5 ドM
夕方の五時頃、第一のロッジに到着した。二段ベッドが四組詰められた質素な部屋に荷物を置き、食事に行く。青色とピンク色と黄色は元気に諍いを起こしていたが、ボス以外の富良野一派は静かだった。皆ヘトヘトなのだろう。途中で軽く雪に降られたというのもある。勢いがなくなったのはあの時だ。
食事の後には風呂に入る。このロッジまでは、一応のライフラインが通っている。そうは言っても水は贅沢に使えない。シャワーとは名ばかりのジョウロだったけど、しばらく水道はなしと考えると、ありがたみすら覚えた。
上のロッジでは、水は文字通り「自然の恵み」頼りになる。つまり雨水・湧き水・沢水だ。11月、雨は雪となる。川の水や地下水はそう凍らないとはいえ、使用可能な水量は夏より少ない。
水回りの悪さにイライラした巴ちゃんが、周りに当たり散らさないか心配だ。
「はあ……」
「はあ……」
着替え場を出ると、長椅子に下っ端の少女が座っていて、俺と同じく溜息を吐いていた。瞳はどんよりと曇っていて、とても憂鬱そうだ。
隣に座る。
「お疲れさま」「鈴木さん……。こういうの……まだ続くんですよね……」
「もっとキツくなるはず。君はリタイアすると思ってたよ」
「はは……」
「真面目な話、いや厳しい話をさせてもらうと、ここじゃないにしても、君はどこかでリタイアすべきだ。素人の俺から見ても、登山に体が追いついていないように見える。あまり楽しそうでもないし。ガイドさんに言いにくいなら、俺を通してくれたらいい」
「……明日は頑張ってみます」「そっか」
まあこの貧弱っ子でも、異常事態が起きない限り、少なくとも明日までなら保つだろう。多分。後で山のプロから見解を聞くとして、下っ端少女には、学校での桃架ちゃんの様子を尋ねる。
椎奈ちゃんからの評価(第2章5話参照)の真偽確認も兼ねて。
「君らのボス、ちゃんと、『一群を率いるいいボス』してる?」
「全然してないです」
断言された。いきなりの否定に驚く。セリフのどこかに必ず「……」が付くのがデフォルトのキャラかと思いきや、どうもそうではないらしい。
腕を組む。外部からの評価と内部からの評価がまるで違うボス、本当にいるんだ。確かにあいつ、話すようになったばかりの頃までは天真爛漫で明るい少女のフリをしていたし、外面だけ良く見せることに抵抗はなさそうだよな。
十本爪アイゼン事件で、無関係の巴ちゃんに罪をなすりつけようとしたことは記憶に新しい。身内に対してはぞんざいな態度を取る、俗に言う「内弁慶」タイプなのか。
「えっとつまり、ボスの器じゃ」「ないです」
「例えば部下に暴言を吐いたり、暴力を振るったり」「します」
「他の生徒の飯を奪ったりとかは……」
「それは……多分してないと思いますけど……」
マジで? 舐められてんのかな、俺。
「えっと……とにかく、誰に対しても暴力的で、高圧的で、反抗的な人で。だから、すごく驚いてるんです……。鈴木さんには、ホントによく懐いてて……、あんなに穏やかな顔、初めて見ましたもん……」
ん? 「誰に対しても」?
その言い方だとまるで、桃架ちゃんが、外面をまったく取り繕ってないように感じられるのだけど。なんだか、会話に齟齬を感じるぞ。
「もしかして君は、富良野一派じゃないのかい?」
「え……? あ……はい、違います。言ってませんでしたね……」
富良野一派の下っ端ではなかった少女が、ボソボソと自己紹介を始める。
「数学研究会です……。名前は、跡掛朱美です……」
数学研究会。巴ちゃんが度々口にする、数学好きが集まるグループ。
え? つまりこの少女は、富良野一派ではなく水晴組の子ってこと?
左手の赤玉から波動エネルギーが漏れそうになるくらいびっくりした。その発想はなかった。正直なところ、聞いた今も嘘じゃないかと疑っている。
「数学研究会って、実在したんだ」
「じ、実在を疑われてたんですか……?」
「てっきり、巴ちゃんのイマジナリーサークルかと」
「ああ……酷いですけど……なるほど……」
「百歩譲って存在したとして、あの巴ちゃんから誘われて、登山に来るような子がいるとは考えにくいし」
「そうなんですけど……実際、他のメンバーは断ってたんですけど……。私、人の頼みを断れないタイプなので」
見れば分かるよ。
「それでもやっぱり……誘ったのに全員から断られるって、いくら水晴さんでもかわいそうじゃないですか……っ!」
「損する人まっしぐらな思考だ」
「あと、『せっかくのお誘い』を断られまくって不機嫌になった水晴ちゃんとか、雪山よりも相手にしたくないし……」
「何よりも本音だ」
数学研究会の構造的に、誰かが貧乏くじを引かなければいけなかったのか。
闇が深い。下っ端として富良野一派に入れてもらった方がよほど幸せなんじゃないかと思えるほど不憫だ。
巴ちゃん以外のメンバー全員で数学研究会を脱退してから、そのメンバーで新しく数学同好会を作ったらどうだろう?
「あれ? 『君らのボス』について聞いて、巴ちゃんの話をしたってことは、つまり、数学研究会のリーダーって巴ちゃんなの? 人選ミスすぎる」
「実力主義なので……。水晴さんは勉強関連全般について本当に優れていますし……、媚びれば機嫌よく教えてくれます」
実力のある暴君を拒絶出来ないという実力主義社会の弊害が、如実に表れているな。「頼れば」ではなく「媚びれば」なのが、巴ちゃんのクズさを端的に示している。
「水晴さんに媚びるのは得意ですよ……」
「まあ、あれに平身低頭で尽くせるのならば、大抵の場所でなんとかやっていけそうだけど。君みたいなのがいるから、巴ちゃんは調子に乗るんじゃないか?」
「小学校の頃から一緒ですけど、ずっとあんな感じですよ……」
「よく愛想尽かさず一緒にいられるね。共依存とか起こしてない?」
DV人間とその配偶者との、ズブズブな関係を彷彿とさせる。
ムッとした表情で、跡掛さんはオドオド言い返してきた。
「そんなこと言ったら、鈴木さんだって、水晴さんに付き纏われても、突き放したりしてないじゃないですか……!」
「えーと。あの子と一緒にいるのには、やむにやまれぬ事情がありましてね」
「やむにやまれぬ事情って、なんですか……? ピンクのボス猿と政治犯とも懇意にしてますよね……? 政治犯は『元』ですけど……更生させたの鈴木さんだそうですね……、すごいです」
更生させたわけじゃないんよ、政治犯は。ゴタゴタした家の問題があって、それが、たまたま俺が持っていた「亜人」という特性によって解消されただけであって。
恋心じゃないけど、言えないのがもどかしい。
「話が逸れました……。えっと……髪の派手な女の子を集めて、どうするつもりなんですか……? アイドルでもさせる気ですか……? 水晴さんは失言か暴力で終わりますし……富良野さんは少しでも上手くいかなかったら観客のせいにして不興を買いそうですし……浜世さんは舞台の上でカルトの勧誘しそうですし……。無理でしょう……?」
「意外にも饒舌かつ辛辣だな君」
前二人はともかく、椎奈ちゃんはフォローする側に回ってくれるはず。まあ、プレッシャーで精神を壊しそうではある。
「見世物にするために一緒にいるんじゃないよ」
「……? あの三人をまとめても、苦労するだけですよね……? 苦労が偲ばれます……もっと楽に生きてもいいのに……あっ」
何かに気づいたように、俯いていた顔を上げる跡掛さん。
「鈴木さんはひょっとして……ドM?」
「違うよ?」




