第2話 お昼ご飯①
スマホから呼び出し音が鳴っている。重い瞼をやっとの思いで開けると、画面には咲良さんの名前が表示されていた。
「……あれ?連絡先交換したんだっけか」
2人だけの2次会は地元トークで大いに盛り上がった。栗登市の風車の話までは覚えているのだが、そこから先は忘却の海に消えてしまっている。
それにベッドの上の俺はご丁寧にパジャマまで着ていた。だが、全く覚えがない。裏表反対なのはご愛嬌だ。
田舎から出てくる時に母ちゃんに「酒は飲んでも飲まれるな」と散々言われたが、美味しいんだから仕方がない。ごめんよ母ちゃん。
「おっと、電話電話……はい、清隆です!」
通話を始めると、俺が1発で出ると思わなかったのであろう咲良さんの可愛い驚いたような声が聞こえた。
『あ、あの……咲良です。あの後大丈夫でしたか?心配になって……』
「あー。それが、どうやって帰ってきたか覚えてなくてさ。……もしかして、迷惑かけちゃったかな?」
状況的に彼女が俺の介抱をしてくれたのだろう。だとしたら、申し訳ない事をしてしまった。初対面の酔っ払った男性を送るなんて怖かったろうに。
『そ、そ、そ、そんなことないです。迷惑だなんて、そんなことないです!帰り道に話されていたハロウィンファクトリーの話も面白かったです』
「……俺、そんなこと話してたの?」
『……?はい。楽しそうに話してましたよ』
や、やっちまったー!ハロウィンファクトリーは、俺が高校時代から推しているアイドルグループだ。トップアイドルとは言えないが、それなりにファンは付いている。
望から聞いた、研修生からなかなか昇格できなかった娘のデビューが決まった話のまとめを読んでいたら、知らず知らずのうちに楽曲を検索していたのだ。そこからどっぷり沼の中。もちろん、握手会にもチェキ会にも行った。
俺の推しの平筒菜美希は、宮城県出身の24歳だ。メンバーカラーは白。ハロファク前に所属していたグループがあったらしく、その頃のファンも少なくない。
大学の親しい友達以外にはまだ秘密にしていたのだが、昨夜の俺は彼女に話してしまったらしい。
「このことはみんなには黙っててくれないか」
『えーどうしよっかなぁ。恥ずかしいことじゃないと思いますけどぉ』
そう言ってくすくすと笑う彼女は小悪魔だ。俺だって胸を張って好きと言いたいが、世間がそれを許してくれない。そんな世の中になれば良いのに。ラブ&ピース。
『まぁ、いいですよ。2人の秘密ですね』
またくすくすと笑われた。2人の秘密……なんかイケナイ響きがするワードだ。胸がときめく。ち、違う違う。そうじゃない。
咲良さんは周りに言いふらしたりしないタイプに見えるが、俺の大学生活の過ごし方がどうなるかは彼女の手の中と言ってもいいだろう。人にとやかく言われたくらいでファンを辞めることはないが、波風立てずに過ごしたいものだ。
『清隆さんって私と同じ大学なんですよね?お昼学食で一緒にどうですか?』
「え?咲良さんと俺って同じ大学なの?」
『ええ。学部は違いますけど。それに同い年です。……昨日の話が本当ならですけど』
しっかりしてろよ昨日の俺。それにしても咲良さんも同じ大学だったのか。まぁ学部もサークルも違うなら顔を合わせるきっかけはないからな。望の交友関係に感謝だ。
え?ってかお昼?学食?咲良さんと?喜んでぇ!
『あのー?お昼の件はいかがでしょう?』
おっと嬉しさのあまり心の声を出力することを忘れていた。レディを待たせてはいけない。
「あ、あ、ごめん。おっけ、おっけー。12時に3号館の掲示板前でいいかな?」
『分かりました。私、これから講義なのでまた後ほど』
「ほいほいー。そんじゃまた」
電話を終えて一息つく。この手の返答は慣れていないせいか、ところどころ声が裏返ったような気がする。それを指摘しない咲良さんの優しさに感謝だ。
通話を終えたスマホの画面には、推しが表示されている。そういえば、咲良さんにどことなく似ているかもしれない。
「とりあえずシャワー浴びて着替えるか」
冴えた頭とは対照的に未だに気怠い体を引きずって、浴室へ向かった。
♢
「この間の埋め合わせは必ずするからさ!」
そう言って、望は俺から離れていく。校内に入ったところで偶然出会ったが、俺のことを置いて行ったことを気にしていたようだ。まぁ、お開きになる直前のゲームの一環だし、俺としても楽しい一夜を過ごせたから感謝している。
ふと声がした方を見ると望が女性が抱き合っていた。また初めましての人だ。この女の敵め。そのうち天罰が落ちるぞ。
だが、今日の俺は余裕がある。いつものむさ苦しい男どもではなく、咲良さんと待ち合わせをしているからだ。「待ったー?」的なやり取りは漫画やアニメで予習済み。抜かりはない。
「ごめん!お待たせ!」
「……え?誰?きも」
ミスった。人違いだ。どれだけ浮かれているんだ俺は。
「清隆さん、こっちです」
咲良さんがひらひらと手を振って苦笑いをしている。最初から見られていたな。過ぎたことは仕方がない。気を取り直さないと。最大級の笑顔で合流しよう。印象は大事だ。
「あれ?その髪型って……」
間違いない。平筒菜美希が5th anniversary Liveでしていたハーフアップをアレンジしたヘアコーデだ。なぜ彼女が。流行っているのか?いや、あの公演自体2年前だぞ。
「変でしょうか?」
頬を紅く染めて毛先をいじっている。あー可愛い。いけない。また出力を忘れているな。
「いやいや似合っているよ!すごく素敵だと思います!」
嘘偽りのない俺の思いよ天まで届け。そして、俺に祝福を。
「よかった〜。私、あんまりこういうの自分でしたことなくて。早速行きましょうか」
「ああ、うん。何食べようかなぁ。昨日はカレーライス食べたから、今日はB定食にでもしようかな。」
そうして、2人は肩を並べて歩き出す。そのリズムに合わせて咲良の鞄付けられた白とオレンジで彩られたストラップが揺れていた。