懐かしい人
不安定にふるふると足や腕を揺らし、自身の体さえしっかり力を行き渡らせることはできないのに、その名前だけは、意外なほどに大きく強くはっきりと、前崎さんが口にした。
そして前崎さんが呼んだその名前は、間違いなく、私の上司の名前だった。
「お久しぶりです、前崎さん」
上司はにっこりと全身で微笑みかけるような、優しい態度で返した。
常に丁寧な物腰の人ではあるが、長い付き合いの中で、こんなにあからさまな上機嫌は見たことがないかもしれない。
私は珍しいものが見られたことに少し心が浮き上がった。
けれど反対に前崎さんは、あまりにも突然の再会で驚き過ぎたのか、支えていた私の腕をきつくきつく掴んできた。
ギュッと握られたことに痛みが走る。
覚束ない足取りで、ふらついてさえいるのに、その手先からはそんな頼りなさは一切感じられない。
ただただ一心不乱に、”アヤセさん” のことを確かめようとしているみたいだ。
一歩、前崎さんの右足が前に動く。
するとそれを察した上司は「失礼いたします」と断り、室内に入ってきた。
その後ろで、スライド扉が自動で閉まる。
上司はそのまま大股でまっすぐこちらに歩いてくる。
そこまで広くはない個室を、スッスッと斜めに横切って、そうして、前崎さんの目の前に……
「ああ、やっぱりアヤセさんね……」
自然と、私とは反対側の腕を支える上司に、前崎さんは感慨深げにこぼした。
「伺うのが遅くなってしまい、申し訳ありません」
「そんなのいいんです。こうして会いに来てくれたのだから……」
上司は仰々しく詫びたが、前崎さんは首を横に振って答えた。
「あの夜最後に会ってから、もう……何年かしら。長かったようにも、短かったようにも思えます。でも、時間を行き来できるあなたは、わたしとは違う感覚なのかもしれませんね」
懐かしそうに、想いを当時に馳せるように、”アヤセさん” に話しかける前崎さん。
いつの間にかその細い腕は両方とも ”アヤセさん” が支えていた。
「いえ、前崎さんと同じように、長かったようにも短かったようにも感じますよ」
「そう………。でもお元気そうでよかったです。それで、わたしに会いに来てくれたのは、きっと、理由があるんですよね?」
前崎さんのセリフには、息子さんの命の恩人である ”アヤセさん” との再会を喜びながらも、息子さんのことを早く知りたいという気持ちが溢れかえっていた。
そしてそんなことは承知している上司も、微笑みを保ったまま、
「はい、その通りです」
ゆっくりした瞬きとともに頷いたのである。
「約束を守るために、今宵、こちらにやって参りました」




