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アカの亜人  作者: オッコー勝森
第2章 Violet

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38 姉


「よお。姉さん」

「えっ、昊刃……?」


 ハンドバッグが落ちる。呆気に取られた表情で、彼女は俺の名を呼んだ。目を泳がせる。口を開いては閉じる。そして立ち尽くす。弱々しく。

 この人は、血のつながった、正真正銘の姉だ。左手の赤玉とすり抜け体質を気味悪がり、時に嘲笑った家族の一人。昔は恐ろしかった。が、目の前の彼女は、こんなだったっけ? と訝しむぐらいに覇気がない。日常に疲れ切った、どこにでもいる哀れな大人の一人だ。

 項垂れる姉からは、俺への敵意は感じられなかった。


「ホントに来てくれるなんて思ってなかった」


 しばらくして、姉は話し始める。


「ハガキ出したよね。謝りたいって。一年前に」

「ああ。無視するつもりだったんだけど」

「ごめん。ごめんね。昔のあれは酷かったよね。ごめんね」


 泣き始めた。「許すよ」と言いながら、ポケットティッシュを差し出す。

 落ち着いてから、姉は初めて、隣の三色娘に気づいたらしかった。


「その子たちは?」

「えっと。諸事情で面倒を見ている感じで……」

「水晴巴。下僕兼愛人として昊刃に尽くす女よ」

「浜世椎奈という。昊刃氏に奉仕させていただいてる身だ。よろしく」

「富良野桃架です。お兄さんに飼われてます!」


 珍しくも互いに息の合った、とんでもない自己紹介だった。

 申し訳なさそうな雰囲気だった姉の目が、急速に冷えていく。おかしいな、かつて絶縁した姉と弟の、心温まる感動の再会シーンになるはずなのだけど。

 ちゃんと台本を用意しておくべきだったか。


「廊下でする話じゃなさそう、だよね?」「っす」


 姉の部屋に入れてもらう。いや、部屋に軟禁されたという表現の方が、当てはまりが良いかもしれない。

 椅子に座らせた。姉と正面から向き合う。


「生まれ持った特性で差別するのは最低だと、昊刃がいなくなった後で学んだ。誓って、左手を理由に馬鹿にはしない。でもあなたが、複数の女の子に手を出したのに加えて、年上という立場を笠に着て敬わせているロリコンクソアルファ野郎に成り下がっていたとなると、話は違う。分かるよね?」

「ええ、ええ、分かりますとも。だからこそ、誤解は消しておきたいのです。この子たちとの関係は一言で表せないぐらいに複雑だけど、姉さんが想像しているような爛れた関係じゃあ、決してないんだ」

「そうねお義姉さん。清く正しい主従関係よ」

「黙れ巴ちゃん。これは命令だ。あと姉さんを義姉と呼ぶな」


 このクソガキが。お前が喋ると碌なことにならねえんだよ。


「主従関係って……本当に? え、どういうこと? まさか美少女の青田買いでもしたの? 自分好みの性格に育てるために」

「光源氏か。論理が飛躍しすぎだ。あの好色家すら青田買いしたのは紫の上だけだし。第一、こいつらを俺好みに変えるよりも、そこらへんの野良猫を俺好みの人間女性に変える方が現実的だぞ」

「えーっ!?」「えーっ!?」「えーっ!?」


 驚愕する三色娘。不満そうだが、お前たちは猫になった方が救いがあるぞ。猫ならまだ可愛げがあったのに。どうして人間なんだろう。

 あと何が「えーっ!?」「えーっ!?」「えーっ!?」だ。三つ並ぶと余計にやかましい。web小説の慣例に従って「「「えーっ!?」」」にまとめとけ。

 今の反応で、三色娘は自分たちの意思で俺についてきていると納得したらしい姉さんだが、未だロリコンクソアルファ野郎の疑いは晴れていない。どう晴らすべきかと考えたところで、椎奈ちゃんが口を開く。


「おふざけはここまでにしよう。真面目な話、昊刃氏は身寄りの確かでない私たちを、社会からの厳しい視線を承知の上で引き受けてくれている。私の場合、唯一の味方だった父が死んだ。そして法的に私を支援すべき他の親戚は、大きな問題を抱えている。青い奴、水晴氏は養育者のおばさんが病気で亡くなったらしい。しかし水晴氏を捨てた両親が生きているから、話がややこしくなる。ピンクっ子の富良野氏は、母親が存命だ。が……」


 富良野母に指を差した。部屋の隅で、ボーッと虚空を眺めている。

 ビクリと立ち上がる姉。幽霊でも見たかの表情だ。気づいていなかったらしい。亜人覚醒前、たまに玄関で挨拶していた時と比べて、富良野母の存在感は明らかに薄い。


「この通り、とある事情で、人としての意識が失われてしまっている。そういうわけで、厄介この上ない身である私たちを、昊刃氏は善意で養ってくれている。彼は私たちのヒーローなんだ。咎めないであげてくれ。頼む」


 ヒーローとは大袈裟な。照れくさいぜ。デレるぞ。

 さすが椎奈ちゃん。さっき猫になった方がいいとか思って悪かった。実に見事な立て直しだ。真摯なお願いに、姉もタジタジになっている。ややこしい身の上の少女を抱えている時点でまあ違法だろうけど、法には素人の姉を丸め込むには十分なストーリーだ。

 追及は無意味と悟ったのか、脱力したように溜息を吐く姉。


「……ただ私に会いに来たわけじゃないんでしょ? ハガキ、無視するつもりだったって言ってたもんね。目的は何?」


 盛大に脱線したが、ようやく本題に入れる。


「保護者として名前を貸してくれ。とある理由で、住んでる街を離れなきゃいけなくなった」


 姉は高卒で働いていて、年齢は二十一と成人済み。部屋のグレードからして、収入もありそうだ。後見人としての要件は満たしているだろう。


「……追われてるの? 警察とかに」

「なんで警察に追われてるって発想が真っ先に出てくるんだよ。でもそうだな、もっとヤバい奴らに」

「えー。やっぱり人身売買に手を出したんじゃないの?」


 冗談っぽく言ってから、姉は続ける。


「左手のそれが関係あったりする?」

「ある。でも詳しくは話せない。姉さんが殺されるかもしれない」


 浜世家は、術師集団としての自分たちを表に出さないようにしている。隠匿の徹底ぶりは、高度情報社会となった現代においても、まったく情報が出回っていないことから見て取れる。断片でも知れば、姉さんも粛清対象になるだろう。

 殺されるかもしれない。物騒な話だ。追い出されても仕方がない。その場合は、巴ちゃんたちが主張したように、犯罪行為に手を染めるしかなくなる。

 果たして、姉の返答は。


「いいよ。しばらくここで暮らしな。一人で寂しかったんだ」

「いい、のか?」「いいよ。夕食は?」「まだだけど」

「じゃあ一緒に食べようか」


 調理を始める姉に、手伝いを申し入れる。

 料理をしながら、彼女は俺にこう尋ねた。


「一つだけ。兄さんじゃダメだったの? ……ダメか。あいつ、あんたの左手を本気で気味悪がってたもんね。情けない兄貴だった。情けない両親だった」

「……………………」

「情けない姉貴だった。頼ってもらえて嬉しかったよ」


 過去をやり直すことは出来ない。姉との絆は、両親が事故死した後、修復不能なまでに壊れた。そう思っていたけど、案外そうでもなかった。姉は過去を反省した。未来ならやり直せる。勇気を出して会いに来て良かった。

 ありがとうと言う前に、姉の近況報告会が始まった。そして、仕事の愚痴を延々と聞かされる羽目になった。


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