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眠りにつく前に





「あなたの存在が、わたし達のあの夜の決断が正しかったのだと教えてくれたのよ」



耳もとに届く前崎さんの声は、どこまでも柔らかだった。

頭と背中を撫でてくれる前崎さんの手は、信じられないほどに優しかった。

両親の愛情を疑っていたわけではないけれど、こんな風にダイレクトに示される愛情には慣れていなくて。

だが、惜しみなく注がれる祖母からの親愛に戸惑いながらも、私は、祖母の体温に安らぎを感じていた。

まるで、私だけに注がれたホットミルクのように。



「ありがとう。ありがとうね、千彬(ちあき)さん」




前崎さんはそう伝えてくれたあと、「……っ」と、少しだけ痛みが走ったように表情を崩された。

それだけではどこに痛みがあったのか判断できないが、「大丈夫よ」と本人はいたって明るく答えてくる。

本来なら、私は、患者さんの痛みには敏感になるべき立場なのだが、最後の夜という認識でいる今夜に限っては、医師への細かな報告は無粋だと思った。


「せっかくこうしてみんなが集まってくれてるのに、無理がきかない体になっちゃって、だめね……。少し、休ませてもらおうかしら。まだみんな帰ったりしないわよね?」


ソファから、彬文さん、私、私の父を見まわす前崎さん。

どこか心配げに眉を寄せていて、だから彬文さんと父は「まだ帰らないよ」「もちろんです」と即答していた。



「私は、ずっと、ここにいます」


二人に遅れて私がそう返すと、前崎さんはソファから立ち上がりながら、


「それなら、良かった」


お顔全部をくしゅっとさせて、それはそれは幸せそうに笑ったのだった。



私は前崎さんの手を取り、ゆっくりとベッドまで寄り添った。

心なしか、その歩幅はさっきよりも小さくなっているような気がした。

でもあの時は患者さんと看護師だったけれど、今は、祖母と孫という関係なのだ。

私は、最初で最後のお祖母ちゃん孝行をしっかりと味わっていた。


そして前崎さんがベッドに腰かけ、カーディガンを脱ぎ、枕に頭を預けてから、私が上から布団をそっとかける。

すると、私の横から父が前崎さんに呼びかけた。



「ひとつだけ……よろしいですか?」


「なにかしら?」


掛布団をわずかに捲り、前崎さんが父を見上げた。

その、ひょこっとした様子が、とても可愛らしい。

けれどそんな前崎さんとは対照的に、父は真剣な眼差しだった。



「………こんなことになってしまい、本当に、申し訳ありません」



その言葉とともに、頭を下げた父。

だが多くは語らず、私には何に対しての謝罪なのかが掴めなかった。

それでも謝罪の宛先である前崎さんにはすぐに理解ができたようで、「あら、いいのよ」と軽く受け止めた。


「だってあなたは、わたし達の息子の命の恩人なんだから」


すると、それを聞いた父は、「はい」とだけ頷き、頭を戻した。

再び見えた横顔は、真剣な中にも悔しさを織り交ぜたように、痛々しく歪んでいた。



「俺も、ひとつだけいいかな?」


次に声をかけてきたのは彬文さんだ。

皆の会話が終わるのを待っていたかのような入り方だった。


「彬くん……」


「千代、たくさん話して疲れただろう?ゆくっり休んでいいよ。俺は千代が眠るまでずっと千代のそばにいるから」


「そうね、そうするわ……」


「千代、」


「ん?」


優しく前崎さんを呼び止めた彬文さんは、ごく自然に、おやすみのキスをした。




「……子供と孫の見てる前でキスだなんて、ちょっと恥ずかしいけど、まさかこんな日が来るなんてね………。わたしは、幸せ者ね。こんな風に大切な人に囲まれて……ふふ、みんなロマンチストさんね。ここにいるわたし以外の人は、みんなロマンチスト。あの夜と同じだけど、あの夜よりも、楽しいわ……。……ありがとう、みん…な、愛し………る………――――」



聞こえるか聞こえないかの音で ”愛してる” と言い残した祖母に、祖父は、もう一度、ゆっくりとキスを贈った。




「愛してるよ、千代。…………おやすみ」





そしてその後、祖母が目を覚ますことはなかった。










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