26 デカ巴ちゃん
躱した。
正確には、すり抜けた。
ハイスピードで飛翔し、デカ巴ちゃんの、シュッとした顎の下で急停止。右足だけこの世界の位相に引き戻し、回転蹴りを喰らわせた。
一ヶ月の駆除活動で、巴ちゃんの眷属としてのレベルが上がったように、俺の亜人としてのレベルも上がっている。常人では不可能なパワーを出せる。体育の時間では、加減する方が大変だ。
デカ巴ちゃんはよろめいた。足をぬかるみにめり込ませて耐える。ハエでも払うかのように、掌を叩きつけてきた。続けて連打。
しかし、回避する必要はない。すり抜ける。
再び頭を蹴り付けた。こちらの攻撃はバチンと当たる。ゲームの無敵状態みたいだ。鳥矢にも勝てそう。こう言うのを、バランスブレーカーのチート能力と呼ぶのだろうか。
「うっ……!?」
しかし、現実はそう甘くない。たった二撃しか喰らわせていないのに、もう足が痺れてきた。そもそもとして、人体は暴力には向いていないのだ。とはいえ俺は亜人、つまり人の亜種。人間の論理が適用されるかどうかよく分かっていない。多分、普通の人間よりもだいぶ頑丈になっているはずだけど、それでも痛いものは痛い。
痛過ぎて、感覚が失われつつある。
化け物なら反動はないのに。こいつのHPを削り切るまでに、俺の体は保つか?
心に僅かな焦りが滲むと同時に、左の掌がジワリと熱くなった。
火傷しそうなくらいに熱かった。なんだ?
レッドアラート。背筋に悪寒。危険信号危機管理。生死の瀬戸際。
本能で防御姿勢を取った。
苛烈な衝撃が、全身を貫く。デカ巴ちゃんの拳が当たった。
バカな。どうして。なんて考えている暇はない。胃の内容物どころか。臓器すべてを吐き出しそうになった。耐えるので精一杯だ。そして、このまま何もしなかったら、海に生身で叩き落とされる。今の勢いでぶつかったら、水だって固体と一緒だ。
となると、本物の巴ちゃんも心配になってくる。大丈夫かな。グチャグチャに弾けてなかったらいいけど。
俺がそうなれば、白西が、獣の如く暴れ回った挙句に衰弱死する羽目になる。
絶対嫌だ。故に、軌道修正を試みる。すり抜けへの抵抗がいつもより激しい。重力に加えて、暴力も乗っているからだろうか。
やけくそだ。体をくの字に折り曲げて、クルクルと回転してみた。ブーメラン原理が働き、海面スレスレで揚力発動、そのままUターン。
意味不明だけどラッキー。
現場に戻る刹那の間に、考える。位相をズラしていたにもかかわらず、デカ巴ちゃんの攻撃が当たった。つまり彼女──元鈍色バブルだったアレに性別があるのかは知らない──もまた、俺と同じく、己の位相をズラしたということだ。
ならばつまり、アレも化け物の仲間なのか? でも、体は全然軽くない。普通だ。妖精リー曰く、化け物は時を経るにつれどんどん強くなるとのことだったが、「軽く感じる」という出現前の兆候がなくなるとは言っていなかった。単に、聞かれなかったから言わなかっただけかもしれないけど。
ところで、そのリーべぇはどこに行ったのだろう。逃げてくれたのなら良いが。彼には生きていてもらわないと困る。認識阻害などのオプションがなくなるし、白西を元に戻すことも叶わなくなるから。
ブーメランは浮上する。眼下にデカ巴ちゃん。変わらず高所は怖いけど、もう固まったりはしない。
宙で一回転し、急停止して、殴打の姿勢に入った。左二の腕のみに、位相転換の波動を放出する。
巨大な頭をノック。手応えあり。そして、いつも通りに反動はなかった。ズレた位相では、地球とは異なる物理原則が働いているのかもしれない。
額を地面に打ち付けるデカ巴ちゃん。柔らかくなっているからか、ダメージは小さい。波動エネルギーを右足に纏う。頚椎の辺りを狙って振り抜くが、すり抜けて空振りした。位相を置き直したらしい。
デカ巴ちゃんは、巨体にそぐわぬ軽やかさで立ち上がる。その様子を見ながら、冷や汗を流さざるを得ない。
厄介だ。これからあいつは、「この世界」と「少し位相のズレた世界」をランダムに行き来するようになると思う。一方の世界に留まっていれば、良いように付け込まれるから。それは俺も同じで、だから俺もランダム戦略を採用すべき。だけど、「この世界」での暴力は体に反動を生じさせる。デメリットが大きい。
加えてリーチの差。パワーはあまり変わらないと思うんだけども。飛べるというアドバンテージは高所恐怖症でだいぶ割り引かれるとして、少し不利だが、とにかくやるしかない。
髪を掻き上げ、深呼吸した。飛び込む。待ち受けるはアッパーの連撃。ハヤブサよろしく高速飛翔し回避を続け、デカ巴ちゃんに近づく。必殺のアン◯ンチを放った。
スカった。
デカ巴ちゃんは即座に振り向き、肘打ちを叩き込んできた。咄嗟に左手赤玉の波動を引っ込める。すり抜けた。良かった。しかし波動を引っ込め過ぎたせいで、重力をすり抜けなくなった。
落下する。絶叫しながら。ちょっとちびったかもしれない。
波動エネルギーで全身を満たし、地面にダイブする。休憩の意味も込めて、少し待ってみた。デカ巴ちゃんは、地面の中までは追いかけてこないようだ。
あ、と気づく。あの巨人は、地に足ついて戦っていた。すなわち、少なくとも足の裏は「この世界」に留まったままということだ。ただそこを狙うとなると、地面の中で「この世界」に戻らなきゃいけなくなるから、生き埋めになっちまう。
もう少し深く考える。アレは飛ぶことが出来ないと無意識に仮定した理由は、飛べるなら飛ぶだろうという浅はかなものだけど、それが正しいとして。
俺と同じような原理で位相を行き来しているとしたら、もしかして、波動エネルギーの出力が、飛翔可能なほど高くないのでは。
巨体のすべては覆えない。コーティングしていないのは、足裏だけではないかも。無意識のうちにガードが甘くなる箇所というと、どこだろう?
地面から飛び出し、右手から波動を剥いで、脇腹斜め後ろに突っ込んだ。
当たった。
当たったが。
右腕がズブリとめり込んで、引き抜けない。やられた。巨体の構成要素に異なる位相をバラバラに付して、待ち構えていた。
どちらで攻撃されたとしても、わざと刺されて固定出来るように。
完全に想定外だった。こんなの、普通の人間に取れる芸当ではない。だって刺されるのは嫌だろう? 特に俺は、一月前にナイフで刺されたばかりだから、その痛さをよく知っているので。
大きな掌が俺に迫る。このまま握り潰されるかと思いきや、突然、腕の刺さった部分が本体から削ぎ落とされたおかげで、間一髪で逃れられた。
襟首を掴まれ、引き上げられる。
ピンチの時の魔法少女。
「ドロ巴ちゃん」
「泥まみれだったってこと? それとも刑事と対比しての泥棒ってこと? しばくわよ」




