第6話 7188②
「いらっしゃいませ」
店内に入るとエプロンをしたナイスミドルに迎えられた。俺は、大学からほど近い商店街の地下にある純喫茶『7188』へ咲良さんと共にやってきた。聞けば、前から気になっていたこの場所に1人で来る勇気がなかったらしい。
「へーこんな雰囲気の良い店があったんだなぁ」
暖色系のライトに照らされた店内は、どこかムーディな雰囲気を醸し出してる。BGMはジャズだ。昔、父ちゃんが聞いていたピアニストの曲に似ている気がした。おそらく、あそこに見えるオーディオ機器も店主(いや、この場合はマスターか?)のこだわりが詰まっているのだろう。好きなわけではないが、そういったこだわりの話を聞くのは大好きなので、ぜひ解説願いたいものだ。
「お兄さんは、何がいいのかな?」
後ろから声がして振り返るとナイスミドルが微笑んでいた。あれ?咲良さんはいつの間に注文を終えていたんだ?自分が思っているよりも機材に見入っていたようだ。
「え、えーっと。コーヒーお願いします」
「砂糖はお使いになられますか?」
「ブラックで大丈夫です」
注文を終えた俺は、すでに案内されたのであろう席についていた咲良さんの正面に腰掛ける。薄暗い店内で見る彼女もまた素敵だ。
「今日は、わがまま言ってすみません」
「気にしなくていいんだよ。こんな素敵なお店を知れて俺も嬉しいし。それにしても変わった名前の店だ」
7188。なんて読むんだ?なないちはちはち?語呂合わせも思いつかない。店主もといマスターの思いれのある数字なのだろうか。
「聞いた話ですけど、この店の電話番号の下4桁らしいですよ。ほら、これ見てみてください」
咲良さんは、テーブルに置いてあった妙に小綺麗な灰皿を指さす。そこには、ここの電話番号が書かれていた。なるほど。確かに電話番号そのものを店名にしたことがうかがえる。それにしても、壁に大きく禁煙の張り紙を張っておきながら、灰皿を置くとはどういうことなんだ?この店のシンボル的なものなのだろうか。
「随分思い切ったことをするもんだなぁ」
「昔からあるみたいですし、喫茶店ブーム時の生存戦略だったのかもしれませんね」
自分が今座っている席の机や椅子も多くの人が触れてきたのだろう、所々塗装が薄くなっていたり、角が丸くなっていたり、使い込まれていることが良く分かる。長年、この地域の人達に愛されてきたのだろう。初めて来た俺もすっかりこの雰囲気が気に入ってしまっている。良い店だ。
「お待たせしました。ごゆっくりどうぞ」
そう言ってマスターはコーヒーをテーブルへ置いて奥へ引っ込んでいった。
真っ白なティーカップに注がれた真っ黒なコーヒー。白と黒の美しいコントラストはパンダだけの専売特許ではないのだ。
「では、さっそく」
ソーサ―を離れたカップは、俺の口へと近づくにつれて、その匂いで自己主張を始める。美味しいコーヒーですよと。口に含む。うん。ほのかな酸味のあるまろやかなコーヒーだ。酸味のあるコーヒーは好き嫌いが分かれるが、とても飲みやすい部類だろう。今度、個人的にも来てみようかな。
「美味しいコーヒーですね」
「ええ、俺もそう思う」
咲良さんと俺の味覚は近いのだろうか。それとも、先日のお弁当も含めて一緒に食べた物が単純に美味しいだけなのだろうか。後者のような気がするが、共通点があるということは喜ばしい。
「ここに来るまでちょっとした冒険でしたね」
「確かに。どこに連れていかれるのかと思って、内心ドキドキだったよ」
2人で静かに笑う。他にも数組の客がいて、思い思いに遠慮なく会話を繰り広げているのだが、新参者の俺たちはどこか遠慮がちになってしまう。
7188は、商店街の中央部に位置していた。これまた昔からあるブティックの脇にひっそりとある階段を下った先にある骨董品屋の隣を通って、長い廊下を進んだ突き当りの店だ。人が行きかい賑やかな商店街から離れるほどに心細くなったが、ゴールがここだと知った今は、現世から隔離されるための儀式のようなものだったと思うようになっていた。
「どうやってここのことを?」
そう尋ねてコーヒーを啜る。こんな隠れ家的な喫茶店を知る機会なんてそうそうないだろう。俺だって、この街で暮らすようになって数年経つが、聞いたこともなかった。
「私、よく友達とカフェ巡りをするんです。情報交換もよくするんですが、そこでここのことを教えてもらって」
「なるほど。それは良い趣味だ。俺もこっちに引っ越したころよくやっていたけど、ここのことは知らなかったな。教えてくれてありがとう」
咲良さんがカフェ巡りを趣味にしているとは、新情報だな。合コンの時はそんな素振り見せなかったと思ったが。出されたコーヒーやお洒落な店内を見ても写真を撮ろうとしないあたり、純粋にコーヒーが好きなのだろう。気に入った店は人に教えたがらない性格なのかもしれない。俺もそうだから、良く分かる。だって、それで混んだら嫌じゃないか。まぁ俺の場合はお洒落なカフェというよりも落ち着きのある喫茶店の方が好みなこともあって、あまり同世代に出くわすことはなかったし、試しに連れて行った望は退屈そうにしてたっけ。
「今度、清隆さんのおすすめに連れて行ってください。約束ですよ!」
「約束する。また都合が良い時にでも行ってみようか」
口調は落ち着いているが、内心バクバクである。さーて、どこがいいかな。テーブル筐体が置かれた店に連れて行ってテンションが上がるのは男だけだろうしな。クリームソーダが美味しいあの店が良いかもしれない。見た目も可愛いし、きっと満足してくれるに違いない。
そんなことを考えていると扉の開く音がした。また新しい客のようだ。意外と繁盛しているのかもしれない。そう思ったのもつかの間、俺たちはマスターが出迎えたその人物を見て目を丸くした。
「あれ?咲良じゃん。それとえーっと北上さんだっけ」
合コンの時に咲良さんの隣に座っていた胸の主張が激しい女が、意外な組み合わせと言わんばかりの驚いた表情でこちらを見ていた。