39 人型エギン
これまでにない軽さだった。
すなわち、リーの言う「透圧」がものすごく下がった。ふわふわする。足をサッと踏み込むだけで、それだけでどこまでも行けそうだ。自然と浮かないのが不思議なくらい。強制的にハイになる。
でも。つまりこれって。こんなに軽くなるってことは。
「ねえ昊刃。自分の世界に入らないでよ。いい? クライマックスになったら、私とあなたでキスするんだから。スタンバッときなさい」
「巴ちゃん」「え? もうするの?」
「ヤバい。リーを呼ばなきゃ。いるんだろ? 返事してくれ」
「はいヨ」
妖精が、巴ちゃんのポーチからニュッと現れた。ずっとそこにいたのか。二人きりのデートじゃなかった事実に憤慨したのだろう、巴ちゃんは真顔でリーの首を絞めにかかる。
大事に至る前に止めた。
「は、花火の真っ只中ダロ。お邪魔妖精の出る幕じゃないと思うガ」
「化け物出現の兆候あり」「ナニ?」
「それもとびっきりのが出てきそうだ。脅威度AとかSとか」
「おいオイ。冗談はヨセ。この時期にそんなのが現れるなんて、ワンクールの終わりでもうジャ◯クキングと戦うようなものネ。一年保たんヨ」
「いきなり初代の話を振るなよ。俺はギリギリ生まれてなかったんだから」
「まだ現れていないネ。まだ……ッ!?」
そこまで言って、リーの表情が強張った。俺の背筋も凍りつく。
上から圧搾されたかのような錯覚。
両の肺に錘が吊るされたような心地。合わせて辺りが、闇に呑まれた。すでに驚愕し尽くしていたから、一周回って冷静になる。亜人認定を受けてより、暗視能力は格段に向上していた。人々の様子を眺める。「不発」だった初弾以来、再び困惑し始めていた。
パニックに陥る者もいる。たちまち恐怖が伝染していく。
夜空を仰ぐ。目を見開く。
花火が、上がっていない。
美しく魅せるための演出として、普段は夜のグラウンドを照らすライトも、今夜は消されている。花火という光源がなくなったら、そりゃ暗くなるはずだ。時計を確認する。終了時刻二十分前。これから中盤に差し掛かるところ。どうして。
いや、違う。花火は上がっていないのではない。音は鳴り続けている。
闇と言っても完全ではない。花火の光が、ぼんやりとだけど届いてる。ああ、なるほど。理解した。ここと花火の間に、円形の何かが浮いていて、それが視界を阻害しているのだ。
気球、か? 首を横に振った。あんな大きかったら浮かない。
いったいあれは、なんだ?
「穴、ダ」
隣でリーが、呆然と呟いた。
真っ黒で、大きな──穴。
花火師たちも異変に気づいたのだろう。音が止んだ。一層暗くなる。
息を呑む。俺は、どうすればいい。調べに飛ぶべきか。実体があるのなら、壊すべきなのか、どかすべきなのか。意思疎通が出来るなら、イベントの妨害を叱って、帰ってもらったらいいのかな?
ハハ。
迷っている間にも事態は進む。穴が萎んだ。急速に。
高度を落とし、グラウンドの真上で止まる。
溶けた。黒い液体が渦を巻き、ふと収束する。ここからじゃ見え辛いが、ソレは片膝を突いているように思われた。
ゆっくりと立ち上がる。
二足歩行。人型の範疇にはあるが、平均的な成人男性の倍以上は大きいし、しかも歪な形をしていた。もう少し近づかないとはっきりとしたことは言えないけども、頭部の形は人とは違って、なんだろう、まるでドリルのようだった。もっと近いのは、伝わらないかもしれないが、ネコザメの卵。硬い殻がグルグルと捻れ、岩に引っかかりやすい形をしている。
蘊蓄はどうでも良い。
巴ちゃんは、スマホの望遠鏡機能を使って化け物の観察をしていた。真似をする。
視界に捉えた。ヤツは両腕を優雅に開く。
その周囲に、禍々しい形の矢が、無数に展開された。
ようやく、自分の対応が遅きに失していたことに気づく。
あいつってやっぱり、エギンだよな? つまりあの矢は、アイテールを奪うための……。
俺。呑気に野次馬の真似事して、史上最も愚鈍な馬鹿か。のろま。え? ホントに、どうして真っ先に動かなかったんだ? 人に見られるかもしれないなんて、些細な話じゃないか。
あいつが食事の準備をする前に、あいつに組み付いておかなきゃダメだったろ?
絶望感に支配される。なあ。
おい。口が乾く。化け物に向かって手を伸ばす。
待て。待ってくれ。
そこには、いるんだ。友達が。鳥矢が、室が、桃架ちゃんが。
俺の大切な人たちが。
己の高所恐怖症も忘れ、波動エネルギーで全身を満たし、化け物に飛びついた時には、矢はすでに発射されていた。
屋台と通路の老若男女たちをザクザクと刺す。位相がこの世界とズレているから、肉体に損傷はない。ただし、肉体と精神を繋ぐパイプに穴を開け、人が「人」であるためには必須な、アイテールを強奪する。
刺された彼らは、一時的に放心状態に陥って、その後は、飢えた獣が如く周囲を襲う。ここら一帯、一斉にやられたから、きっと喰らい合う羽目になる。
約束された地獄絵図。
視界の端に、ぼんやりと虚空を眺める知り合いがいた。クラスメイトの女子。委員長が気になってると言ってた、あの子だ。
憤怒と悲嘆と、ごちゃ混ぜになった心のままに、拳を振るった。飛びつきの勢いにより、こちらがマウントを取れていたにもかかわらず、いとも簡単に防御された。
拳が、握り潰されそうになる。
位相を戻した。すり抜ける。地面を転がり、急いで向き直った。矢が射出される。飛翔して回避した。あれは危険だ。「この世界」にいたらアイテールを奪われるし、かと言って「少しズレた世界」にいたら普通に刺さる。そして出血多量で死ぬ。
矢の攻撃は止まらない。無尽蔵かよ。これまでのエギンにも弾幕を張ってくるヤツはいたけど、息切れは早かったぞ。距離を取るべき? しかしそれでは被害が拡大する。
矢の当たらなかった人たちは皆、逃げている途中だろう。幅を取って戦えるのは、避難が完了した後。だとすると、俺が選ぶべき戦略は、「インファイトを仕掛けてヤツの注意を引き、矢を放つ隙を与えない」か?
先ほど潰されそうになった右手が、ヒリヒリと痛む。
人型のエギンを睨みつけた。




