8 そこ
「無能な眷属として、高貴なるご主人様に頼みがあるんだけど、今すぐ私を殺してくれ。微粒子すら残さずに」
縮こまってしまった椎奈ちゃんの肩を、慰めるように叩く。大見得を切っておいてこれは恥ずかしい。でも、誰にだって間違いはあるさ。
一度も間違えなかった探偵なんて、いるはずがない。
彼女の解答は、どうやら出題者の意図に沿うものではなかったらしい。残念ながら不正解ということで、与えられたチャンスの数が2から1に減ってしまった。あと1回、実に焦燥感を掻き立てられる言葉である。
進展は絶対にあったのだ。椎奈ちゃんがいなければ、床のタイルが裏返ることになんて気付けていたかどうか。校舎の老朽化に違和感を抱ける、綺麗な学校の生徒ならではの発見だ。
標とやらは、正解のタイルをリバースすれば示してもらえる。
問題は、正解のタイルはどれなのかということだ。
「振り出しだよ……」「違うな。強くてニューゲームだ」
「意外とポジティブだよね。昊刃氏」
「小さい頃は、どちらかというとネガティブな奴だったよ。ここに引っ越してきてから、白西の真似で、物事を楽観的に捉えようとするようになった。それが自我に定着した、というところかな」
「ふーん……」
「昔の白西について色々と語りたい欲が湧き出してきたけど、残念ながら、思い出話をしている暇はないな。こうしている間にも、外ではエギンが暴虐の限りを尽くしているかもしれないんだ。一刻の猶予もない。再挑戦しよう」
早口でそう言った。椎奈ちゃんは、推理を外したショックから、すぐには立ち直れないだろう。意気消沈する彼女にとって頼れる先輩であろうとポジティブな人間を演出しておいて情けないが、内心ではすごく焦っている。出られなかったらどうしようと、不安に囚われている。
深呼吸して、問題文を眺めた。
幸いにも、椎奈ちゃんの推理で無視されていた要素は、すぐに見つかった。
「『笛の子』の前に『そこにある』と書かれている。SNSの投稿じゃあるまいし、こういう暗号文を作る際、出題者は無駄な文言を入れたりするかな?」
顔を上げる椎奈ちゃん。「なるほど」と呟く声には、活力が戻っていた。あれ、もう立ち直った?
自分の間違いを指摘されても、気分を害すタイプじゃないらしい。むしろ、改善のチャンスがあることに喜びを見出すタイプなのかも。
見習いたい気質だぜ。
「『笛の子』ではなく、『そこにある笛の子』で一まとまりなのだろうか?」
「多分」「そこ……底……低音?」
椎奈ちゃんの鋭い連想ゲームに、俺も乗っかる。
「これは仮結衣さんからの受け売りなんだけど、吹奏楽器で最も低い音域を担うのは、チューバという金管楽器らしいぜ」
「持つのに筋肉トレーニングが必要そうなほどデカい、末広がりの、掃除の大変そうなあの楽器かい? あれを笛を呼ぶのには、多少どころじゃない抵抗があるけども。ラッパの一種じゃないのかな?」
「うーん。正直、ラッパと笛の違いがなんなのか、よく分かってないや」
「私もだけど。ふむ。では、『そこにある笛』がチューバだとして、その『子』とはいったい、誰になるのかな?」
「これも仮結衣さんが言ってたんだけど、チューバはバスと呼ばれることもあるようだ。厳密には区別されるべきらしいが。で、このクラスで、バス通学している生徒は一人しかいない。及川蔀美さんだ」
真ん中の列二番目に座る、女子生徒の名前を指差す。
「ちなみに、ブラックバスのフィッシングが趣味の奴はいない」
「まあ、高校生だしね。ブラックバスと言われると、対となる外来魚のブルーギルも一緒に想起してしまうね。青と黒に双璧のイメージはないけどさ。ほら、ブルークズはブラックリストに載っていて、青と黒を兼ねている」
「隙を見つけて悪口を言うんじゃない。同僚なんだ、仲良くしようよ、ね?」
「断る。で、『そこにある笛の子』が及川氏だとして、さっきの論理を当てはめると、答えは口木直哉氏ということになるね……。でも、自分でしておいてなんだけど、さっきの推理はガバガバだ。穴だらけだよ」
椎奈ちゃんは、悔しげにそう認める。
興奮していて先ほどは気づかなかったが、冷静になって考えてみると、あの説明はかなり強引だった。『笛の子』を除し、代わりに焼けた白西を侍らせて、左横にいる彼──今回の場合は鳥矢──をまとめて葬る。その行の一番左に座る生徒の机について、左前足で踏まれたタイルを裏返す。
直感的な疑問点として真っ先に挙げられるのは、どうしてわざわざ白西を燃やす必要があるのかということだ。「笛の子」を省き、その横にいる男子も排してしまえば良いのだから、女を燃やす下りは必要ない。
他にも、「左方第一脚」が机の左前足を表すだけならともかく、生徒を除いた行の、一番左の席をも暗示しているという推測は、ごり押しもいいところだろう。そもそも論として、排除される二人に左端の生徒が含まれていなければ、最初の二行に意味がなくなってしまう。
なんというか。出題者様は、もう少しエレガントな解答を用意してるんじゃないのかな? そう思わされる。
「こうなるともはや、一区切りの名詞が生徒のうちの誰かを表しているんじゃないかという最初の推測も、当たってないかもしれないね」
「ええ。それだとさ、さすがに取っ掛かりが無さ過ぎるんじゃないか? ああ、どうやって解けばいいんだよ、この謎。…………ん?」
お手上げだとばかりに、出席簿を教卓の上へと放り投げる。理性はともかく本能で諦めかけた瞬間、初めて、問題文を素直に読むことが出来るようになった。
自分の感性に正直になって、教卓の中を覗き込む。
リコーダーがあった。
其処にある、笛。




