36 オーバードーズ
六華ちゃんは空も駆ける。
さすがに飛ぶことは出来ないようだったが、椎奈ちゃんが言うところの「波力」によって重力を無視し、浜世家の秘密道具で宙に足場を作り、三次元も縦横無尽だ。速度だって亜人に引けを取らない。
互いの位相が重なった時のみが、攻撃を当てるチャンスだ。それは向こうも同じだが。
重なる確率はほぼ二分の一。よほど追い詰められない限り、海での巴巨人みたく、体の位相を「この世界」と「少しズレた世界」に分けたりはしない。ダメージを半減させても、確率1で当たってしまう。ノーコストの再生能力がない限り、あれは捨て身の方策だ。
しかし、すり抜けざまに位相を変えれば、掠る確率はゼロじゃない。すでに二人ともボロボロだ。息も荒い。疲労はピークに達している。が、止まれない。少しでも気を抜けばやられる。
波動エネルギー切れが近い。向こうも同じだといいが、楽観は身の破滅を招く。まだ機じゃない。もうちょっとだけ持ち堪えてくれ。
「ヒュー、ヤバいでありますな、これが死に瀕する感覚」
六華ちゃんはそう楽しげに叫び、足場にしている半透明のブロックを蹴り飛ばしてくる。そんなことが出来たのか。座標固定されているものだと思っていた。距離をとって躱す。
追撃を警戒した。しかし彼女は蹴ったその場に止まる。袖から小瓶を引き抜いた。彼女はすでに五回も回復ポーションを使っている。うち二回は妨害して割ってやったが。
まだあったのか。ここからの阻止は難しい。回復直後に刹那の間だけ固まるから、そこを狙うとする。
ん? 訝しんだ。今までのと色が違う。回復ポーションは緑だったが、あれは水色だ。六華ちゃんは手を離す。小瓶は地面に叩きつけられ、中身の液体が、破壊された元アパートに降りかかった。
せいぜい目薬程度の量しか入ってなかったろうに、ドロリとしたそれは瞬く間に膨張し、瓦礫と死体を覆い尽くす。そして吸い込まれた。
液体を吸ったゴミの欠片カケラが、カタカタと振動を始める。ふわりと浮いた。渦を成し、とぐろを巻く。鎌首をもたげた。
コンクリート・金属・屍肉で象られた蛇が、俺に向かって威嚇する。
「試作品の液体エギンであります」
蛇の頭に飛び乗ってから、六華ちゃんが教えてくれる。
「顕現には現世の物質が必要であります。使い所は選ぶでありますな。まあ行けであります」
蛇が吠え、大口を開けてこちらに迫る。
全力全開で蹴り飛ばした。相手の素材はほぼコンクリートだ。重くて痛いが、蛇の突撃は逸らせた。
六華ちゃんは止まらなかった。蛇を射出台として利用したのだ。波動エネルギーでの防御は間に合わない。全身に力を込める。
「えっ硬っ!?」
驚く六華ちゃん。骨までは切られずに済んだ。肉は切られた。血を散らして落ちていく。心臓が跳ね上がるけど、高所恐怖症などと言ってる場合ではない。「少しズレた世界」に行こうとしたその時、蛇の尻尾が真上から来る。
こいつはエギンだ。
構成要素は「この世界」のものだが、その存在自体は「少しズレた世界」にある。つまりその存在は、両方の世界にまたがっている。すり抜けられるとは思えない。飛翔に切り替える。
蛇の手番は終わらない。尻尾は鞭が如く何度も振り下ろされる。デカさも速さも半端ない。どう反撃しろというのか。
背中に直撃した。
意識がトぶ。体に満ちる波動エネルギーが霧散した。地面にぶち当たる。
バウンドする。亜人じゃなかったら確実にミンチになってた。根性で着地、即座に蛇へと跳躍する。地面が陥没するほどの勢いで。
左手に火のナイフを持つ。斬りつけた。蛇は燃え上がり、焼失する。
エネルギーは一旦打ち止めだ。キツいがナイフを維持する。振り返り、六華ちゃんへとそれを投げた。
彼女の前で止まる。何かを燃やしてナイフは消えた。
「ガスで作ったエギンの盾であります」
貫手の姿勢。半透明の足場を起点に、彼女はまさしく、トドメの一撃を放たんとする。受ければ終わりだ。
瞼を閉じる。諦めたのではない。
合図だ。
「『オーバードーズ』」
空が青く光った。
六華ちゃんの右手首が破裂し、彼女は悲鳴を上げて墜落した。
俺の隣に美しい少女が立つ。銀のかかった青い髪、賢そうな群青の瞳。ナースモチーフの豪奢な衣服。亜人の眷属。頭がおかしい。
水晴巴。
浜世家の男を尾行すると決めた時、待機状態を解いて呼び寄せていた。隠していた切り札。
「非常事態よ。良いわよね? 良いわよねっ?」「ああ、仕方ない」
頭を振り、巴ちゃんと唇を重ねた。互いにファーストキスである。
ごめん白西。
彼女の波動エネルギーが、俺の内に流れ込んでくる。微々たる量だが、これでまだ戦える。リーから教えてもらった、眷属側からの供給方法。試そうと主張して暴れ回るこの子を抑えるのは大変だった。
「うふふふふ、責任は取りなさいよ」「善処する」
「…………誰でありますか。お前」
煙の向こうから、六華ちゃんが現れる。剣呑な表情、鋭い眼光。
耐えたらしい。が、その右腕は焼け焦げ、ぐちゃぐちゃになっていた。現在の医療技術では、確実に元には戻らない怪我だ。
尤も、浜世家という異能者集団であれば、事情は変わってくるのかもしれないが。
「青い奴。お前は絶対に殺してやるであります」
「あっはっは! そんな手でどうやって?」
「腕時計が壊れた。はは。すぐにパパが来るでありますよ」
私よりも強いパパが。
溜息を吐く。六華ちゃんにこだわって、粘られている間に増援が来たら、さすがに乗り切れないだろう。肩を竦めた。
覚悟はしてたつもりだったけど。こうも唐突だとは。
「惨めな逃亡生活の始まりだ。ついてくるよな?」
「もちろんよ」
リーに認識阻害をかけてもらう。同じ阻害範囲にある者たちは、互いが互いに認識可能だ。いつの間にか桃架ちゃんとも合流していたらしい。アイテールを取られた自分の母を背負っている。ボロボロの椎奈ちゃんを抱えて、困惑する六華ちゃんを背に逃げた。




