21 タンドリーチキン・ファイナル
「体の軽さで目を覚ました」と言ったが、起きてしまった直接の要因は物音だった。だから本当は、「起きたら体が軽かった」の方が正しい。
壁の時計は、午前三時を示していた。真夏とはいえ暗い時間だ。男女で部屋分けして、ここが女部屋ということはもちろんない。隣のベッドで、鳥矢は深く眠っている。死んでるみたいにぐっすりだ。
顔に「タンドリーチキン・ファイナル」と落書きしたが、起きる気配は一切ない。水性マジックで書いたところに、俺の大いなる優しさが詰まっている。
そっと部屋を出た。コテージは二階建てで、寝室は上の階だ。物音は下から聞こえてきた気がした。まさかここに化け物が現れたのか? 赤玉ソナーを展開してみたが、帰ってきたのは愛すべき眷属二人の反応だけだった。
階段を降りる。一階厨房に灯りが点いていた。「誰かいる?」と尋ねる。
「ズルズルズル……ん?」
室がいた。即席ラーメンを頬張っている。キッチンの収納スペースに置いてあったヤツだ。料理中に見つけた。湯沸かしポットに視線を向けると、お湯はまだ残っている。
コップにティーバックを垂らしつつ、室の夜食を皮肉った。
「深夜とラーメンの相性は最高だけど。等価交換法則で代償も大きいぞ」
「だって、眠れなくってさ〜」「海から戻った後ですぐに寝るから」
「昊刃くんだって、昔、プールの後にぐーぐー寝てたじゃんかよ」
「プールで直に寝たお前に言われたくない。一回だけ寝ちまったのは、それで溺れそうになったお前を助けて、体力を使い果たしたからだからな」
「それは。まあ。感謝してるけどさあ……」
念の為にポットの電源を入れたが、中身はすでに熱く、三十秒もかからずに沸騰した。コップに注ぐ。ベリーのような香りが広がった。心が癒される。
室がこちらに反応した。茶に理解などなさそうな奴だが、幾分か興味を引かれたらしい。ちなみに、茶への理解は俺にもない。
麦茶パックの特売日なら知っている。
「ほら。室の分」「あんがと」
「さて、味の方は……濃いお茶。あ、このいちごジャムを入れるのかな」
「ねえ昊刃くん」「ん?」
「白西のこと、まだ好き?」
カップを運ぶ手が止まる。息を吐き、茶を口に含んだ。甘みが増した分、逆に本来の苦みが際立つ。
「なんだよ急に。照れるだろ。そうだよ。当たり前だ」
「そっ、かあ」「だから。助けるために、化け物退治なんかやってる」
「ふうん。病院じゃ、お父さんとお母さんを助けてくれてありがとう」
「運が良かった。俺たちが倒すまでに、クラゲの捕食が追いつかなかっただけ」
「まさか昊刃が、化け物から世界を守るヒーローになっちゃったなんてなー」
ヒーロー? 困惑する。自称でもあり得ない。
たまたま「亜人」という役割を割り振られただけの一個人だ、俺は。
室はカップ麺のスープを飲み干した。立ち上がり、流しで軽く容器をすすいでから、ゴミ箱に捨てる。フラフラ歩く。
彼女のラフなパジャマ姿が、白い光に照らされた。冷蔵庫を開けたのだ。目ぼしい物がなかったからか、すぐに閉める。
俺は彼女の横顔を、ぼんやりと眺めていた。
体が軽い。
ようやく室は、紅茶に口をつけた。いちごジャムは混ぜておいたが、期待していた味と違ったらしく、ジャムをさらに大量投入する。
「あはっ、はははは!」
今取った自分の行動がよほど面白かったのだろう。唐突に笑い始めた。あれが深夜テンションか。側から見ると普通に気持ち悪い。
「あれ覚えてる? 小六の時に初めてカフェ行ってさー。全員無理してエスプレッソのブラック頼んで、全員で机の砂糖を使い果たしたあの日!」
「コーヒーを飲む度に思い出すよ。一番砂糖が少なかったのは俺だった」
「違うよ私だよー。一番多かったのが昊刃くんじゃん」
「ボケたのかい室さんや。深刻な記憶障害が懸念されるぜ」
「は〜? 医者の娘に無礼だぞ。親の七光り発動、昊刃くんに脳外科への紹介状」
「悪かったよ。一番の甘ったれ小僧は鳥矢ということで手打ちにしよう」
「オーケー。あ。白西。ごめん。起こしちゃった?」
振り向く。ビビった。気配がなかったものだから。
薄暗闇の中、彼女は静かに立ち尽くしていた。
何を考えているのか読み取れない真っ黒な瞳に、魂まで吸い込まれそうになる。出会ってから、アイテールを奪われ理性をなくした後でも、ここだけはずっと同じ。
元々こいつは、何を考えているのか分からない奴だった。
そこに惹かれた。
「うるさくしてたら迷惑だし、そろそろ戻るよ」
白西の背中を押して、階段に向かう室。
彼女は言う。
「その手袋さあ。海にいる時ぐらい外せばいいじゃん」
「え? ああ……外すの忘れてた。付けてるのが当たり前過ぎて」
「そうなの? 昊刃くんも、ちょっと変わったね。おやすみ〜」
「おやすみ」
左手を振る。指が空を切る。
室たちがいなくなった後も、しばらくプラプラさせていた。確かに小学生の頃は、蒸れて気持ちが悪いからと、隙を見ては手袋を外していた記憶がある。
リーが近づいてきた。
「ソラハ。エギンが現れたヨ」「いつからいたんだ?」
「『タンドリーチキン・ファイナル』」
「ずっと後ろにいたってことか。化け物の居場所は?」
「南南西に距離およそ三百二十メートルネ」
スマホで方角を確認し、大体の位置にソナーを発信する。
同時並行で浮いた。コテージの壁をすり抜け、目標に向かって高速で飛行する。亜人としての自分を自覚して一ヶ月半。慣れたものだ。空高くを移動するには、まだまだ巴ちゃんの助けが必要だけど。
再度ソナーを展開した。病院の技巧派クラゲが張ったような罠の可能性も探る。が、今回の化け物は正直だった。サル型。顔の腫れぼったさからして、オスのオランウータンを模している。
あれ? 首を傾げる。
出現直後にもかかわらず、化け物は活動を始めていた。リー曰く、世界に開いた穴が小さいうちは、彼らは環境に馴染むための調整時間を必要とする。この一ヶ月半で、だんだん短くなってきたけど、ちょっとずつだ。クラゲは六時間で、四日前に位置を偽装されて探すのに手間取った奴が四時間半。
いきなりノータイムって。
穴くん、過激なプレイで拡張工事でもされたの?
リーからは、「化け物は見つけ次第殺すネ」と厳命されている。おかしな点を見つけても相談は後だ。取り逃す危険性を少しでも大きくしてはならない。
上からの突撃パンチ、通称アン◯ンチで敵を沈めた。
そのままUターンで帰る。
死んで消えゆくサルの化け物から落ちた、小さな種の存在に、まったく気づきもせず。
眷属の育成描写が全然ないので、あらすじの「眷属育成系」の横に(?)を入れました。往生際悪く。




