第34話 来訪者②
「それじゃ、またくるよ」
「なんだ、本当に傘返しに来ただけだったのか」
「これからバイトだから、また今度ゆっくり来るよ」
「あ!そうだそうだ。まだ時間大丈夫だろ?ちょっと待ってな」
おばさんが再び奥へ引っ込んで行った。入れ違いでお客さんが来てしまったから、邪魔にならなそうなところへ避難する。おやっさんの軽快な接客が心地良い。
「清隆……清隆」
「ん?この声、どこから……」
俺を呼ぶ声が聞こえるが、かなり小さい音だ。ふと、視線を感じた方向へ顔を向けると、おばさんが店の奥で手招きをしていた。部外者の俺が入って良い所とは思えないのだが。
接客中のおやっさんに目で訴えると、1度だけ頷かれた。これは奥へ行っても大丈夫だということなのか?
うだうだと悩んでいると、徐々におばさんの腕の振りが大きくなり始めている。このままだと千切れんばかりの勢いだ。おばちゃんごめん。気付いてはいるんだ。
「お邪魔しまーす……」
おっかなびっくり店の奥へ入り込む。他のお客さんが不思議そうな顔でこちらを見ていたが、そりゃそうだろう。この店の常連ってだけの学生なんだから。
「やっと気付いてくれた。それに背筋伸ばして歩けっていつも言ってるでしょう」
「いや、ただの客がここに入って良いものなのか分からなくて」
おばちゃんがため息混じりで迎えてくれた。この場面で胸を張って歩けるような度胸があれば、今抱えている俺の悩みの大半は解決するっての。
「なに水臭いこと言ってるんだい。こっちの部屋はお菓子を作る機会があって危ないから入っちゃだめだけど、こっちは私達の生活空間なんだ。あんたがいたって不思議じゃないだろ?」
おばさんが開けた戸の先には茶の間が見えた。おやっさんが子どもの頃から置かれているであろう年季の入った茶箪笥が置かれている。実家を思い出すレイアウトで、目頭が熱くなった。
「なにじーっと見つめてるんだい?ほら、入って入って」
「……はい。お邪魔します」
目をゴシゴシ擦ってから靴を脱ぐ。茶の間に入るとおばさんが座布団を出してくれた。これも久しぶりだ。今年はいつ実家に帰ろうか。
「ちょっと待っててくれよ。その辺に座っててもらって構わないからさ」
おばさんは俺の返事を待たず、奥の方へドシドシと歩いて行く。1人残された俺は、座卓の近くへ座布団を敷くが、まだ戻って来る気配がない。ガサゴソと激しい音だけが聞こえている。
暇を持て余した俺は、和箪笥を眺めることにした。上部がガラス戸になっていて、中に飾っている民芸品がこちらをのぞいている。もちろん定番のこけしもある。こっちに来てからあまり見なくなったが、それこそ近所の家にも必ずと言って良いほどあったことを思い出す。実家にもあった。誰かが買ったわけでもないのに気がつくと数が増えているんだよな。
「お待たせ、ほら、さっき話していた温泉旅行のお土産だよ」
額に汗を浮かべたおばさんが持ってきたのは包装紙に包まれた四角い箱だ。温泉饅頭と書かれている。
それを俺の方へ差し出すと目で訴えてきた。受け取れということらしい。
「いや、本当にすみません。俺も今度何か持ってきますよ」
俺は立ち上がり、お土産に手を伸ばす。すると、その箱で頭を軽く叩かれてしまった。全く痛くはないが、痛がるフリだけでもしておこうか。
「なに一丁前に気を遣おうとしてるんだい。大人しく貰っておきなさい。お返しなんてしたら怒るからね」
痛くもない頭をさする俺を差し置いて、おばさんは冗談っぽくそう言う。そして、お土産を受け取った俺が「ありがとうございます」と改めてお礼を言うと嬉しそうに笑った。
「晩御飯も食べていったらどうだい?毎日、父さんの顔ばかり見ていてうんざりしてるのさ。どうせ家に帰っても1人なんだろ?」
「ごめん、おばさん。今夜、バイトあるんだ」
「そうかい。頑張り屋さんだねぇ」
目に見えてがっかりされて申し訳なくなる。子どもたちも遠方に行ってしまって、ご飯の作りがいがなくなっているのだろう。1度だけ2人の息子に会ったことがあったが、気の良い奴だった。
「また今度の機会にお願いします。おばさんの煮物好きだし」
「嬉しいこと言ってくれるじゃないの」
おばさんの煮物は根菜がたっぷりで食べ応えがある。味が染みたこんにゃくもたまらない。用事がなければご馳走になりたいところだが、直前で交代要員が見つかるほどバックアップ体制が充実している訳もない。
名残惜しいが柱にかけられた時計からすると、いただいたお土産をバックに詰め込んで店を後にする時間だ。
「んじゃ、そろそろ行かないと」
「気をつけて行くんだよ。父さんに声かけてから行ってもらっても良いかい?喜ぶから」
「喜ぶかどうかは分からないけど、そうします」
靴を履きつつ、おばさんにそう答える。おばさんは俺のことをその場で見送ると作業所の方へ入って行った。仕事中にも関わらず、親身になってくれる2人にはいつも感謝だ。
店の方まで出てくると、既に話し声は聞こえなくなっていた。おやっさんが接客していた相手はもう帰ったようだ。そんなおやっさんは、奥から出てきた人が俺だと分かって、少しがっかりしているようにも見える。おばさんに店番を代わって欲しかったのだろう。
「じゃあまた。お土産ありがとうございました」
「おう?もう帰るのか?」
「バイトなんです。おばさんの手料理食べたかったけど、それはまた今度ってことで」
「今日もバイトか?頑張るなぁ」
「同じようなことをおばさんにも言われたよ」
似たもの夫婦なんだなと思わず笑みがこぼれてしまう。おやっさんも照れたのか左手で後頭部をかいていた。この時だけは、熟練の職人ではなく少年のようにも見えたが、胸に秘めておこう。怒られそうだし。
おやっさんにも挨拶をしてからスワンポートへ向かった。お土産も元気ももらったし、今日もお仕事頑張るぞ!
かんぱねらを出て商店街へ入ると夕方に差し掛かった時間なだけあって、賑わいを見せている。夕飯の改題だろうか、大きな買い物バックをぶら下げている人が多いようだ。
裏道を行けば人混みは避けられるが、あえて商店街の人混みを縫うように突き進む。この雑多な雰囲気の何とも言えない感じが好きなのだ。
間もなく商店街を抜けるというタイミングで、見覚えのあるシルエットを見つけた。間違いない。咲良さんだ。俺が間違えるはずがない。せっかく会えたんだ声くらいかけようか。
「おー……い?咲良さ……ん?」
呼び止めようとして咲良さんの隣に誰かいることに気がついた。俺の知らない男の人と楽しげに歩いている。内容までは聞き取れないが、満面の笑みで話しているようにも見える。それ、俺に見せたことない顔じゃない?
何も出来ずに遠目に見守っていると、2人は角を曲がってしまって、その姿が見えなくなってしまった。
「……いったい誰なんだよ」
俺の問いに誰も答えてくれない。そして、バイトの時間も待ってくれない。泣くな俺。今はただただ走れ。
次回7月24日(日)更新予定です。




