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青天の霹靂

『カオル、足を止めるな。キマイラ軍団が後ろから迫って来ている』


 二階堂はロンロンの声に弾かれて左に走った。目の前の床には、大穴が空いていたからだ。この広場の床には、あのイグズドが開けたであろう穴が無数に空いていた。


『床の穴は下の層まで続いているようだ。絶対に落ちるなよ。どうやらこの広場は、あの鱗大蛇……いや、私はヨルムンガンドと呼ぼう。ふさわしい名前だ。カオル達は“アレ”と呼べ』


「アレね」


『そうだ、アレだ。それで、この広場は、あのヨルムンガンドが宝石郷を破壊し尽くして出来た更地(さらち)のようだ。動きを見る限り、あのヨルムンガンドは、この蟻塚城地下一層の床を、あたかも布を針で縫うように、上から下から穴を開けて縫い進んでいる』


 ロンロンの解説を聞きながら、二階堂はヨルムンガンドを仰ぎ見た。ズーム表示された鈍く黒光りする鱗には、恐るべき鋭さが宿っている。鱗は大きく、その形は西洋の騎士の盾を彷彿とさせるものだ。鱗の集合体が、イワシの群体(ベイトボール)のようになって飛び回っているようにも見えた。


「――あれは……近づいたら巻き込まれてミンチだな……」


 二階堂はそんな感想を口にして、アノマリアを抱えたまま大きな瓦礫の影に滑り込んだ。あの巨大なヨルムンガンドが二階堂達を襲ってくる気配はまだ無い。


 二階堂が恐る恐る瓦礫の陰から覗き見ると、キマイラ達が続々と広場に躍り込んで来るのが見えた。しかしそこで散開し、周囲を窺っている。なんとかキマイラの目は()けたようだ。


「さて……どうする?」


「お兄ちゃん、近くにいると思うんスよ――でも正確な位置は分かんないんスよね」


 キョロキョロと首を回すアノマリア。彼女を床に下ろす。


『カオル、ここは場所が悪い。最悪だ。この広場にはヨルムンガンドが開けた大穴が、ぼこぼこと落とし穴のように空いている状態だ。先ほどチラッと下の層が見えたのだが、かなりの高さがある。あの高度だと落ちたら死ぬ。即死だ。そういうことで、逃げ道が限られている。あの巨体に追いかけられたら、まず逃げられない。確実に死ぬ。場所が開けてしまったのも悪い。うっかりキマイラに囲まれたら、とっ捕まって押し倒された上にガジガジされて死ぬぞ。ガジガジされている最中に上からヨルムンガンドに押し潰されてもやっぱり死ぬ。死亡ルートが多すぎて解説するのが馬鹿らしいくらいだ』


「もうね、どうしろと……」


『ところでカオル。あのヨルムンガンド、動き方がかなり特殊だ。頭部にあたる中心内部から吐き出した鱗を、その位置に固定しながら前進しているものだから、蛇のように身体を滑らせて進んでいるというよりは、極太の(つた)がぐんぐんと伸びている様子に近い。そう、あれはまるで――』


 一旦、ロンロンが溜めてから、そして結論を口にする。


『ヘビゲームのヘビの動きそっくりだ』


「そんな、渾身の例えをひねり出したみたいに言われても……」


 二階堂があきれ顔になってぼやいた。その脱力が、少しずつ二階堂の身体の緊張を(ほぐ)していった。


『大事な話だ。あのヨルムンガンドの胴体は静止しているのだ。だから、例の、カオルの当たり屋作戦が通用するかも知れない』


 ロンロンは体当たりをしろと言っている。二階堂は首を振った。


「――俺の予想を言っていいか」


『なんだ』


「俺が近づくと、あの鱗は……飛んでくる」


『――っ』


 ロンロンが珍しく息を呑んだ。


「……あるいは、あのボディは俺が近づくと回転を始め、全身シュレッダーみたいな状態になって触った途端にミンチになる……どうだ?」


『成長したな、カオル』


 ロンロンは慈しんだ風に言った。


「あの巨体じゃあ、金紅石(ルチル)でも焼け石に水だろうな」


『まて。取り違えてはならない。我々の目標はあくまでもイスランだ。あのヨルムンガンドも、キマイラも、相手をする必要はない。だんだん血の気が多くなってきたんじゃないか、カオル?』


「間違いなくお前さんの影響だろうな……」


 そんなやり取りをしながら身体を休めていると、


「あっ――」


 アノマリアが指差して小さく声を上げた。


 二階堂がその視線を追うと、反対側の通路から広場に歩み出してくる人物が。


 視界にその人物のズーム映像が表示される。


 長身で、アノマリアと似た黒いぼろを身にまとっていた。片腕を天高く突き出し、散歩するような軽やかな足取りで歩んでくる。その腕には、数珠に似たアクセサリーが巻き付いており、淡く発光しているのが見えた。


「――ヤバいっ!」


 二階堂は、生き物の本能としか言いようのない、強烈な寒気を感じ、アノマリアに覆い被さった。


 直後、視界が真っ白に塗りつぶされ、総毛(そうげ)立った。轟音に耳をつんざかれていたことに気付いたのは、鼓膜に激痛を感じてからだった。


 二階堂はすぐに立ち上がって周囲の様子を確認するべきだった。しかし意思に反して彼の身体は動かなかった。正座から立ち上がった時に足に感じる、不快な膨張感と痺れが全身にあった。上手く息が吸えない。


 麻痺と窒息に悶える中、(いかずち)に焼かれた空気特有のオゾン臭だけを感じていた。


 ――イスランの、雷撃か。


 二階堂は戦慄した。彼らが着るウェアは絶縁スーツでもある。実のところ、このスーツがあればイスラン自体はさほど手こずらないと踏んでいたのだが、見誤ったようだ。


 視界の映像には激しくノイズが乗って乱れ、やかましい耳鳴りに鼓膜を(いじ)められていた。そんな朦朧とした意識の奥から、二階堂の頬を叩く女がいる。


 アノマリアが彼の下から頬を張っていた。


「――! ――さま! おじさまっ!」


 二階堂は、アノマリアの上から身体をどかして床に倒れ込んだ。それで瓦礫の影から半身が出てしまったが、彼は広場の光景をみて二度目の戦慄を感じた。


 キマイラは内部から爆発四散して血肉に変わり果て、床の染みとなって全滅していた。そして、あの手に負えそうになかったヨルムンガンドさえもが、その巨体を弛緩させて動きを止めている。


 それは突如襲ってきた、まさに青天の霹靂(へきれき)


 でたらめな威力だった。


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