『恋のはじまり』
結果から言えば、前崎くんの叔父さんは、残念ながら有効な手がかりは持っていなかった。
でもそれは仕方ない。なにしろもう十年も前の話なのだから。
わたしはさほどがっかりしなかったのだけど、どういうわけか、前崎くんはそうではなかったようだった。
『ごめんな……』そう項垂れる姿は、どちらが当事者だったのかを勘違いしてしまいそうになるほどで。
わたしは『気にしないで。でもありがとう』と、本心からの笑顔を、優しいクラスメイトに返したのだった。
それでもまだ申し訳なさそうにしている前崎くんに、わたしは『もう、そんな顔しないでよ』と言いながら背中をバンッと大きく叩いた。
『ぃって……』
探し人に直結する手がかりは得られなかったけれど、前崎くんの叔父さんは、当時のことを少しだけ覚えていたようで、わたしの記憶に残ってなかったことを教えてくれたのだから。
それが恩人探しにどう役立つのかは見当もつかないものの、あの時のことを思い返すためのアイテムとしては大いに役立ってくれそうだった。
前崎くんの叔父さんの話によると、あの日、わたしが忍び込んだ小学校の裏門の鍵が外れていたのを目撃していたそうだ。
そして、その門はわずかに開いていた。それは、前崎くんの叔父さんにとっては狭いものだったけれど、小さな子供が通るにはじゅうぶんな隙間だった。
不用心だな、そう思った叔父さんは、けれど勝手に閉めてもいいのかも察せず、ま、いっか…と、また足を進めた。
前崎くんの叔父さんは帰宅途中だったので、特に急ぐ必要もなく、足取りはのんびりしたものだった。
けれど、小学校の裏門から12、3メートルほど行ったところで、ガシャンッ!という大きな音が背後から聞こえてきたそうだ。
反射的に振り向くと、中学生くらいの少年が、裏門を開けて入っていくところだった。
その子は慣れた様子で裏門を潜っていって、だからおそらく、母校訪問か何かなのだろう…と、前崎くんの叔父さんは思ったのだという。
それが、前崎くんの叔父さんの記憶に残っていたあの日の全てだった。
叔父さんが見かけたという中学生とおぼしき少年が、わたしの命の恩人である可能性は、まったくゼロではない。
けれど、わたしが覚えているあの人は、とても中学生には、見えなかった。
何度も何度も当時のことを思い浮かべてみても、やはり、わたしを抱き止めてくれた腕の力強さも、家まで送ってくれて母に説明する口調も、中学生という印象は微塵も感じない。
なので、わたしの中では、探し人とこの中学生は別人と結論づけたのだった。
けれど、このことは、わたしと前崎くんとの関係には、大きな影響を残していったのだった。
『なんか、変に期待させて、悪かった』
もう何度目になるのか分からない謝罪を口にする前崎くんを、わたしは、とても優しい人だと再認識した。
そして前崎くんは、大した手がかりをもたらさなかったにも関わらず、何度も『ありがとう』と笑っていたわたしに好意を持ったのだという。
そういうこともあって、その年の夏が終わる頃には、わたし達は恋人になっていたのだった。