『疑惑』
プロポーズを受けてからの日々は、いわゆる婚約期間となり、結婚にむけての準備段階に入っていった。
といっても、わたしの両親はすでに他界していたし、親戚付き合いもしておらず、仕事の翻訳もほとんど在宅での作業だったので、報告すべき相手はそこまで多くもなかった。
彬くんのご家族もお母さまお一人だし、付き合いはじめの頃に、『親戚と言って思い浮かぶのは叔父ひとりくらいだ』と聞いていたので、わたしは、もし結婚式を挙げるなら、わたし達二人と、彬くんのお母さま、そして叔父さまの四人で和やかにできればいいなと思っていた。
もしそうなったら、友人や彬くんの仕事関係の方には、二次会で挨拶させていただこう……
人生の節目の計画を練るのは、楽しい時間だった。
けれど、未来への期待に胸を躍らせる時間のちょっとした狭間には、あの日の違和感が重く沈み込んできたのも事実だった。
あの、プロポーズの日のことだ。
あの日、全体的に彬くんはいつもと違う雰囲気だったし、例の男の人の存在も、手首のほくろも、それから、意味不明のメッセージ……
どこの角度から思い返しても、あの日のことは、幸せ一色では見過ごせない不可解色が陰を落としていくのだから。
時にその陰は、幸せ色に混ざり込んで渦を巻き、わたしの心をざらつかせる。
キラキラと明るいものばかりではなく、ある意味玉石混淆でもある日々が続いた。
そしてそんな日々には、新たな ”違和感” も生まれていたのである。
結婚式は四人でできたらいいな……そう提案したわたしに、彬くんは好反応ではなかったのだ。
理由を訊けば、『叔父と母さんは昔大喧嘩してから、ずっと会ってないんだ。だから、母さんの前では叔父の話はしないで』と、強めに釘を刺されてしまった。
そんなことが実際にあるのだろうか?
姉弟が喧嘩したまま、何年も会わずにいるなんて……
彬くんが言うには、叔父さまは現在は海外在住らしく、結婚の件も電話で済ませておくそうだ。
家族、親族の間柄や親密具合なんて千差万別だけど、彬くんの叔父さまといえば、高校の時に探し人の件で少しお世話になってるので、直接結婚のご挨拶ができないことに落胆せずにはいられなかった。
じゃあせめてその電話でわたしにも話させてほしいと頼んでも、彬くんからは『そんなの気にしなくて大丈夫だから』と柔らかく拒否されてしまう。
―――もしかしたら、何か隠しごとがあるのかもしれない。
そんな疑いを持つのは自然だった。
違和感が疑惑へ、やがて、疑惑は不安へ。
そうして、容易く転がり落ちる心情の果てに、わたしは、彬くんには内密に、指輪を調べることにしたのだった。
指輪に関する疑念が払拭されたら、きっと今感じている不安もなくなるに違いない……そう思ったのだ。
ところが、前に見つけていた指輪のオーダーシートが、忽然と姿を消していたのである。
確かに、二人共有のクローゼットの右奥にあるミニチェストの一番下の引き出しの中、上質の封筒に入っていたはずなのに。
その封筒ごと、きれいになくなっていたのだ。
探しても探しても、チェストの全部の引き出しをひっくり返して、クローゼットの中を隅々まで見ても、本当に、どこにもなかった。
その後、彬くんの留守を見計らって、リビング、キッチン、洗面所、納戸…数日に渡り、家じゅうの可能性がありそうな場所に捜索範囲を広げても、発見には至らなかった。
小さな封筒一通なのだから、どこかに紛れ込んでしまっても不思議ではないだろう。
けれど、わたしが触ってない以上、彬くんがあの場所から移したのは間違いないのだ。
プロポーズを終えて、必要なくなったから処分したのか、それとも、何か意図があって隠し場所を変えたのか……
考えすぎると、すべてのことが疑わしく思えてきてしまう。
わたしは、もうここは一か八か、オーダーシートに記されていた店舗に直接赴くことにしたのだった。




