『ありがとう。』
『……じゃあ、いつかは、大きくなった息子に会えるんですね?』
わたしよりも先に、彬くんが淡々と質問した。
『お約束します』
微笑んだアヤセさんに、わたしは今夜はじめて、前向きな気持ちになれた。
『よかった。それなら、確かめられるから』
心の底からそう言って、彬くんと笑い合う。
するとアヤセさんが不思議そうに『何をですか?』と尋ねてきた。
わたしは、苦しみの中に点し込まれた希望一滴を、ティースプーンで思いっきりかき混ぜたい気分で答えた。
『息子が、夫に似てロマンチストになったのかどうかをです』
『ロマンチスト……?前崎さんはロマンチストなんですか?』
『ええ。とっても。だからきっとあの子もロマンチストになるんじゃないかと思って』
『そうでしたか』
わたしとアヤセさんの会話の外では、彬くんが苦笑っていた。
『俺、そこまでロマンチストかな……?』
その呟きがなんだか滑稽にも聞こえて、わたしもアヤセさんも、声に出して笑ってしまった。
空気が少しだけ和んでいたせいもあるのか、尖った愛想笑いではなく、自然にこぼれたものだ。
つられるようにして、彬くんも笑い出す。もちろん、深夜に相応しいボリュームで。
『でもそういえば、アヤセさんも、昔、俺にロマンチックっぽいこと言ってましたよね?』
『そうでしたか?』
矛先を向けられて、アヤセさんは、はて?といった感じに問い返した。
『ほら、高校生だった俺がはじめて過去に戻ったとき、子供だった千代と一緒に……覚えてないですか?俺、その頃はアヤセさんのこと叔父さんだと思ってたから、ロマンチスト気質なのは遺伝なのかもって、千代にそう話したくらいなんですよ?』
そう言えばそんなこともあったかなと、わたしは高校時代の記憶を紐解きたくもなるが、今ここでそんなことをしてる時間がないのが口惜しい。
『そうだったんですか。確かに何か言葉を交わした記憶はありますが、詳しい内容までは……。家族も仕事仲間にも周りにはロマンチストやらキザなタイプやらが大勢いますから、特段、自分がそうだとは思ったことはありませんでした。叔父から甥への遺伝でなくて、がっかりさせてしまったなら申し訳ありませんでした』
どうやらアヤセさんは自分ではその自覚はないらしい。
そんなことは他愛もないことという態度で、ロマンチスト談義を受け流してしまう。
『……ですが、いつか息子さんと会えたとき、息子さんがそうなのかどうか、うまく確かめられるといいですね。数年、あるいは数十年後の再会が、それこそロマンチックなものになるよう、祈ってます。そのためにも、息子さんのことは、全力で守って育てることを誓いますので、どうかお二人は、それまでお元気でいらしてください』
彬くんほどではないにしても、アヤセさんの言葉選びとか、話し方とかに、どことなくロマンチストの片鱗みたいなものを感じたけれど、それを広げることはできなかった。
なぜなら、続けてアヤセさんがとうとう口にしたのだ。
『では、そろそろ…』
それを合図に、わたしと彬くんは気持ちをぐっと硬化させ、もう解けさせないと決意したまま、アヤセさんを戸口まで見送ることにしたのだった。
『確認です。あなた方は、今宵、これから起こることを何も知らなかった。いいですか?あくまでも、病院に侵入した見ず知らずの無関係な男が、あなた方の息子さんを連れ去った。あなた達は被害者でしかない……いいですね?警察や病院関係者から何を言われても、罪悪感に襲われても、そのことだけはつき通してください』
ことさら厳しい口調でこの後のことを明確に指示した。
わたしも彬くんも、じゅうぶんに心得ていると態度で返す。
真剣な面差しで頷いたわたし達に、アヤセさんはふわりと厳しさを一枚脱いだ。
『では、参りますね。この件でお二人にお会いするのは、これが最後になりますので……お二人とも、どうかお元気で』
アヤセさんは上品な微笑みの中にかすかに名残惜しさみたいなものを滲ませ、
わたし達夫婦は揃って、息子の命の恩人に対し、一礼した。
『くれぐれも、くれぐれもよろしくお願いします』
『どうか息子を、助けてください。あなたを信頼して、預けます。よろしくお願いします』
扉を開いたアヤセさんは、まっすぐな眼差しで応じ、最後の最後に一言だけ口にした。
『ありがとう』
そしてわたしが彼のその姿を見たのは、その夜が最後だった―――――




