『プロポーズ』
『え………?』
問い返すわたしに一瞥もないまま、彬くんは小箱の中からさらにもうひとつの箱を取り出した。
明らかにジュエリーボックスだと分かるものだ。
彬くんの手のひらにすっぽりはまるほどの、小ぶりなサイズ。
それを指で味わうように撫でながら、彬くんはさっきよりも力を込めて訊いてきた。
『その男にも、手首のほくろがあったのか?』
わたしは、ジュエリーボックスを見つめる彬くんの指先が、かすかに震えているのを見てしまった。
どうして彬くんはそんな風に思ったのだろうか。
何か思い当たることでもあったのだろうか。
それとも………あの男の人を、知ってるのだろうか?
『どうしてそんなことを訊くの?』
質問に質問で応じたわたしに、彬くんはハッとして、弾かれるように顔を上げた。
『それは………』
困惑がありありと浮かび上がる。
でもそれは、長引くことはなかった。
少しの思案を越えて、やがて、意を決したのか、スッと、彬くんはジュエリーボックスをテーブルに置いた。
『なんとなく、そう思っただけだ。だってほら、千代は時々、手首にほくろのある男と縁があるだろ?だから今回もそうかなと思っただけだよ。でもそんな偶然、あるわけないよな。今言ったことは忘れて。……実は、これは俺が家から持って来たものなんだけど、どうも店のどこかに置き忘れてきたみたいなんだ。だからきっと、見ず知らずの親切な人がそれをわざわざ持って来てくれたんだと思う。その証拠に……』
いつの間にか震えが止まっていた指先は、おもむろに、そのボックスを開いてみせた。
恭しく姿を見せたのは、やはり、ダイヤの指輪だった。
『サイズは、千代にぴったりなはずだ』
『これは……?』
『ただの指輪だよ。今はね。……でももし、千代がプロポーズを受け入れてくれるなら、あっという間に ”婚約指輪” に早変わりする』
千代次第だよ。
思わずわたしは、ドキリと、そしてギクリとしてしまった。
彬くんのその真剣な目に、嘘はない……と、信じたい。
あのハット姿の男の人のことを、見ず知らずの親切な人だと言い切った彬くん。
でも本当にその通りなのだろうか。
だったら、あの男の人は、彬くんの落とし物を親切に届けてくれただけの、一期一会の赤の他人ということ?
そう言った彬くんの言葉を信じない理由はないし、彬くんが知らないふりをする理由もないはずだ。
でももし、わたしが、その見ず知らずの親切な人の手首にもほくろがあったことを教えたら、彬くんはどんな反応を示すのだろう………
そんな疑問が過ったものの、それは瞬きするような瞬間的なものだった。
だって、確かにあの男の人はわたしの心をもやもやと騒がせたけれど、今のわたしにとって最重要なことはそんなことではない。
今のわたしが一番重要視すべきなのは、彬くんにプロポーズを受けてる真っ最中だということなのだから。
”ギクリ” より、”ドキリ” の方が大きかったのだから。
わたしは、まっすぐに伸びる彬くんの眼差しに、真摯に受けて立った。
すると彬くんは、テーブルの上で軽く握っていたわたしの手に、そっと自分の手のひらを重ねてきた。
『千代……』
その呼び方は、いつもよりさらに甘やかだ。
彬くんの大きな手は、わたしの指を容易く絡めとって包んでしまう。
そしてその親指の腹は、わたしの手のひらを愛しげに撫でた。
『千代のことを一人にしないって約束は、必ず守るよ。ひとりぼっちになんかさせない。だから……結婚、してください。………結婚しよう』
その一言は、いとも簡単に、わたしの世界を彬くん一色にさせてしまう。
あの指輪のオーダーシートも、今日の彬くんの落ち着かない態度や動揺した顔も、あのハットを被った男の人も、もうその全部が全部、些細なことに思えてしまったのだから。
予感していたプロポーズは、そこまでの驚きはないはずなのに、
予感していた以上の感動が、わたしの胸をいっぱいに満たしていったのだった。




