眠る子だった。その頃からお友達には優しくて、関心してた。
砂場で喧嘩して引かない事もあったけれど。
こうと決めたら、やりたい事に向けて出来なくとも泣きながらやり抜く子だった。
特に逆上がりは手に豆を幾度も作りながら練習をして、出来るようになった。
小学生の時は体育と運動会が大好きで、算数、理科、社会などの勉強は割とそっちのけでだった事。でも、漢字は好きで覚えては家族中に見せて回って、頭を撫でてもらうと満面の笑みで満足気に笑ってまた勉強に励む事。
中学生の時は、家族が大きく変化して大変だったけど、落ち込むお母さんと良子おばあちゃんを沢山励ましてくれて、笑わせてくれたり、人の感情を読んで行動するような事が何度もあった。
新しい夢を見つけて、どうしようかと悩んでもいたし、出来る事を探していた。
歌についてはちょっと難しかったみたいで断念したけれど、毎日何かしら歌の練習もしている事。
高校生になったら、逞しくアルバイトを始めて自分の夢に向かって本格的に走り出して、一日をフル活用して頑張っている事。
等々、聞いていてこっちの顔が赤くなるような事を事細かに話してくれたし、思いを巡らせるお母さんは凄く楽しそうな顔をしていた事が印象に残っている。
後は、学校の先生や同級生達が僕に対してどうだったのかなどを思い返して書き出していく。
・ひた向きに練習に励める事
・体力作りを毎日欠かさず行っている事
・諦めない事
・変化を楽しめる事
ざっくりすると、この4点が強調出来る部分だと纏めるに至った。
最後に志望動機の欄。こちらの方が書きたい事、伝えたい事に力が入ってスラスラと書く事が出来た。高校の授業でノートを書く事には慣れているが、対人に宛てた物は不慣れで下書きをしてから何度も字の間違いは無いかなど確認してから、なるべく丁寧に清書するよう心掛けた。
清書するにも手に汗握ったが、乾いてから消しゴムがけする時の方が破けたりヨレたりしないかとハラハラしながらも書類を完成させる。
ひと息ついてからコンビニまで走っていき、横の証明写真機で緊張しながら写真を撮る。ちょっと表情が硬すぎたかもしれないと心配しながら持ち帰ると、台所に立っていたお母さんが覗き込んで来てふふっと笑う。
「ちょーっと緊張しすぎな顔で笑ってるね。けど、新しい事に挑戦したいって意思もちゃんと分かるよ、自信もっていこう」
パシッと背中を叩かれた。
切り取って糊をつけ、枠に沿って丁寧に貼り付ける。準備は出来た。後は、投函するだけだ。
一次審査にも進んでいないのに、もうドキドキしている。気が早い心臓を落ち着かせながらポストへと向かったのだった。
そうして意を決して応募した後、応募先から届いた通知は一次選考不合格の報せだった。
一次選考の応募期間は約ひと月。
その中でもA・B・C組に分かれての公募、どの期間に応募するかは自由だが、応募は一度のみと言う決まりがあった。
応募した期間毎に組み分けされ、それぞれからキャストが選ばれる仕組み。
無事、一次選考を通過した者は二次選考へ進む。これは対面になるとの事だった。
その二次で全てが決まる。
普通、不合格通知が来たのならばそこで潔く身を引くべきなのだろう。正直、夢は叶わないんだ、チャンスさえも物に出来なかったのだと愕然とした。やっぱり駄目なのか、こんな光る物の無い僕では……と膝を抱えたけれども、思考は直ぐに持ち直した。
どうしても引けなかった。『今回は残念ながら、』の文字を眺めながら応募先の住所をじっと見つめている内に、改めて手紙を出そうと思い至る。
裕福ではないから養成所には通えないが、生きる指標となった憧れの俳優さんが居る。その方と共演する事が生涯の夢。
『家族を題材としたこの映画にどうしても出演したい』
独学でしかないけれど演じる事が好き、体つくりの為に毎日欠かさず発声の練習から筋肉トレーニングを行い柔軟もしている事。
母や、祖母を笑顔にする為、又自分の夢の為に諦める事が出来ない。
等々、綺麗な言葉を選んで並べられた訳では無いが、便箋に思いの丈を書き連ねては封を閉じ、ポストへと投函しに行く。
不合格通知を受けた直後から続け、週に一度のペースで手紙を送り続ける事3度目、オーディション受付もC組最終週であり高校の卒業式も間近に迫った日の朝がやって来た。
この日も前日に出来るだけ丁寧に丁寧に認めた手紙を手に朝一番でポストへ投函しに行った。
「どんな事でも頑張ります、どうか届きますように」
口に出し、また、心の中でも強く念じながら出した手紙はストンと音を立てポストの底に着く。
「よし、このまま走り込みだ」
ポストへ一礼してから、パンッと頬を両手で挟んで走り出す。
足元の水が跳ねる。
前日に降った雨は朝には上がっていて、太陽を映し込んだ薄い水溜りが揺れた。