繋がるホシとホシ
此糸市の小甲良高校で体育の授業中ある少女が空を仰いだ。
他人の百メートル走に興味が持てなかったのだ。
彼女の名前が体育教師から呼ばれる。
だが、彼女は空から目を離せなかった。
それは空にありえないものが浮いていたからだ。それは、いつでも実物を見られるが、あまりに近くあまりに大きすぎるため写真でしか全容を見たことがない、ある物にそっくりだった。
それは宇宙から撮影された地球にそっくりだった。
大きさはどの程度かは分からないが空一面地球のようなもので覆われていた。
それを見た彼女が感じたのは感動だった。美しさに心打たれ幾ばくか放心状態になってしまう。
体育教師はUFOでも見たのかと半分冗談のように半分心配して彼女の名前を再度呼んだ。
彼女はこの空の上にある地球を体育教師が問題にしていないことにわずかに驚いた。だが、それ以上に納得の方が強かった。
こんなに非日常的なもの私の幻覚かたった十六年しか生きていない私が知らなかっただけでありふれたの自然現象なのだろうと彼女は自分を納得させた。
ほどなくして彼女は位置について用意ドーンの合図に合わせて走りだした。
彼女は気がつかなかった事がある。それは空の地球から桃色の細い煙が此糸市に流れていたことだ。
桃色の煙は此糸市のとある場所で人の形に変わっていった。
それに気がつく人間はまだ誰一人としていなかった。
それは自分が目覚めていることに気がついた。
それはショッキングピンクの一色の仮面を付けていた。
仮面を付けた怪人は自分が居る場所を此糸市で一番大きなショッピングモールだと理解すると笑った。その笑いは少し乾いていた。
仮面を付けた怪人は何処かへ消えた。
此糸高校では午前の授業が終わり、少し騒がしくなっていた。
「ねえねえ譲、あれすごいよ」
ふと窓の向こうを見た勇芽はいつもより高い声で窓の向こうを指さした。
「そんなにはしゃいでどうした勇芽」
そう言う譲はいつもと違う勇芽のテンションに驚きつつ空を見た。
空には地球のようなものが浮かんでいた。
譲はそれを見て何故か嫌な気持ちになり眼を背けた。
「二人して何もない空を見上げるなんてよっぽど仲が良いんだな」
クラスメイトの安佐川拓がそう言って譲と勇芽に絡んだ。
譲と勇芽は空に浮いている地球が安佐川に見えていないことに驚いた。
「えっ、譲は見えるよね?」
「勇芽も見えるんだよな?」
二人は顔を見合わせた。
「というか、名前で呼び合う関係だったのかよ。ひょっとしてデキてんのか?」
安佐川から下世話な言葉が聞こえてきたが譲は意に介さないように努めようとした。しかし、恋人に見えるみたいなことを言われて譲が平静を保てるはずもなく、顔は赤くなっていった。
扉が開く音が強く響いた。
「恥ずかしがってる二人の仲が気になっている諸君のために八縁譲の双子の姉である八縁智お姉さまが説明してくれよう」
譲の顔は赤から青に変わり、勇芽は赤くなった顔をさっと隠した。
「まず、私と一緒に三人で幼なじみなの、双子だから名字呼びはややこしいし一方からだけ名前呼びはちょっと嫌でしょ。大体そんな感じよ」
智は楽しそうに話した。
「智お姉さま、じっさい二人はラブラブなんですか?」
安佐川が智に間髪入れず聞いた。
「二人とも関係を進展させたがっている、だけど怖くて一歩踏み出せない。どう? 譲、勇芽? お姉さまの推理通りかしら」
「どういうキャラ付けだ? というか俺が兄だ。それにしてもツッコミどころ多いな。大体そう推理するなら黙ってやるのが優しさだろ?」
譲は少し怒りながら言った。
「はい、お姉さまの言うとおり譲は私の発言を否定しませんでした」
しかし、智は譲の怒りなど意に介さないように冷たく言った。
「俺が兄だ。俺が先に生まれた」
「ほら生まれた順番なんて、たった数時間のことにこだわる器の小さい子なんです。どうか譲と仲良くしてやってください。根はいい子なんです」
「いっぱしに保護者気取りか」
「あら、姉が保護者を気取って悪いのかしら」
譲と智がいつも通りの会話を繰り広げる。そこに割り込むか細い声があった。
「…… めて」
それは勇芽だった。
「もう、いい加減にやめてよ。智」
勇芽は意を決したように言った。
「ごめんねイサメン。だけど、」
ここまで言うと智は意味ありげに黙った。
智は勇芽の耳元で続きを呟いた。
「ぼやぼやしてるとお兄ちゃんは私が取っちゃうぞ」
智は満足げな顔で教室から出ていった。
「さすがに悪趣味だぞ」
教室の外で智にそう声をかけたのは居間田来。彼女は八縁譲と同じ美術部で八縁智と同じクラスだ。
「教室の外で盗み聞きするような人に言われたくないな」
智はそう言って自分の教室へ戻ろうとする。
「呆れて言葉も出ないな。八縁、譲や池田の気持ちは考えないのか?」
居間田はそう言って智とともに教室へ戻る。
「考えてるよ。だけど、居間田は私の気持ちを考えてる?」
居間田は智になにも言わなかった。
「まあ、実際ズルくてヒドい手を使ったけどさ。今日、部活あるよね。譲の背中を押してくれない。譲は人と距離とるから頼めるのが居間田ぐらいなのよ」
居間田は舌打ちで答えた。
「二人がつきあっちゃえば私が今日したことなんてどうでも良いことでしょ」
居間田は智を睨んだ。
譲は憤慨していた。
最後に勇芽になにを言ったかは分からないが勇芽を嫌な気分にさせたのは間違いない。
「勇芽、智の言ったことなんて気にするな」
譲はそう言って勇芽の背中を撫でた。
「でも、智ちゃん本気だった」
勇芽は涙ぐみながら言った。
「兄として謝る。ホント、妹が迷惑をかけた」
譲のそんな態度を見て勇芽は智になにを言われたか相談しそうになった。
だが、思いとどまった。
智が譲を狙っていると譲に伝えても譲を困らせるだけだ。それならいっそ……
勇芽は涙を指で拭い笑顔を作った。
「ねえ、明日お祭りだよね。二人っきりで回らない?」
勇芽は決意した。その決意とは譲に本気で恋すること。
「分かった。行こう」
譲はそう言って勇芽の手を強く握った。
「ありがと」
勇芽の鼓動が強くなった。そして勇芽は微笑んだ。
「ラブラブですな」
そんなクラスメイトの言葉に恥ずかしくなって譲と勇芽は手を離した。
譲と勇芽は気まずそうに弁当を広げた。
「今年の目標とかある?」
食事中、なんとなくクラス内に出来た輪の仲でそんな話題が出た。
それは譲と勇芽に流れている微妙な空気を断ち切るための優しさから出た話題だったのかもしれない。
「ちなみに俺はバスケ部で県大会出ること」
そう言ったのはバスケ部の春川一だった。
「俺も偏差値60まで上げることかな」
左倉利がそんなことを言った。
「私はスゴい格好よくて萌える人のファンになる!」
大月姫は高らかに宣言した。
「大事な人とずっと一緒にいたいなって。ふわふわしててゴメンね」
勇芽は照れくさそうに譲をちらりと見た。
「本当にラブラブだな。羨ましいぜ。俺もこんなラブラブな彼女ほしいな」
さっきから譲と勇芽を茶化していた安佐川拓は二人をじっと見て言った。
「俺は……」
譲はやりたいことを言葉にできなかった。
「おいおい、彼女に答えてやれよ」
安佐川の言葉に譲はなにも言えなかった。
「ほら譲、美術部でしょ。賞取るとかないの?」
勇芽の言葉に譲は静かに首を振った。
そんな物のために絵を描いているんじゃない。
「なんか答えろよ。白けちゃったじゃないか。彼女を幸せにしますとでも言えば良かったんだよ」
安佐川に白けた眼線が注がれた。
「その辺にしとけよ安佐川。ところで窓の向こうでなにを見たんだ?」
バスケ部の春川が話題を変えた。
「目の錯覚か光の反射か何かだと思うんだけど、地球が浮いてたの」
勇芽がそう答えるとみんなは窓の向こうを見た。だが「勘違いか何かじゃないの」と怪訝な顔をするだけだった、一人を除いて。
「これは何の前触れだろうね? 一部の人間にしか見えない謎の物。格好いい萌えの予感がする!」
期待を込めた声の主は大月だった。
譲は黙って弁当を平らげると授業が始まるまで眠った。
放課後に譲は美術部に向かった。
美術部には居間田しかいなかった。
「先輩は?」
譲は居間田に問いかける。
「課題が鬼多いとかで帰ったぞ」
居間田はスケッチブックと窓の向こうから視線を動かさずに答えた。
「そっか、居間田も見える側なんだ」
譲は居間田が鉛筆で描いている絵を見て言った。
「八縁も見えるのか。まあ、八縁智も見えていたから当然か」
居間田はスケッチブックに空に浮いた地球を描いていた。
「そっか、智も見えるのか」
譲は自分でも驚くほど冷たく言葉を放った。
「喧嘩でもしたのか?」
居間田は白々しくも聞いた
「そっか、これ兄妹喧嘩なのか」
譲は自分の言葉を受けとめるのに数十秒の時間が必要だった。
「なあ八縁、八縁は喧嘩の経験があるのか?」
「兄妹喧嘩は初。それ以外も実質初みたいなもの」
「じゃあ、喧嘩のルールを教えてやろう。何ヶ月かかってもいいから仲直りすることだ。それが出来なきゃその喧嘩は八縁の負けだ」
「そっか」
「喧嘩ってのは相手を許す儀式の一つだ。忘れるなよ」
「分かった憶えとく」
「ならば良し。そうだ、八縁。本来私がやることになっていた新入生歓迎のポスター作り押しつけてもいいか?」
「ああ、色鉛筆なら土日中に終わらせられるぞ」
「ありがとう。あと、今日は早く帰って明日のデートの準備でもするんだな」
「えっ」
「噂になってたぞ」
居間田はそう言うと初めて譲の方を見た。
「上手くやれよ。応援してるぞ」
居間田はそう言って譲に微笑んだ。
譲はそう言われて改めて明日のデートを意識した。胸が苦しくなるほどに強く脈打った。