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第4話 お昼ご飯③

 狭いワンルームのアパート。1人暮らしには十分なこのスペースの中央には真四角な机が置かれている。ディスカウントショップで980円で買ったもので、多少年期は入っているが、食事、勉強、読書等多岐にわたって俺の生活を支えてくれる相棒だ。


 今、そこには咲良さんから受け取った可愛い包みが開かれることなく置かれていた。昔流行ったカエルのキャラクターが描かれたものだ。近年、リバイバルブームの波が押し寄せているらしく、街中でも見る頻度が上がっている気がする。つぶらな瞳をしたそのキャラクターと俺は、さながら真剣勝負真っ只中の棋士のように凛とした表情で、かれこれ小一時間向き合っていた。投了はしない。絶対に。


 さて、勢いで受け取ったのは良いがどうしたものか。咲良さんも俺にこれを渡して、講義を受けに行ってしまったのだ。

 あの時、若干顔が紅くなっていたが、熱でもあったのだろうか。それとも、飲み会の疲れが残っていたのだろうか。悩み事のせいで食欲がなかったのかもしれない。体調が悪いのであれば、休養して欲しいと思う。この幸せな時間がまだ続くと思い、そんな彼女を気遣えなかった自分が恥ずかしい。その反面、無理をしてでも夢に向かって頑張る姿は美しいと感じた。


 そんな彼女とは対照的に俺は午後の講義をサボった。信じて大学に通わせてくれている両親には申し訳ない。しかし、身内以外の女性が作った手料理を食べる機会なんて皆無だった俺の青春に差し込んだ一筋の光なわけで。きっと許してくれるに違いない。あ、調理実習があったか。それはノーカンでお願いします。


 目の前のこれは、咲良さんがいつもの癖で()()()()作ってしまったお弁当らしいが、そのまま捨てるのももったいないので、持参していたそうだ。俺に渡したのは、誘った食堂が開いていなかったことを申し訳なく思ったのだろう。……代替案をさっさと提示できない男に対する手切れ金代わりでないことを祈りたい。


「まぁ考えていても仕方がないか」


 ひと呼吸おいて、目の前の包みに手を伸ばす。さっきから腹の虫五重奏(クインテット)のアンサンブルがやかましくてかなわない。体は正直だから困ったものだ。


 包みの中からお弁当箱を取り出す。丸みを帯びた銀色のシンプルな形をしている。これだけでも「おお……」と感嘆の声が漏れる。高校時代、タッパーをお弁当箱代わりにしていた俺とは大違いだ。姿勢を正して、蓋を開けるとそこには彩りよく詰められたおかず達がいた。どの子も早く俺に食べて欲しいと語りかけている気さえする。


「いただきます」


 両手を合わせていただきます。自由奔放に育ててくれた母ちゃんもこれだけは厳しかった。幼いころは、意味も分からず形式的な儀式のようなものだったが、成長するにつれて少しは食に対する感謝のような気持ちが芽生えた気がしている。今回の場合は、このお弁当を託してくれた咲良さんへの感謝の気持ちが1番大きいのは言うまでもない。さて、どれからいただこうか。


 町内豆掴み選手権第2位の巧みな箸さばきで、最初に掴んだのは、ブロッコリーとベーコンの炒め物だ。ブロッコリーのことを小さい森だという人がいる。まぁ一理ある。どう見ても森だもん。ただ、その森にベーコンから染み出た旨味をたっぷり含んだ油が絡み絶妙なハーモニーを奏でるのだ。美味い!


 ご飯の上に乗っているお肉は何者だ?豚の生姜焼きでした。しかも、この味はチューブの生姜では決して到達することができない高みの味だ。しっとりとしたお肉は冷めていてもとても柔らかく、ご飯が進む。これだけでも調理した人の人となりが分かる気がする。美味い!


 その下から現れたのは、ワカメの混ぜご飯だ。いりごまも混ぜ込まれていて、シンプルながらひと手間かかっている。薄味に仕上げられているから、おかずの邪魔はしていない影のボス。そういえば、母ちゃんの作る弁当も混ぜご飯が多かったなぁ。美味い!


 そして、大トリを飾るのはキングオブ卵料理(個人的な意見です)である卵焼きだ!焦げ目なく綺麗にふんわりと巻かれた黄色いお方。咲良さんが甘め卵焼き大好き同盟であることは、確認済み。この卵焼きも期待通りなのだろう。それにしてもどうやったらこんなに綺麗な卵焼きが焼けるんだろうか。まさに卵肌と言っても過言ではない。自分でも卵焼きは焼くが、ここまで上手くできた試しがない。口に頬張るとデザートのような派手な甘味ではなく、素朴な甘味が口いっぱいに広がる。美味い!美味すぎる!!


「ごちそうさまでした」


 気が付けばあっという間に平らげてしまった。お腹が満たされたのと同時にほっとするような幸福感に包まれている。「ご飯は人の心も元気にする」って父ちゃんがよく言ってたな。俺もそのとおりだと思う。たまには実家に電話でもしてみようか。

 

 咲良さんのお弁当は、俺なんかがとやかく感想を言うのが申し訳なくなるくらいどれも美味しかった。食べている間ずっと頬が緩んでいた自覚はある。咲良さんのいるところで食べられなくて良かったのかもしれない。


「咲良さん大丈夫かなぁ。せっかく誘ってくれたのに俺は何にもできなかったな」


 机の下に体を潜らせ大の字に寝転がる。腹が満たされて幸せな気分もつかの間、頭の中を巡るのは今日の自分の行動だ。

 望から言わせると女慣れしていないってことになるらしいが、今日の俺は咲良さんに何かしてあげられただろうか。最初から最後まで彼女に気を遣わせてしまっていた。挙句の果てにお弁当までもらって腹の中に納めてしまっている。おそらく次のお誘いが来ることはないだろう。こちらから連絡するにしても、また気を遣わせるようなことになりそうで、何かきっかけがない限り連絡する勇気がない。


 自分の不甲斐なさにふて寝しようと体を横にする。その過程で体が机にぶつかり、目の前にお弁当用の短めの箸が落ちてきた。ハッとして起き上がる。そして、机の上に置かれたままになっていた空のお弁当箱を見つめた。


「これ……返さないといけないやつでは?」

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