24 烏賊の足
それは巨大な、烏賊の足だった。
長さにして五十メートルは優に越えそうな肉の塊が、海面に叩きつけられる。当然の如く波が立った。空気までがビリビリと震動したくらいだ。
エネルギーが凄まじい。
膨大な量の海水が、コテージに襲いかかる。咄嗟に室を抱えて、飛んだ。亜人の力で。
自らの高所恐怖症も忘れ、呆然と見守る。一階は水浸しだろう。
コテージの屋根に降り立つ。入り組んだ浜辺の端を眺めてから、勢い良く振り向く室。
「なあっ、鳥矢は? 浜辺でウォーキングするって言ってた鳥矢はっ?」
「これじゃあダメだろう。くっ! あいつは普段からダメだった」
「そうだよな、普段からダメだったもんな〜! ちくしょお!」
「てめーら塩漬けにされてえのか!? 飛べるなら早く助け……」
丸太に捕まり事なきを得たらしいが、丸太と運命を共にして沖の方向へ流されそうだった鳥矢を救出した。たまたまコテージの近くまで押し出されたことは、不幸中の幸いだったと言える。
でなければ、本気で捜索しなければならなかった。
「びしょ濡れになっちまったぜ。風邪引きそう。ただでさえ頭が痛いんだが」
「鳥矢〜? 『燃え尽きました』の一言を添えてツ◯ッターにアップしていい?」
「燃えてねえし、よしんば燃えてたとしても外から消火されてるじゃん」
ツッコミを入れる鳥矢に対して、お前ゲーマーとして燃え尽きとるやんと思った。
口には出さず、代わりに尋ねる。
「なあ室。この浜辺は、クラーケンで有名だったりする?」
「いや。聞いたことないよ。スルメの名産地でもない」
「うん、クラーケンをスルメに加工する恐れ知らずはいないだろうが」
水平線を睨みつける。烏賊の足は、いつの間にか消えていた。
腕を組む。なんだったんだ? 化け物関係か? しかし、体が軽いとは感じないし、それに、奴は現実の物質に干渉していた。
地球原産のクリーチャー? 世界は不思議でいっぱいだ。ワクワクするぜ。
二階のベランダからコテージの中に入る。白西と富良野母の無事を確認。階下を見下ろすと、玄関付近が濡れているだけで、被害は小さかった。安心と安全の密閉性。将来はこんな家に住みたい。
白西と一緒に。
「胡散臭い妖精と、あの青クズは?」
「青クズは大丈夫。亜人レーダーによると。妖精は分からんけど、巴ちゃんが大丈夫なら大丈夫なはず。とりあえず迎えに行こう。部下の回収は上司の務めなり」
「行ってらっしゃい格安タクシー」
誰が格安タクシーだ。
無料だから。
鳥矢におばあちゃんからメッセージが届いていたと伝えたのち、飛ぶ。雨前日の燕並みの低空飛行だ。地面は惨い有様で、あちこちぬかるみだらけで、そして抉れている。茶色い水溜まりも目立つ。観光地として大打撃じゃないか。素晴らしいコテージがあるとはいえ。
整備するのは大変だけど、荒れるのは一瞬だ。
昨夜肝試しに使った、海沿いの林に向かう。土地に高低差がないからか、ここにも被害が及んだようだ。少し傾いてる木はあれど、倒木はなさそう。木の強さに感嘆する。俺も、大地に根を張れる強い人間になりたい。
「おっ」
木の根元にしがみつく、泥まみれの少女を発見した。
少なくとも、大きな怪我はないようだった。ポカンとした顔で、虚空をボーッと見つめている。現実を受け止めきれていないのかもしれない。なんだか哀れだ。こちらも悲しくなってくる。
「巴ちゃん、大丈夫……?」「ひどいわ。こんなの。ひどいわ」
「バチが当たったんダロ」「どうして? 私が何をしたと言うの?」
「ソラハ。そっちは問題ないのカ?」「ああ、リー。全員無事」
「突然海水が流れ込んできたネ。トモエは滑ってこのザマヨ。まさか、ホントに天罰ということもあるまいネ。原因ハ? どこかで地震でも起きたカ?」
「いや。海に大きな烏賊の足が現れて。こう、海面にバチンと」
腕を振り下ろすジェスチャー。つまりチョップ。
「はあ? 意味が不明だわ。薬物中毒者でも、もう少しマシな幻覚を見るでしょ。いくらご主人様の言葉でも、そう安易には信じられない」
「写真でも撮れれば良かったんだけど。ビックリし過ぎて考えが及ばなかった。ただ、巴ちゃんをそうやって泥だらけにした原因が、この海にいることだけは信じてくれ」
「許せないわね。干上がらせてやる」
「ダイオウイカのエギンとか……ではなさそうダナ」
「推測も楽しいけれど、先にシャワーを浴びたいわ。ん」
バンザイする巴ちゃん。抱えて運べということだろうか。俺も汚れそうだし、抵抗がある。
というか、素直に嫌。外行き用のいい服なのに。
「どうしたの? 早くしなさいよ」
「……巴ちゃん。たとえ泥に塗れようとも、自らの足で立って進む気概こそ、日本人の美徳だと思わないか?」
「思わないわ。昭和の価値観で令和の女子中学生を説得させられると?」
「ところで今、服の下はどうなってるのかな?」
「え? 多分、濡れてるだけだけれど……まさか脱がせる気!? この変態!」
「俺は紳士だ」「紳士も変態の一種でしょ」
「それが令和の価値観?」
「ソラハ。ちょっといいカ」
妖精に肩を叩かれた。小さな指が示す方向を眺める。
灰色掛かった半透明のナニカが、ぬかるむ地面からニュルリと現れた。
あちこちから、幾つも。不気味な光景だった。
リーは首を傾げつつ、元異界民らしい質問をぶつけてくる。
「ああいう現象は、この世界ではよく見られるノカ?」
巴ちゃんは因果応報の原則で、これからもそれなりに酷い目に合います。




