『違和感』
彬くんの言った ”雨” に、わたしの記憶は一目散にあの時に巻き戻っていった。
幼少時の、覚束ない残像の中でも、非常にクリアに維持されている事がいくつかあった。
もちろんその中には ”男の人の手首のほくろ” もあるけれど、その他にも、確かに、”雨” というキーワードは当てはまったのだ。
あの日、わたし達が小学校に侵入してから間もなく、夏の通り雨に見舞われたのである。
通り雨といっても、晴天の空がみるみると厚い雲に覆われていって、あっという間にザァザァ降りになって…というものではなく、晴れた景色の中に、細い細い蜘蛛の糸ほどの繊細な雨。
でも、その雨こそ、あっという間だった。
すぐに、濡れた地面以外はほとんどが、まるで時を戻したかのように元通りになってしまったのだ。
子供の感覚なので時間的なことは定かではないものの、とにかく束の間の出来事だったことには違いない。
わたしが階段から落ちたのは、その直後のことだった。
もし、彬くんの言ってる ”雨” が、あの細い雨のことを指してるなら、それは確かに証拠になり得るだろう。
わたしは彬くんに雨のことは話してないのだから、それを知っているという彬くんは、あの日、あの時、あの場所にいたことになる。
わたしはもう、彬くんの摩訶不思議な打ち明け話を信じざるを得ないところまで来ているのかもしれない。
『あの時、小学校に急いでる途中、晴れてるのに雨が降ってきたんだ。細かい、何ていうか…細い、シャーペンの芯みたいな雨だった。でもそれはほんの短い時間のことで、髪や上着は多少濡れたけど、すぐに乾いてしまうような雨だった。千代は、覚えてないかな?』
『………覚えてる。……わかった。信じる。彬くんの言ってること、信じるよ』
急に一転したその了承に、彬くんは小さく驚いた風だった。
けれどふっと、緊張の幕を一枚だけ剥いだようにも見えた。
『ありがとう。……じゃあ、話を続けるよ』
わたしは黙って、若干の穏やかさを取り戻した彬くんの声に耳を集中させた。
『それから元の時間に戻った高校生の俺は、千代に何か変化が起こってないかをすぐに確かめた。だって映画とかでよくあるだろ?過去に戻って何か行動したら、元の時代に戻ったときに思いもよらない変化が生じていたとか……いわゆるバタフライエフェクトのことだけど、それは、何も起こってなかった。千代は子供の頃に骨折したままだったし、あの出来事の記憶もそのまんまだったから。でも俺は、違和感があったんだ。叔父のことだよ。アヤセさんのことをこのときもまだ自分の叔父だと思い込んでた俺は、叔父が、なぜ電話であの日のことを訊いた俺に ”役立つ情報はない” みたいな返事をしたのか疑問に思ったんだ。だって、十年前に戻ってしまった俺は、あの日、子供の千代を家に送ってるときに叔父と会って、言葉を交わしていたんだから……』
彬くんの説明を聞いたわたしも、思わずハッとした。
確かに、彬くんの言ってることが正しいなら、叔父さんの言動は噛み合っていないように思えたのだ。




