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第73話 夏祭り⑤

 手を洗いサイン色紙を探す。咄嗟に出た言い訳だったが、延長戦に繋がった。これで俺の我慢も報われるってもんだ。

 歴史がある大学なだけあって、業界問わず名を馳せた卒業生は多い。最近で言うと、連日テレビに出演している売れっ子アイドルもこの大学を昨年卒業したらしい。在学中も登校するだけで人だかりが出来るくらいの人気っぷりだった。もっとも、ハロファク以外のアイドルに興味がない俺には関係がない話だ。

 つまるところ、有名人の人気にあやかろうとする大学が様々な催し物に招待したり、わざわざ出向いて卒業生の成功を称える際に、ついでにいただいてきたサイン色紙やグッズが山ほどあるわけで。1階と2階に特設コーナーを設けて展示しているものの、鍵のかかった倉庫にもぎゅうぎゅうに詰め込まれているそうだ。まぁ、その多くは旬が過ぎ去って世の中から忘れられていった先輩方だが。


 咲良に1階を任せて、俺は2階へ上がった。どうやら何人か人がいるらしい。今頃、駅までの道は大渋滞だろうから時間をつぶしているのかもしれない。もしくは、メイン会場からトイレを求めて流れてきた人達か。

 さてさて、あまり時間をかけてしまっては、ごまかした意味もなくなろう。幸い、サインの傍らには誰の物か表示がされている。これがなければ、記憶の中の中村先生の絵を頼りに探す他なかった。

 野球選手、漫画家、水泳選手、棋士、ゴルファー、政治家、芸人、彫刻家、五十音順でもなければ寄贈された順でもなさそうだ。


 1つ1つ指で撫でるように差しながら探していると、少し離れたところで若い男女の歓声があがった。どうやらお目当ての有名人のサインを見つけたようだ。興奮気味にスマホで写真を撮っている。俺も早いところ見つけて咲良と合流したい。流石にここまで見つからないと焦ってくるぞ。


 いよいよ、このフロア最後の曲がり角。ここになければ2階にはないということになるが、咲良から連絡がないところをみるに、下にあるのも確定していない。さっさと確認してしまおう。


 上から下へ、左から右へ。探せども探せどもお目当てのものは見つからない。アナウンサーやプロゲーマーのサインまで置いてあった。経営サイドの貪欲さがうかがえる。全くもって頼もしい限りなのだが、もう少し学費を安くしてもらえると言うことはない。


 最後の棚も腰を落としてガラスに指紋が付きそうなくらい近づける。中村、中村……っと。そして、触れ合う指と指。指?


「きゃっ!」

「わ、わ、わ、すみません」


 夢中になって探すあまり、人が近づいていたことに気が付かなかった。触れた指は、白く長く、傷ひとつない陶器のように綺麗なものだった。


「あっ、ごめんなさい。私ったら夢中になっちゃって」

「いえいえ、俺の方こそ」


「……あれ?勘違いだったらごめんなさい。清隆君……ですか?」

「そうですけど……どこかで――」


 切れ長な目に抜群のプロポーション。服装も相まって、アナウンサーと言われても信じるだろう。この女性を俺は見た覚えがある。そう、見た覚えはあるが、会ったことはない。いや、正確に言えば、大人になってからは会ったことがなかっただ。

 脳裏に浮かぶのは、母さんから見せられたスマホに映し出された1枚の写真。


「――もしかして、紅麗奈……さん?」


 昔は、くーちゃんか紅麗奈ちゃんとでも呼んでいたのだろうが、久しぶりに会った身としては、馴れ馴れしく呼ぶことはできない。そもそも、名前すら覚えていなかったのだから。


「嬉しい!覚えていてくれたんだ!」


 喜びを爆発させた彼女が、俺に抱き着いてきた。甘いシャンパンのような匂いがする。そして、抱きしめ返す勇気もない俺の両の手は宙に浮いたまま止まっていた。


「あ、あの、紅麗奈さん?」

「昔みたいに、くーちゃんって呼んでくれてもいいんだけど?」

「そ、そんな風に呼んでいたんだっけ?」

「ひどーい!そんなんなら、私もきーくんって呼んであげないんだから!」


 そう言って、紅麗奈は俺から離れた。腕を組んで分かりやすく怒っているアピールをしている。見た目と違って中身は幼いようだ。


「ごめんごめん。本当に俺って、そんな呼び方してたの?」

「ひどーい!」


 むくれた彼女を宥めていると電話が鳴った。咲良からだ。紅麗奈に一言断ってから通話ボタンを押した。


『もしもし、清隆くん?こっちに中村先生のサイン色紙あったよ』

「やっぱりそうだったか。いや、全然見つからなくてさ。今、そっちに行くね」


 久方ぶりの再会は嬉しい限りなのだが、今は夏の一大イベントの途中なのだ。いつまでも昔を懐かしんでいるわけにもいかないだろう。


「ごめん、紅麗奈さん。友達を待たせているから、俺、行くね」

「……清隆君は、この大学に通っているんでしょ?先生から聞いてる」

「そうだよ。紅麗奈さんは隣町の大学でしょ?またどこかで会えるかもね」

「そうね。そうなると面白いかも。また近いうちに会おうね」

「意外とすぐに会うかもね。じゃあ、また」


 このまま進めば、階段があるはず。丁度、上ってきた階段からフロアを一周した形だ。


「あ……待って!」


 紅麗奈さんを追い越したところで、彼女に呼び止められる。まだ何か用だろうか。母さんの話なら、今はそれどころではないのだが。


「浴衣似合ってるね。彼女さんとデート?」

「ありがとう。彼女とではないよ。友達と来たんだ。じゃあ、またどこかで……って実家に帰った時にタイミングが合えば会えるか」

 

 後半の部分は、独り言のように話して、小走りで階段を目指した。


「清隆くん、こっちにありましたよ。早く早く」

「あー、やっぱり1階にあったのか。見つからなくて焦っちゃったよ」


 階段を降りたところで待っていた咲良は、俺を見つけると駆け寄り手を掴んで、お目当てのものがある場所へと俺を引っ張っていく。中村先生のサイン色紙を見た興奮を早く分かち合いたいのだろう。

 それにしても、どうして階段の下で待っていたんだろうか。ここまで来たのなら、電話よりも直接呼びに来た方が早かったろうに。

 次回更新は、10月30日(日)の予定です。

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