1 今「コレ」が熱い
仮想通貨が流行した時、その名をテレビやSNSで見ない日はなかったが、今や仮想通貨関連の話をする人の数は、ブーム期と比べて格段に減った。
一度火の点いたモノは過熱し、熱されやすい人々を熱狂させる。彼らは取り憑かれたみたいに夢中になり、発情期の犬よろしくやかましく宣伝を始める。しかし、熱が冷めた途端に、真剣にやってた人々を残して、彼らは次なる熱の発生をただ祈るようになる。
熱が生み出した泡は、やがて弾けるのだ。
所詮、一過性のもの。
そして、水面下での熱の高まりを感知することは難しい。特に俺のような、情報にそれほど敏感でもない人間(亜人だけど)が、ニュースや口コミなどを通じてブームの存在に気づく頃には、すでに、バブル崩壊のカウントダウンに入っていると考えていい。
だから、
「今、『コレ』が熱いんですよ。お兄さんっ!」
と、桃架ちゃんがドタバタ俺の私室に走ってきても、安易に乗せられて熱くなることはない。「ははあ、多分『コレ』なるモノはもう終わりかけのブームに違いないが、一人の女子中学生がその最後の悪足掻きに引っかかっちまったんだろうな」と冷静に構えられた。
とりあえず、「コレ」の中身を尋ねる前に、一つ注意しておくべきことがある。
「桃架ちゃん、家の中なんだから靴脱いで」
「あっすみません! つい興奮しちゃってて……」
恥ずかしげに笑い、しゃがんで靴紐を解き始める。まったく、おっちょこちょいさんなんだから。後で拭き掃除をしないといけない。
それはそれとして、もしかして、と考える。多感な中学生が、靴を脱ぎ忘れるほどまで興奮しているとなると、幸運にも、俺はブームの夜明けに立ち会えているのかもしれないな、と微かな期待を抱いてしまう。まあでも、桃架ちゃんも情報に聡いとは言えないただの腹ペコ魔法少女だし、既存の流行が巡り巡ってようやくここまで辿り着いたと推測しておくのが無難だろう。
期待を抑える。
桃架ちゃんはまだ靴と格闘していた。やけに時間がかかっているな。
ん? あれ?
「登山靴じゃん、それ」
「はい、雪山を登りに行こうって話になりまして。あるのが履けるか調べてて」
「へえ。それはいいねえ。山にはロマンがあるからね。ねえ、ところでだけど。ところでなんだけども…………、そのトゲトゲ、ひょっとしてアイゼン? えっ? 雪滑りを予防する、靴に装着して使うタイプの、あの十本爪のアイゼン??」
「そうですよ。へっへー、かっこいいでしょ!」
ブワッと冷や汗が流れる。椅子を蹴飛ばし、ピンクっ子を押し退けて、勢いよく扉を開けた。
廊下、並ぶ、噛み跡、等間隔。
「床ぁああああぁああああああっ!?」
「へっ? あ……っ! えっと、あの、その」
あたふたと慌てる桃架ちゃん。
衝撃の一言を放つ。
「青クズにツケといてください」
「ちょっと待って!? なんで!? 確かにあいつはいつも悪いから後で叱っとくけど、今回の件に限ってはすべて桃架ちゃんが悪いよ!?」
「いえ、そんなことはないと思います。いい機会ですので、ぜひ青クズをガツンと叱ってやってください!」
「往生際まで悪いの!?」
驚愕の嵐だ。巴ちゃんが無自覚に稼いできたヘイトを利用すれば責任逃れ出来ると考えているのかもしれないが、いくらなんでもその目論見は甘すぎる。
大体、俺の飯を奪う君へのヘイトも、ここ半年でかなり溜まってるぞ。長男じゃないから我慢出来ないんだ。熱暴走させるいい機会じゃなかろうか。
「まあまあ。怒りという熱を冷ましてください。所詮、一過性のものです」
「俺のモノローグ聴いてたの? うう、二、三万は吹っ飛んだぞ……」
トボトボと椅子に戻る。
電話でフローリング業者に補修を頼んでから、あまり反省した様子のない桃架ちゃんに向き直った。力なく話しかける。
「いつ行くのかな……」「来週ですね!」
「突然だな……。まあ、もう11月だしね……。エギン、出ないといいけど……」
「そうですね! 出ないといいですね!」
「雪山、楽しんできてね……」「はい!」
元気よく頷く桃架ちゃん。場を勢いで乗り切ろうとしている。こっちはドッと疲れさせられたというに。遭難二日目のテンションだよ。寝たい。
「寝ちゃダメですよ! 冬の山で寝たらおしまいですお兄さん!」
「ここ自宅だよ」
「寝てはいけないという心構えが大事なんです! せっかく私が、今熱い『コレ』の話をしに、動きにくいアイゼン付き登山靴で走ってきたんですよ!」
「別に来なくて良かったよ」
「そんな、冷めてるなあお兄さん! いいえ、冷めているからこそ、今熱い『コレ』で暖まらなくちゃいけないんですよ! それとも、その……私が直接温めた方がいい感じ、ですか……?」
モジモジと顔を赤らめる桃架ちゃんに、冬季エベレスト頂上の極寒に匹敵する冷たい眼差しを向ける。君ら三色娘に情欲を抱くくらいなら、信号機に興奮した方がマシなんじゃないかと思えてきた。
さすがにそれは冗談としても、興味が枯れそうなのは変わらない。頬杖を突きながら、投げやりに尋ねる。
「じゃあ、君の言う、今熱い『コレ』ってのはいったい何だい?」
ブームはいつか廃れる。時が経てば熱を失う。紹介された流行り物は、追いかけ始めた時点ですぐに終息するもので、後には虚しさだけが残るのだ。
だとすれば、熱の在処を知っても無意味なのか? そうは思わない。たとえ一時であったとしても、何かに夢中になった思い出と経験は、かけがえのないものである。彼女が中学生時代、仲間と一緒にどんなものに熱くなったのか、桃架ちゃんの保護者として、記憶に刻んでおくのも悪くない。
やれやれ。小さく笑って腕を組む。
はてさて、中学生女子の間で、どんなブームが花開き、そして散ろうとしてるのかな?
よほど「コレ」なるものが楽しいのだろう。桃架ちゃんは、野原に咲いた花のような表情で答えた。
「美國中学からの、水晴巴除籍運動です!」




