40 調整
術師集団浜世家と、王道少年漫画のように、命懸けで戦え?
意図が読めない。閉口する。どう反応すべきなのか。完全にお姉さんのペースだ。しかし黙ったままでは肯定として捉えられ、とてつもなく悪い方向に持っていかれてしまう予感がする。帰りたくないと伝えなければ。
説得しなければ。
「……あの、避けるべきでしょう。避けられる戦いは」
「いいえ。避けてはなりません。闘争こそ亜人の宿命なのです」
平和論は即座に突っぱねられた。宿命って。
人には自分で運命を切り開く権利がある。違うか?
けども、有無を言わさぬ圧があった。そうか、お姉さんはただの「占い師に偽装した政府機関エージェント」じゃないんだ。もっとヤバい人だ。そう確信した。
姉を巻き込むわけにはいかない。フリでもいい、相手の土俵に寄って、口八丁手八丁でここから遠ざける。どうせ一時しのぎにしかならないだろうが。
「あなたの理屈では、激闘の末に俺が捕らえられ、浜世家の儀式とやらに利用されて死ねば、九日と十三時間後に世界がバランスを崩すんじゃないんですか?」
「安心してください。大丈夫ですから。大丈夫なんですよ」
根拠もなしに、彼女は大丈夫と言い切った。二回も。だったら、そもそもバランス崩壊云々がデマカセじゃないのかと疑う。カルトの布教者でも相手にしている気分だ。
お姉さんに詰め寄られる。唇が触れ合いそうな距離まで。艶かしさなどは一切感じられなかった。鼻は微かに当たっている。お姉さんの呼吸は規則正しい。こちらの息は乱れている。恐怖で。
貼り付けられたような微笑みが、彼女の狂気を物語っている。
ホント、目的はなんなんだ? 俺をあの街に連れ帰って、世界のバランスとやらを保って、いったいこの人にどんなメリットがある?
パチンと音が鳴る。電気が点いた。
闇と半ば同化して見えたお姉さんの姿が、はっきりと浮かぶ。
「昊刃?」
この物件の主、俺の姉。
「その人は、誰?」「えっと――」
「どうも。こんばんわ。帝国のお方の、血縁上の姉にあたる女」
俺を相手にする時の優しい声音とはまるで違う、感情のまったくこもっていない、ひどく冷淡な話し方だった。俺の姉という存在に、まるで興味がないかのような。
「私は、亜人……帝国のお方を連れ戻しに来た者だ」
姉は一瞬戸惑う。しかし、恐怖で固まる俺を見た途端、キッと眉を上げて、口元を引き締めた。肩をいからせ、ズンズンと足を踏み鳴らし、俺とお姉さんの間へと、強引に割って入る。
つい先ほどまで絶縁状態だった弟を、勇気を振り絞って助けようとしてくれている。
啖呵を切る姉さん。
「弟を追い回しているというのは、あなた?」
「失せなさい、下女」
「答えて! あんたが昊刃のストーカーだというなら、今すぐ出て行って!」
「親切にも失せろと言ったのが、聞こえなかったのか? ゴミ」
占い師のお姉さんは、ふわりと腕を振り上げた。
姉の体が浮く。重力などないかの如く。
顔を真っ赤にして、首を掻きむしり、泣きながらジタバタともがく。俺は呆気に取られて、ただただ、眺めることしか出来ない。
「半端者が舞台に上がるな。死ね」
骨が折れる音と、肉が千切れる音。
姉の首がボトリと落ちる。体の方もドサリと落ちる。辺り一面、血で塗れる。
呆然と立ち尽くす。それはあまりにも突然で、凄惨で、首が捻じ切られたのだと理解するのに時間がかかった。
「姉、さん?」
家族と共に暮らした、幼少の頃を思い返す。いじめられただけじゃない。一緒に楽しく遊んだ記憶もあった。
血で滑りそうになりながら、姉の首に駆け寄る。
抱きかかえる。
どうしてこの人が死ななければならない。決まってる。俺が巻き込んだせいだ。言葉にならない声が、体の奥から漏れる。喉が枯れそうなほどに。
怒りと憎しみが、心を黒く染める。
左手から炎が燃え上がる。掌が焼き切れそうだ。
「××××ッッ!」
「嗚呼っ。それが赤の亜人、なのですね! なんと美しい」
××××は、うっとりと頬を赤らめつつ、炎を眺めていた。
渾身の力で殴りかかる。××××は対処の素振りすら見せない。
にもかかわらず、弾かれた。無様にも尻餅を突く。覚えのある感触だった。俺を刺した椎奈ちゃんを追いかけ、飛んで彼女の家に入ろうとして、しかし拒絶された時と同じ。
「すみません。これでは交わることすら出来ませんね。切っておきます」
再び拳を振り上げる。××××の頬に当たった。燃えない、どころか、ピクリとも動かない。硬い。
殴り続ける。効かない。全力なのに。拳が痛くなるだけだった。絶望的な差がある、彼女と俺の間には。しかし、事がここに至って、激情を止めることなど出来るはずがない。
心の底からこの女を嫌悪している。攻撃に没頭した。
殴って、殴って、殴っても、彼女は反撃しない。されるがままだ。ずっと、薄気味悪く笑っている。
無意味な殴打を繰り返して、どれくらい時間が経っただろうか。どうも電灯が壊れたらしい。炎の赤い光だけが場を照らす。
「ハア、ハア……」
「さすがにまだ、出力不足のようですね。ですよね、まだ四ヶ月弱ですものね」
意識が朦朧とする。目の焦点が定まらない。赤玉の炎がプツリと消えた。暗闇の中、散らされた火の粉が燻っていることだけ分かる。
××××。聞いていないはずの彼女の名前を、どうして知っているのか。走馬灯が如く記憶が流れる。そこに答えがあった。
沸々と噴き上がる、この女への、ドス黒い憎悪のワケも。
「クソが……。畜生がっ……、すべて……思い出したぞ……っ!」
「うん? へえ、おやおや」
「俺たちには……もう一人いたんだっ……髪が桃架ちゃんよりもピンクな……違う、最初から……」
「困りましたねえ。ネジが緩んできている」
「どうして、奪う…………」
頭が優しく持ち上げられた。柔らかな、恐らく太ももの枕に乗せられる。
黒々とした瞳が、俺の眼を覗き込む。魂まで見据えられた気がした。
怖い。しかし殺意が怯えを殺す。尋ねずにはいられなかった。
「どうして俺から、奪う?」
「どうして、と言われても、『邪魔だったから』としか答えようがありませんねえ。あえてお洒落に表現するのであれば、亜人と私の『夢物語』にとってのノイズを、どこか遠くにやってしまいたかったから。でしょうかね」
亜人と××××の夢物語。
なんだそれ。あまりにも馬鹿らしくて、笑ってしまいそうになった。意外とロマンチストだった××××への、深い絶望と悲しみに囚われる。
嗚呼、この女からは逃れられない。今はまだ、鈴木昊刃という男に、自らの運命を切り開く権利などないのだ。
「夢は夢でも、悪夢だ」
「辛いのもすぐに終わりますから」
「ふっ……クソが。あいつらは?」
「大丈夫、あなたの眷属たちは殺しません。あの『ド』が付くほどクソ愚かな少女たちには、もっともっと、踊ってもらわないと」
「鳥矢は?」「まだ見つかっていません。どこに行ったのやら」
「白西は?」
「一緒ではなかったのですか? 彼女、始末するつもりで来たのですけれど」
……えっ?
呆けた口に、飴玉ほどの大きさの、丸っこい固形物がねじ込まれた。喉の奥に転がっていく。ザラリとした感触、青臭い味は、植物の種を彷彿とさせた。
「まあいいです。調整入りまーす」
次は、こう、面白い設定も入れてみましょうかね。
というのが、微睡みの中に聞こえた最後の台詞。刹那のうちに、俺の意識は闇に喰われた。




