うねる発光鯨
【期待の大型新人が映画主演で鮮烈デビュー】
18歳でついたこの謳い文句は、走り出した僕自身や周囲の予想など遥かに超えて、あっという間に世界中を巻き込み、作品が知れ渡る毎に僕の知名度も跳ね上がっていった。当時は休む間も無く、昼夜問わず舞い込んでくる様々なオファーに食らいつこうとマネージャーの佐久賀さんと共に必死だった事をよく覚えている。
ただの素人18歳が映画で主演、しかもそれでデビューを飾るなんて前例がない。皆、ある程度知名度が高まりブランドとしての【存在価値】が少しずつ定着していくと重要な役を獲得出来たり、抜擢されていくものだ。
それなのに、演技のえの字も知らないような奴がポッと湧き出て広く活躍をしていくので面白く思わない人達も沢山居た。
長い事事務所に所属してはいるものの、主演や目立つような配役を任されず活躍出来ない人達は五万といる。
よくある通行人役、俳優でなくとも出来るエキストラに混ざり、雑踏の一部として居るだけだとか。現場で居合わせると分かりやすい嫌がらせを受けた事が何度かあった。
『どうせ、お前なんてすぐ飽きられる』
『どんな汚い事して入って来たの?』
『君みたいな社会を何にも知らない人間がさ、調子乗ってるだろ』
『あんな演技してよく恥ずかしくないな』
悔しかったのに、当時は言い返せなかった、何一つ。
何より、僕以上に休む間も無く走り回ってくれていたマネージャーの佐久賀さんの悪口を言う人が居たり、僕の親はどうのと悪い噂を好き放題流す人も居た事がきつかった。
僕が出現した事により、更に出番を失っていく人達からの心ない言葉がちらほらと聞こえる。言葉はどんな刃物よりも鋭利で深く突き刺さる。夜な夜な反芻しては、何故何も言い返さないのかと自問自答する。
「いつかドッキリさせられるんだから今の内に慣らしておいてやるよ」と椅子の留め具が外されていたり、楽屋に突然ドヤドヤ入って来て用意されたお菓子や共演者の方からの差し入れと飲み物を全て食べ散らかしてただ帰っていくような人達にも出会った。
『次回はもっと気の利いた物用意するように言っとけよ、差し入れのセンスの無い奴だな、ぎゃはは』
いい歳した大人がこんな事するのかと、当時は少なからずショックを受けたが、反面こうも思っていた為逆に彼らに対して憐れみすら感じていたのかもしれない。
【なんて可哀想な人達】
成功者のインタビューでよく聞く名言の中に、努力は裏切らないと言う人は多い。
けれど、その中には時の波に乗れるか、掴んで行けるかと言う運要素と言う物も多分に混ぜられているので一概に言えたものではないと思う。
若い頃からその道一本を目指し、アルバイトも掛け持ちながら苦労して苦労してやっと役を掴めるようになっていく事も多い芸能界。親元を離れて地方から上京してみても物価は高く、一人で暮らしていくだけで精一杯。だが、スマホやPCを使っての情報収集は欠かせないし、更には人脈を広げる為の交友の場も求めて彷徨わなければならない。お金がいくらあっても足りない。
であるからタイムリミットを定めて、これまでに成功出来なければキッパリやめて一般社会人として働こうと。そんな人達も星の数いる。僕に突っかかってきた人達はそんな人達が多かった。
僕の事が目の上のたん瘤、と言うより本当に本当に目障りだったのだろう。
その他、二世と呼ばれる親が芸能界で既に活躍している人達からも眉を顰められる事が結構あったのだ。自分達には、存在感の消せない【親】が大きすぎていつまでも付きまとうと言うのに、素人が何のしがらみも無く好きに自由に大役を掴み、毎日テレビに映る仕事がもらえる。
比較される対象が大きすぎてプレッシャーは半端ではない。
出て来た僕との比較のされ方はそれぞれお世辞にも優しいと言える物ではなく、どれも辛辣な物ばかりだったのだ。
何となくで分かってはいた事だけれど、そんな方向の一部からは、いくら人気が出ようとも冷ややかな視線を向けられていたものだ。
当時走り出したばかりの僕は本当に小心者で、周囲から言われた事をそのまま受け止めてしまった。
『早い所辞めた方が身のため』
『天狗様は手酷く鼻っぱし折られないとけないんじゃね』
『彼は高校を卒業してからデビューってねぇ、俳優についてスクールにも行ってないみたいですし、あの誰とは言いませんが真似たような演技で評価されるんなら僕にだって出来ますよあはは』
『映画観に行ってきたが本当に大したことがない、うちのメロちゃんの方がよっぽど賢くお座りが出来ますよ』
『役から降りろ、〇〇さんに譲れ』
『分不相応』
天狗になった事など一度として無かった。凄い俳優や女優の先輩達が手の届かない所に居るんだ。その背をわき目も振らずにただ懸命に追いかけて来た。
演技をこれでもかとコケ下ろす評論家に酷評されて、それをどこ吹く風といなす鋼の心臓は持ち合わせておらず、マネージャーの佐久賀さんにも事務所にも多分に迷惑を掛けてしまった時もあった。
けれど、そんな激流を行く中でも完全に折れなかったのはこの姿を喜んでくれる人が居たからだ。
ずっと支えてもらって、いつも元気をもらってきた。
マネージャーの佐久賀さんは「周囲の意見も時には必要だが、傷をつけるためだけの悪意には耳を傾けなくていい。どこぞの誰が何と言おうと、俺は夏人の演技も歌声も好きだ。夏人が一番輝ける場所を一緒に作っていくんだ」
常に側で見守り、勇気をくれる。兄弟が居たのならばこんな頼もしい人が良いなと思う事もあった程助けてもらっている。
本当なら、この姿を一番に見せたかった人達も居たのだけれども、既に空へ片道切符の旅行済みで見せる事も感想を聞く事ももう出来ない。だから、自宅の玄関に笑顔で居る写真に手を合わせ、何とか活動を続けられている事を報告するのが唯一僕に出来る事だ。
僕がそうであったように、華やかな表舞台に憧れる人は数多く居る。
有名になりたい
子供を著名にさせたい
大金を手にしたい
演じる事が好き
撮られる事が好き
表現の自由を求めて
夢を抱いた卵達は皆叶えるべく道を進むが、当然一筋縄ではいかない業界である。
今や、それを手助けする学校なども増えたものだ。大人も子供も性別も関係なく受け入れられる。都会はその数も尋常じゃなくて、叩く扉を間違えれば大惨事に繋がりかねない闇さえも孕む。特に、若くて可愛い夢見がちな女の子は特に注意が必要だろう。
実際には、華やかな表で働けて、その状態を維持出来る人は一握り。常に新しい刺激を求めて業界は巨大な発光鯨のように波の中を突き進んでいく。
しがみつくだけで必死なのに、高く上がった尾びれは数多の人を容易く振るい落とす。そうして叩かれれば一気に水底へ沈む。動きながら進んでいく巨体からうっかり足を滑らせ、掴んだ手を離し転落しようものならば、その者の未来が今後輝く事は無いに等しい。
一般人に戻る事も許されず、死ぬまで追いかけて来る執拗なレンズと人の興味と悪意をも背負いながら生きていくしかない。
それか、年月を経て風化するように完全に人々の記憶から居なくなるかのどちらか。
この華やかな世界は、派手かつ優しい色を持ち合わせながらも、根本は人々の娯楽関心を満たす大舞台のエンターテイメントである。
であるから、舞台に立つ者とそれを支える裏方は皆全てが演者であり役者。
荒波のように自在にうねる業界の中で脚光を浴びると言う事はとてつもなく大変で、少しでも気を抜こうものならば、ばっさりと舞台から放り出されてしまう。
常に関心を集めておく術を何とか身につけておかねばならない。一個人をきちんとブランディングする事は、広い業界の中で確固たる席を確保出来る事と同義。
それがどれほど重要かと言う事を、この世界に身を置いてから改めて知る事となった。