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割れた瞳

「――でも、もう――これで全部終わりッス!」


 大きく背伸びしたアノマリア。


「もう自分にすべきことは、何もないわけで。あとは……そーッスねぇ……さっき落ちていったイグズド。最後はアレを始末するッスかね。後続の奪還部隊が来た時にアレがいたら、また手こずってしまうッスから。アレ、たぶん上にいたウニ・イグズドの体液に誘われて出てきた新手(あらて)ッスよ」


「いやいや、いや、まてまて。ちょっと待て――」


 二階堂がアノマリアの手を掴もうと踏み込むと、彼女はその手を引いて避けた。


虚骸(コーマ)になった戦士はみんな死ぬまで戦うッス。自分も、義務を果たすッスよ。おじさまは、エヴァイアにこのストロングホールド解放の知らせを持っていって欲しいッス。そうすればお兄ちゃんも、仲間のみんなも報われるッスから……」


「待ってくれ……俺との、約束はどうなる」


 苦し紛れにひねり出した言葉は、そんな下らないひと言だった。


 ――思えば、この女とは出会って一ヶ月も経っていない。引き留めるほどの関係性でもなければ、それが出来る材料も持っていない。彼女のことは、ほとんど何も知らなかった。


「困ったおじさま――ひょっとして、もったいなかったって、思ってるッスか?」


 そう言って、クスリと笑ったアノマリアの顔には、いつもの人を揶揄(からか)うような屈託無い色が浮かんでいて――しかし次の瞬間、彼女は昏い()で二階堂を見た。


「でも、もう駄目。時間切れ」


 二階堂は食い下がる。


「――君の言い分は分かった。でもだからって、まだいいだろう。あのイグズドは始末するにしても、まずは一回外に出て、落ち着いて話をしよう。事情を俺たちに聞かせてくれ。それでもどうしてもって言うなら、また俺が、やってやるから」


「そう言って、ビヨンド号まで連れ帰る気ッスね。駄目。あそこは心地よくて……おじさまとロンちゃんと、一緒に行きたくなってしまうッスよ――」


 アノマリアはおもむろにコンタクトを外した。


 下から現れた彼女のくすんだ青い瞳は、ふたつだったはずの重瞳(ちょうどう)は――四つに割れてた。


 胸に冷たい釘を差し込まれたようだった。


「昨日の夜に、割れちゃったんス……虚骸(コーマ)はこうやって、徐々に瞳が割れて行くッス。ひとつ、ふたつ、四つ、八つ……やがて、瞳が夜空のように真っ黒く塗りつぶされたら、最後は眼球が全部闇黒(くらやみ)に染まっておしまい……」


 アノマリアは二階堂を見た。


「おじさまのせいッスよ?」


「俺の?」


「そうッスよ……」


 アノマリアは、たじろぐ二階堂から視線を逸らした。


「……術を使ったから? あるいは、星遺物(オーパーツ)を使ったからとかか?」


「違うよ。おじさまのせいで、嫌な思いをしたからッス。……忘れたはずの感情の起伏が、また生まれてしまった。虚骸(コーマ)は、心が弱まると進行が早まる、ッス」


「――俺と一緒に過ごしたのが、嫌だったのか」


「嫌ッスよ。辛いッスね」


 そう言ってアノマリアは眉尻を下げた。


「――たったあれだけの時間で、いっぱいびっくりして、笑って、ドキドキしたり、怖い思いもしたり、お兄ちゃんのことで悲しくもなった。そんな感情、忘れたはずだったのに……もっとカオルおじさまと、ロンちゃんと、二人の楽しいやり取りを見ていたいなって、思ってしまったッス。今だって、こうして話をしてるだけで胸が痛てーッス」


「なら――」


「駄目。自分は行けない。虚骸(コーマ)は治せない。自分は、ここでアブザードになる前に大暴れして、少しでも虚空の住人ども(ヴォイデンス)を道連れにして死なないと。……お兄ちゃんのこと、見たでしょう? 自分もああなったら、手に負えない敵になり果てるッス……こう見えても自分、凄腕ッスよ? たくさんの戦士を返り討ちにしてしまう」


 アノマリアが深く溜息をついて二階堂を見た。


 四つに割れた瞳が、二階堂を見つめていた。


 胸がしくしくと痛んだ。


「――さすがに、おじさまに殺して欲しいとは、言えないッスからね。そんなことをして、おじさまが虚骸(コーマ)になったら大変……多いんスよ。家族とか、恋人を始末して、耐えきれずに自分が虚骸(コーマ)になっちまう人。おじさまはそんなタイプ」


 二階堂には、彼女にかけるべき言葉が浮かんでこなかった。


 彼女の抱えるバックグラウンドが大きすぎて、自分があまりにも矮小過ぎた。


 自分はただの、部外者に過ぎない。


 二階堂が口をつぐんで硬直していると、アノマリアがチョーカーを外しながら、ふっと笑った。


「――おとぎ話みたいで、かっこよかったッスよ。暗い無力感の底で、貝のようになって沈んでいた、自分に差し込まれた一条の光。それがカオルおじさまとロンちゃん。檻の下からひょっこり現れた時の、おじさまのあの顔。忘れられそうにないッス。ぽけーっと自分のこと見て……ふふっ……嫌ッスねぇ……こんなこと考えると、また嫌になるッス。どうせ忘れるのに」


 アノマリアは外したコンタクトとチョーカーを二階堂に押し付けた。


「楽しかったッスよ。最後に夢を見られたから。……抱いてはもらえなかったけど、あの時抱いておけば良かったっていう形で、おじさまの記憶に残るのも一興かな」


「まて――」


 二階堂が伸ばした手は空を切った。


 彼女は二階堂を押して大穴に身を投げた。


 そして、穴の上で浮かんでいた。


 下から突風が吹き上げているようで、彼女の黒髪が宙に躍り、片腕に旋風が渦巻いて、もう片腕に電撃を零している。


「――カオルおじさまのこと、利用するだけ利用して捨てる悪い女になっちゃった……」


「アノマリアっ‼」


「ごめんなさい。さようなら」


 彼女はそう言い残して、暗い穴の底へと落ちていった。


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