表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

8/138

第8話 7188④

 細い廊下を駆け抜ける。骨董品屋の親父さんが怒鳴っていた気がしたが今はそれどころではない。俺は1秒でも早く咲良さんに追いつかなければならないのだ。

 今日は咲良さんに誘われて、喫茶店に行っていたはずなのに、すっかり惑わされて鼻の下を伸ばしてしまった。彼女がどんな思いで俺のことを誘ったのかは分からない。だが、少なくとも咲良さんは良い気分ではなかったはずだ。俺が逆の立場ならそう思う。そして、異性を誘う勇気もまた尋常ではないエネルギーを使っただろうに。


「い、いた!」


 商店街に出ると咲良さんの後ろ姿が見えた。慌てて駆け出すが、夕方の商店街は混雑していて、思うように近づくことができない。ようやく雑踏を抜けて、あたりを見渡すと咲良さんは歩道橋を渡り切ったところだった。


「咲良さん!待ってください!」


 呼吸が苦しいが、精一杯声を上げる。胸が燃え尽きそうなほど熱を持っていた。これは全力疾走した弊害か、あるいは……

 俺の声に気付いた咲良さんは、その歩みを止めた。チャンスだ。今、追いつけないならばこの先はない。悲鳴を上げる体に鞭を打ち階段を2段飛ばしで駆け上がる。

 歩道橋の上から見渡せる範囲に咲良さんの姿はない。避けられているのだろうか。もう顔を見たくないということなのだろうか。足を踏み出すほどにマイナスエネルギーが体に蓄積していく。焦る気持ちと反比例するように疲弊した足は速度を落としていった。


 歩道橋を渡り終えた俺は、完全に彼女を見失ってしまった。ここまで全力疾走だった俺は、肩で息をすることしかできない。大声で咲良さんの名前を呼ぼうとするが、咳き込んでしまう。もはや、ここまでか。

 思い返せば、彼女に対して俺は何をしていたのだろう。これまで自発的に何かしたことがあっただろうか。全て彼女のお誘いに乗っただけ。挙句の果てに違う女性にうつつを抜かす醜態。幻滅するには十分すぎる。


 諦めようとしたその時、俺の背中に何かが触れた。さすられるほど呼吸が落ち着いていく。まさに手当てだ。不思議に思い、顔を上げるとそこには咲良さんがいた。


「さ、咲良さん……?」

「はい、なんでしょうか」


 歩道橋の陰に彼女はいた。不安げな顔で今もなお背中をさすってくれている。女神降臨としか言いようがない。徐々に呼吸も落ち着いてきた。


「す、すみません。せ、せっかく誘ってくれたのにあんな態度で……幻滅したよね」


 口から出たのは、手当に対する感謝ではなく謝罪。もとい、咲良さんに何を言われても自分が傷つかないようにする予防線。我ながら小さい人間だと思う。その証拠に未だに息が整わないふりをして、再び顔を下げていた。


「そんなことないです。それに私こそごめんなさい。急に飛び出したりしちゃって。その……なんて言うか、清隆さんが追いかけてきてくれて……嬉しかったです」


 罵倒されることすら覚悟していたが、咲良さんの口から発せられたのは「嬉しかった」という言葉。本当に女神なのだろうか。急に彼女がそこに実在するのか不安になって、飛び上がるような勢いで頭を上げる。側から見れば歩道でヘッドバンギングを始めた不審者のようであったろう。許されると分かった途端、顔を見れるようになる小心者なのだ。


 そこにいたのは間違いなく咲良さんだった。自分の発言に対する照れ隠しなのか、夕陽を眺めているようだ。髪を耳にかける動作にどきっとさせられる。


「咲良さん」

「はい」


 呼びかけに応じて、彼女と目線が合う。夕焼けに照らされた彼女もまた素敵だ。


「今日はありがとう。そして、ごめんなさい」


 今度こそ目を合わせて伝え、頭を下げる。自己満足かもしれないが、ここで謝罪の気持ちを伝えなければ、先に進めないような気がした。仮にこの先も咲良さんと会う機会があったとしても今日までと同じ関係ではいられない。そんな予感がするのだ。


「頭を上げてください。それに謝罪の言葉なら先程すでにいただいていますから、もう気にしなくてもいいんですよ?それに香澄は魅力的な女性ですから、女の私でもああなるのは分かります」


 そう言って、咲良さんは笑顔を見せるが、どこか寂しげな表情だった。逆の立場ならどう思う?俺は彼女のような対応ができるのだろうか。


「私は香澄のように胸も大きくありませんし、あんなに真っ直ぐに男性をお誘いすることはできません。そんな私でも清隆さんと過ごしていたこの数日とても楽しくて……それが終わっちゃうと思うと頭の中がぐちゃぐちゃになっちゃったんです」

「咲良さん……」

「す、すみません。今日は私、変みたいです。せっかく来ていただいて申し訳ないですけど、ここで失礼しますね」


 咲良さんは俺に背を向け歩き出す。これでいいのか俺。彼女にあんな顔をさせておいて許されると思っているのか。たとえ天の神が許しても俺自身が許せない。今度は俺が踏み出す番だ。


「あ、あの!」


 声がひっくり返ったが気にしない。咲良さんが足を止めてくれているのだ。ここで勇気を出さないでどうする。


「も、もし、良かったら、本当に俺とで良かったら、今度またどこかに行きましょう。必ず俺から連絡します!」


 咲良さんは、こちらを振り返らずにこくりと頷いてくれた。どんな表情をしているのか分からないが、今はそれだけで十分だった。そして、そのまま姿が見えなくなるまで見送った。


 1人になった歩道で立ち尽くす。イケてるメンズなら、俺がいればどこでも素敵だろ?的な歯が浮くような台詞がぽんぽんと出てくるのだろうか。あいにく俺には、たどたどしい台詞が精一杯だった。

 それにしても誘いを受けてくれるってことでいいのだろうか。社交辞令的に頷いただけではないのか。急に不安に駆られる。

 そもそも彼女が好きな場所は?食べ物は?曲は?どこに誘えば喜んでもらえるのだろう。王道?それとも邪道?いくら悩んでも答えは出ないが、少しでも気をひけるように努めなければならない。

 

 俺はまだ彼女のことを何も知らないのだから。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ