28 巴巨人
六十、いや、七十メートルはあるだろうか。
突然と海に現れ、海水を撒き散らしたのち、忽然と消え失せたあのタコ足よりも、さらにデカい。絶望を覚える体格差だった。こんなのを見せられて、「駆逐してやる」などと息巻く気概は、到底湧いてきそうもない。
ドルルルル、とけたたましい音が鳴る。巴巨人に、ヘリコプターが近づいてきた。
報道用かなぁ?
「明日のトップニュースは」「これで決まりだわ」
巴巨人の長大な右手が、フルスイングされた。ヘリコプターに激突。哀れ、火を噴きながらバラバラに砕け散る。
「無人……じゃないよな」
「あの形状だと普通に有人でしょうね。バカだわ。近づき過ぎるからよ」
「ナムアミダブツ」
お悔やみの一つも言わない巴ちゃんに代わり、念仏を唱えておく。仏教徒でもないが。往生なされ。
リーがやってきた。後続のヘリが来るかもしれないから認識阻害をかけると言って、俺の懐に潜り込む。秘密は堅持する、マネージャーとしてのプロ意識。
飛び回って巨人と戦う奴らがいて、それが俺や巴ちゃんだとバレたらまずいというのは、よく理解出来る。
「だがすまない。ガス欠が近い」「え? 冗談でしょ」
「さっきデカ巴ちゃんを天空まで浮かすのに、エネルギーを使い過ぎた。地上で五分、いや最低三分は休みたい」
「見逃してくれるかしら。私なら昊刃を見逃さないけれど」「さあ……」
巴巨人の機嫌を伺うべく、ちらりと視線を投げかけてみる。
問答無用キック。回避する。風圧で海が割れた。
「無理かな」
遠ざかる俺たちへと、巴巨人は手を伸ばす。
その背中側に向かって逃げた。巨人はダイナミックに翻り、裏拳をかましてくる。それが当たらなければ回し蹴り、それが当たらなければ肘打ち。
プロの格闘家顔負けの、流れるような技展開。
あの巨体で、信じられないくらい打点が正確だ。気を抜くとぶち当てられる。尤も、俺もあいつも「この世界」と「少し位相のズレた世界」をランダムに行き来しているから、位置が被ったところで絶対に被撃するわけではないが。
当たる確率は常に正。油断は死を意味する。
巴巨人はますます荒ぶる。それも緻密に。死線を掻い潜らなきゃ、反撃なんて出来っこない。そもそもだ、反撃して意味があるのか? サイズ的に、リアルガチでアリと人間の対決だぞ? 打つ手はあるのか? どうすればいい?
クールタイムまで幾許もない。心が閉鎖的になっていく。
「あの巨人は、エギンではないネ」
襟から顔を覗かせて、リーは言う。
「つまり、必ずしも亜人の管轄じゃないヨ」
「……何が言いたい?」「手を引いても、責めないヨ」
正直、心が揺れた。逃げたい気持ちでいっぱいだったからだ。俺は、勇敢な戦士じゃない。死の可能性によって体が簡単に強張ってしまう、臆病なティーンエイジャーだ。
しかし。先ほどのヘリ墜落が、脳裏にフラッシュバックする。
「それでも。俺たちしかいないじゃないか」
巴巨人は、すり抜けの力を使う。自衛隊でも、米軍の精鋭でも、アレには勝てない。対処出来るのは、亜人である俺と、その眷属である巴ちゃんだけ。
勝つぞ。ではない。勝たなきゃいけない。
傍らで飛ぶ彼女が、ふと頬を緩める。
「あいつスリムな美脚よね。私を模倣したのだから当然だけれど」
「えっ? うん。巴ちゃんは見た目だけなら完備な美少女だと思うよ。今する自慢話?」
「つまり、私は中身まで美少女だけれど、あの偽物は見掛け倒しなんじゃないかってことよ」
中身までとは言ってない。見掛け倒しの見た目詐欺ヒロインが。
そして訝しむ。一理ある推測だとは思う。見掛け倒しでなければ、あのスリムな美脚で体は支えられない。でも、だからどうしたというのが本音だ。仮に体の大半がハリボテだったとしても、どういう理屈かは分からないけど、高速かつ高威力の連撃を可能とし、しかもそれらに耐えられる構造をしているのは間違いないのだ。
耐えられているわけではなく、超再生能力に頼ったある種の欺瞞であっても、それはそれでやばい。反撃の無意味さが増すだけだ。
「ねえ。あいつが暴れ回ってる理由はなんだと思う? 焦ってるのよ。多分、巨体の維持だけで相当なエネルギーを使ってるわ」
「資源が潤沢だから無駄遣い出来ている可能性も」
「もう。細かい男ね。疲れてるのよ。休んできなさい」
「一人で相手する気か?」「倒しちゃうかもね」
巴ちゃんはそう言って、不敵に笑った。隣から飛び去って、巴巨人に接近する。
いい作戦でも思いついたのか。とりあえず、信じることにした。
地面に降りる。ぬかるみに足を取られつつも、一人で走ってコテージに向かう。リーは巴ちゃんに貸した。
妖精の話と違って、元鈍色バブルたちの姿は見かけない。おそらく、すべて巴巨人に吸収されたのだろう。巴巨人の姿が、俺のランスピードよりも速く離れていく。
巴ちゃんが引き離してくれている。万が一にも、俺が潰されたりしないようにという配慮を感じた。鈴木昊刃だけへの配慮だ。自意識過剰でもなんでもなく、彼女は俺以外の連中を気にも止めてないはず。
行きに通ったコンクリートの道に到達する。茶色く、黒くなっていた。けど泥の上よりかは圧倒的に走りやすい。コテージまであと百メートルという所まで来た。亜人として目覚めてから、通常時の脚力も強くなっている。
十秒もかからない。
空が青く光った。巴ちゃんの必殺技が炸裂したらしい。反射的に振り返ると、巴巨人は、顔と左手、それに胸と腹の大部分が消失していた。人間だったらグロテスクだが、元鈍色バブルの集合体は、出血もせず、ただひしゃげているだけだった。
やったか。
そのままドロドロに溶けてなくなる、かと思いきや。
巴巨人は無惨な姿のまま、クルリと方向転換し、あろうことか、こちらに向かっての疾走を始めた。




