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アカの亜人  作者: オッコー勝森
第1章 Yellow
2/252

1 人間ではない


 体が、軽い。


 こんなに軽く感じるのは久しぶりだった。制服に身を包む同世代の群れを、リズミカルに抜き去っていく。約半数は「ながら歩き」で、進みが遅い。いつもなら苛立つ彼ら彼女らの存在も、今日はおおらかな気持ちで許せる。

 友達の背中を見つけた。軽くバッグを叩く。


「おはよう白西(しろにし)」「はよー」


 声はほとんど聞こえなかった。ホントに「はよー」と返してくれたのか、イマイチ自信がない。幻聴の可能性がある。


「人ってのは、見据える方角が前なんだよ。スマホの中が白西の前?」

「スマホん中以外のどこに未来があるとゆ−の?」

「少なくともそのゲームにはない。制作会社が倒産寸前なので」「まじ?」

「ゲームしながら歩くのは超危険だぞ。地図アプリですら危ない時あるのに」

「ダイジョブよ。ぶつかりそうになったら右上にアラート出る設定にしてるし」

「へー。どんどん人間をダメにしてくるな、悪い恋人みたい」


 下駄箱の靴を入れ替える。白西がローファーを片方落とした。拾ってやる。


「あーあ。『第三の手』欲しー」

「ああ、あの『装着出来るスマホスタンド』? でもお高いんでしょう?」

「十五万円」「フツーに高い」「持てるのスマホだけじゃないしね」


 本も持てるらしい。便利そうだ。俺も欲しい。

 手袋を着けた、少し不自由(・・・・・)な左手を見ると、余計にそう思う。


「……なあ」「んー。どしたの昊刃(そらは)

「今日、なんか軽くね?」「へ?」


 顰めっ面が目に入る。


「曇りだし、湿度も高めだし。ダルくて重いくらいなんだけど?」


 訝しむように、彼女はそう言った。


「ごめん、変だった」


 理解されない寂しさを、少し笑って誤魔化した。


◇◇◇


 体が軽い。どんなステップでも踏めそうだ。

 下校時刻になっても、それは変わらない。


「あちゃちゃ〜。結構降ってんな〜」「天気予報見てなかったん?」


 傘なし少女、(むろ)の背中に冷ややかな視線を向ける白西。俺も見ていなかったが、常に折り畳み傘を二つ携帯している。

 一つを室に貸しつつ、二人に尋ねた。


「あれ、鳥矢は?」「先帰った。なんだろう、忙しいって」

「あの暇人が? ヒマを溶かしたヒマでコーティングして、さらに上から大量の粉末ヒマをかけたような存在のあいつが? 暇過ぎて忙しいんじゃねいの〜?」

「ムロぉ、さすがにいーすぎ。つかさ、ヒマって溶けるの? 何度で?」

「デミ・シー()

「あのゲームおもろいよねー。確かにヒマな時間溶ける」


 知らないゲームだった。あと、大量の粉末ヒマの方が気になったせいもあって、会話に乗り切れない。


「早く帰ろうぜ。今日は寒くないけど、雨見てると少し寒い」

「昊刃、デミ・シードはまじおすすめだから。今度ムロんち集まってやろー」

「え〜。鳥矢の家で良くな〜い?」「あっこ四人も入るスキマないじゃん」

「はあ。キミら知ってるでしょ」


 傘を広げて外に出た。雨の感触が、ビニルの膜を通じて、ポツポツと伝わってくる。


「俺の左手。興奮したらゲーム機すり抜けちゃうの」


 ゲーム機だけじゃない。

 どんな物でも、すり抜ける。

 談笑しながら行く帰り道。鳥矢含めた三人は、幼馴染で、とてつもなくいい奴らだ。医師も匙を投げた俺の特異な左手を、気持ち悪がらず側にいてくれる。彼らがいたから、俺は自分の体質と上手く付き合ってこれた。

 しばらく持ちそうな腐れ縁。俺は白西のことが好きだから、このまま腐れ縁で終わってほしくはないけれど。

 当の本人は恋愛に興味がなさそうだから、まったく踏み込めずにいる。


「あれ」


 室が立ち止まった。つられて同じ方角を見る。

 自動販売機が二台並んでいた。列から「あったかい」飲み物が消えて、大体一ヶ月と少しになる。片方を背もたれにして、子供が座っている。

 傘も持たず、ずぶ濡れだ。

 息が荒い。震えている。

 嫌な予感がした。傘を捨てて走り寄る。特徴的なピンク色の髪。隣の部屋に住んでる子だ。見かけたら挨拶する程度の仲だが、知ってる少女だった。

 ボロボロで、傷だらけ。


「おい、しっかりしろ! 何があった!?」


 至る所に噛み跡がある。人の歯形だ。

 食いちぎられてはいないが、しかしかなり出血している。手当が必要だと感じた。

 少女は勢いよく顔を上げた。怯えて後ろに下がろうとする。「お兄、さん?」と呟いてから、すぐに落ち着いた。顔は覚えてもらっていたみたいだ。


「富良野さん、だったな? 今から救急車呼ぶから」

「もう呼んだよ」「さすが白西。愛してる」「それ照れる」

「富良野さん。警察も呼んだ方がいい? ホント何があった?」

「……あ」


 少女の(つぶら)な瞳が潤む。


「お、お母さんが」「お母さんがどうしたの?」

「っ……っ!?」


 言いかけて、その表情が強張った。恐怖で歪んでいた。

 振り返る。

 強い雨の中、裸足の女が立っていた。

 彼女もまた、よく見かける人物だった。富良野家の母。やはり挨拶する程度の関係で、会話したことはなかったが、優しそうな人という印象を抱いていた。

 なのに、今の彼女は、見るからに異様な雰囲気を放っていた。濡れた体に宿るは、研ぎ澄まされた本能と、何をしでかすか分からない危うさ。

 ヒタヒタと近づいてくる。富良野母の(まなこ)は、冷ややかで、悍ましくて、とても娘に向けていいものじゃなかった。

 人間じゃないみたいだ。

 怯む。背筋が凍る。雨を忘れそうになるが、雨音は休みなく響く。

 意識が尖っていく。ピンク髪の少女は、ショックで呆然とするだけ。二人の女友達は、固まって動かない。

 意を決して前に出て、富良野家の母に話しかけた。


「あの。鉄分不足ですか?」


 質問を聞こうともせず、彼女は隣を駆け抜けて、後ろの娘に噛みつこうとした。体が軽い(・・・・)から反応出来た。腕を差し込むと、己の肉に歯が食い込む感触がした。痛い。

 振り払う。ものすごい力が出た。背中から倒れ、水溜まりで転がる富良野家の母に叫ぶ。


「あんた何やってんすか!? 錯乱ってのにも程があるでしょ!」

「違うの!」


 少女に腕を掴まれる。


「お母さんのせいじゃないの!」「え?」


 濡れたコンクリートの上、もがく富良野家母の後ろから、それは現れた。

 半透明の大きな黒球から、鳥の足が四本生えている。そして、球体のど真ん中に、大きな一つ目がギョロリと蠢いた。瞳孔の開きを調節している。まるで、俺たちに焦点を合わせるみたいに。

 なんだ、あの化け物は。

 ピンク髪の少女を抱えて、横に飛ぶのが精一杯だった。

 化け物から五発の弾が射出される。

 室には当たらなかった。しかし白西の頭に一つ当たった。

 彼女は後ろに倒れ、水飛沫を上げた。すべてがゆっくりに見えた。

 心が黒く染まっていく。怒りと絶望が身を焦がす。なぜ俺はこんなに遅い、と自らを呪いながら走ったら、少し速くなった気がした。

 化け物に殴りかかる。右手、全身とすり抜けた。半透明な化け物だ。この世のモノじゃないのかもしれない。人間の攻撃が当たらずとも不思議じゃない。

 にもかかわらず、左手はその半透明の体に、引っかかりがあったように思われた。

 だから踏みとどまって、踵を返し、左手で殴った。ちゃんとヒットした。

 もんどり打って転がる化け物。力尽きたのか、ドロドロと融けて消える。


「やった、のか……? ……、──おい、白に、し」


 撃たれて倒れているはずの彼女が、今まさに、俺の喉元を食い千切らんとばかりに襲いかかってきていた。

 息を呑みつつ体をずらす。肩に歯が食い込む。痛みなど気にならない。ひたすら困惑するだけだ。

 見知った少女がボロボロで、見知ったおばさんが狂っていて、気色悪い化け物に遭遇して、友達が狂ってしまって。

 いきなり過ぎる。訳が分からない。


 体はどこまでも軽い。


「どういうことだよっ、おいこれ、どういうことなんだ白西!?」

「グウ、うゔううう、ううっ」


 視界の奥に、メソメソ泣く室の姿が映った。俺も泣きたい。

 強い風が吹いた。水滴の暴力に瞼が閉じる。無意識のうちに、左手が白西を押し退けていた。

 するとだ。雷にでも撃たれたかのように彼女の体は硬直し、俺に向かって倒れ込んでくる。


「はあ、はあ」


 死んではいない。気絶しているだけだ。


「はあ、はあ、はあ、はあ……」


 荒く息を吐く。俺はこれからどうすればいい。どうすればいいのだろう。


「そうだ、警察に」

「それはあまりよろしくないネ」


 右手のスマホがはたき落とされた。隣には、リスっぽいけどリスそのものではない、生き物とぬいぐるみのキメラがいた。ずぶ濡れだが眼光は鋭い。

 また訳が分からないのが。

 情報量が多過ぎる。


「ふう。やっと見つけたヨ。亜人」「……亜人?」

「お前のことネ」「はい?」

「もう救急車は呼んじまったんダロ? 異常者扱いされるのは目に見えてるネ。幸い目撃者はいないヨ。早う逃げるネ」「は? ……はあ」


 頭はパンク寸前で、冷静に思考出来る状態とは到底言い難く、イエスマンになるより他はなかった。一先ず、気絶した白西、呻く富良野母と、現実を受け入れられず呆然としている少女二人を連れて、ここから最も近くかつ最も広い、室の家に向かうことにした。

 俺とアイツ(・・・)の悪夢は、大体そんな感じで始まった。


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