表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

38/58

懐の深い男

 アノマリアはエヴァイアという街から、〈一八二ストロングホールド〉――二階堂たちが蟻塚城と呼ぶあの拠点にやって来た。


 目的はいくつかあったらしいが、一番の目標はあの矢を飛ばしてきたウニ――〈イグズド〉と呼ばれる異形を(たお)すことだった。理由は、イグズドがいるところにはイグズドが湧きやすいからだ。放っておくとどんどん異形だらけになってしまい、桃源郷(ザナドゥ)が異形に侵食されてしまう。


 イグズドは異形の総称で、姿形は決まっていないらしい。とにかく闇黒(くらやみ)から湧いてきて草木を腐らせ、目につくものを殺そうとする、生きとし生けるものの敵だということだ。


 そして、その目標は二階堂の手によって達成された。あの蟻塚城は、まだ掃除が必要なものの、一番の障害だったあのウニが始末されたことから、後は後続に任せても平気らしい。


 では、アノマリアの残りの目的とは。


「イスラン――自分のお兄ちゃんなんスけど。殺すのを手伝って欲しいッス」


「――は?」


 急に子供ができたと告白された時のような顔になった二階堂。


 アノマリアは苦笑して続ける。


「まぁ、ちゃんと説明するから聞いて欲しいッス」


 アノマリアはパーティを組んで蟻塚城に来た。五人パーティだったそうなのだが、そこにアノマリアの兄――イスランが同行していた。


「カオルおじさまが斃してくれたミノちゃんも、トロールのトロちゃんも、自分の仲間だったッス」


「――だった?」


「そう。二人とも虚無に食われてアブザードになっちまったッス。だから、いずれ自分が決着(けり)をつけなければいけなかったんスけど、それもおじさまに代わってもらってしまったと。そういうわけッス」


「アブザードとは、正気を失った人間。そういう意味なのか?」


 二階堂の問いに、アノマリアの目つきが鋭くなった。


「んん……近い。でも、ちょっと違う。桃源郷(ザナドゥ)に生きるものは、人間に限らず、心が弱ると虚無に囚われてしまう。そうなった者達は、もうイグズドと同じ怪物に成り果てる。そして、イグズドに触れすぎても、同じように怪物になってしまうんだ。自分らは、そういった元生物だった怪物をアブザードと呼んで区別している。ミイラ取りがミイラになったって奴だよ。イグズドも、アブザードも、伝統的に〈虚空の住人ども(ヴォイデンス)〉って呼ばれている」


「そうなのか……元には戻せないのか?」


「無理。未だかつて治療に成功した例はない。……アブザードは、言うなれば(アミナ)の抜け殻なんだ。だから治療もなにもないのさ。そして、お兄ちゃんも、アブザードになった。だから自分が殺してあげないと――いけねーッス」


 アノマリアは気だるそうに背もたれを押して背伸びをした。時折、彼女の瞳に宿る寂しげな色は、そういった理由なのだろうな。二階堂はそう思った。


 ロンロンが割り込んでくる。


「蟻塚城の異形全てを相手にするのは、カオルでも無理だ。アノマリア、イスランの位置は分かるのか?」


 アノマリアはおもむろに腕を持ち上げて、そこに巻き付いた数珠〈風伯珠ロザリー・タービュレンス〉を指差した。


「――これの片割れ、〈雷公珠ロザリー・サンダーボルト〉を、お兄ちゃんが持っているッス。ふたつは互いに引き合うんで、自分ならお兄ちゃんの位置は大体分かるッス」


 すると、テーブル上の地図が消え、蟻塚城の立体映像が下から浮かんできた。


「どの辺りか分かるか?」


「これはまた、すげーッスね……お兄ちゃんはたぶん、地下にいる」


 アノマリアは蟻塚城の地下部分を、スイカでもさするかのように撫でて示した。


「蟻塚城は、地下にアピス族の都市が築かれていて、幾層にもなっているんス。そのどこかにいるはずッスよ。たぶん地下一層にいるとは思うんスけど」


 ロンロンは少しだけ間を置いてから、「カオル」と続ける。


「地下は危険すぎる。ガウスライフルは強力だが、数には対処できない。地下の構造は不明。城の奥は電波が届かない可能性が高い。異形に囲まれて、私のガイドがなければ、生き残れないぞ」


 ロンロンの指摘は正しい。


 二階堂は、自分のことをスーパーマンだとは思っていない。ただのアラフォーだ。ちょっと便利な家を持っていて、頼れる相棒がいて、そして間抜けな制約が課された強力な銃を一挺(いっちょう)携えているだけ。それだって万能じゃない。


 琥珀(アンバー)を口に突っ込まれた時の記憶や、アノマリアが羽アリを切り刻んだ時の記憶を思い返すと、はっきり言って、彼女の方が戦闘力は高いだろう。


 ――だからといって、アノマリアの願いを無下(むげ)にするのか?


 二階堂は言葉が出てこなかった。


「――自分、運動は苦手なんで、一人だと蟻塚城の奥に(もぐ)るのは難しいんスよ」


「……俺よりも、アノマリアの方が腕力も脚力も上だと思うんだが、君達の基準だと、どんだけ凄い連中が運動神経抜群と言えるんだ?」


 アノマリアは運動がダメだという。だが、彼女の腕力や脚力は、間違いなく二階堂を上回っている。彼女達の基準はどうなっているのか。


「そっすねぇ、ミノちゃんはフィジカルエリートの部類ッスよ」


「なるほど……」


 あれと比べれば、確かにアノマリアは運動苦手と言えるのかも知れない。だがしかし――。


「じゃあ、俺の()の力って……」


「おじさまは、ちょーっと運動不足ッスねぇ……」


 アノマリアが苦笑いしていた。


「せめて、イスランを地上に呼び出せないだろうか?」


 ロンロンが聞いた。


「アブザードになると、もう記憶もないし、こっちの呼びかけにも答えないんスよ。それより前の段階だったら、可能性あったんスけどね」


 アノマリアはうーんと腕を組んで黙り込んだ。


 この話、二階堂にメリットがない。イスランを殺して何かが手に入るわけでもない、命を掛けるだけ損だ。しかも行き先は死地。その点を踏まえた上で、二階堂がアノマリアの話を聞く理由があるとすれば――。


「――お兄さんを殺すことが、君の望みなのか? それとも使命だから仕方なく、なのか?」


 二階堂が聞くべきはそれだった。


「使命だから仕方なく、っていう話なら、俺は君に、お兄さんの件は諦めて俺と一緒に行こうと説得するつもりだ。君が嫌々やろうとしていることに、俺自身の命を使いたくはない。……ロンロンに、この世界を見せてやるって約束したからな」


 アノマリアが表情を消して二階堂を見返している。

 

「だが、君が本心から望むなら……手を貸そう。アノマリアには命を救ってもらった借りがあるからな」


 アノマリアは伏し目がちになって口を開く。


「その問い、残酷だよ。アブザードはアミナの抜け殻。ただの肉塊。あれはお兄ちゃんの姿をした虚空の住人ども(ヴォイデンス)であってお兄ちゃんではない。破壊して大地に帰してあげるのが慈悲。頭では分かってる。……でも、醜く歪んだ肉になったとはいえ、仲のよかった人間の面影を残しているからね。それが破壊される姿を見たいかと言われると……ね」


「そうか……すまない。酷いことを聞いたな」


 二階堂は偉そうに無神経なことを聞いた自分を恥じた。


「……でも、今おじさまに言われて考えたんだけどね――」


 アノマリアはまっすぐに二階堂を見て言った。


「優しくて強くて、かっこよかったお兄ちゃんの身体が、虚空の住人ども(ヴォイデンス)に乗っ取られて良いように使われているのは、やっぱり我慢できない。だから自分はイスランだった肉体を破壊して、きちんと大地に帰してあげたい。そのために、カオルおじさまの力を貸して欲しい」


 そう言ったアノマリアの気丈な笑みに、二階堂は目を奪われた。


 彼はひとつ頷くと、顔を上げる。


「――いいかな、ロンロン?」


「カオルが望むなら」


 二階堂は立ち上がった。


「――アノマリア。君のお兄さんの肉体を、大地に帰そう」


 アノマリアはそんな二階堂を見上げ、微笑んだ。


「――カオルおじさまは、お人好しッスよ」


(ふところ)が深い男と言ってくれ」


 そうおどけて肩をすくめて見せた二階堂の足を、ロンロンがすくった。


「そうだ、アノマリア。カオルはお人好しなんだ。なにせ私の口車にほいほい乗って死地に飛び込んで、名前も知らない君を助けに行ったくらいだからな」


 テーブルの上の藁人形に「<待っていろ、アノマリア姫! 今王子が参る!」という吹き出しが出た。ご丁寧に頭の上に王冠の表示まで重ねてある。アノマリアがそれを指差してけらけら笑った。


「それ、ほんと笑える……」


「気に入ったのか、それ?」


 ジト目になってロンロンに言い返した二階堂。


「すごくな。身体を手に入れたようだ。身体があるというものは、いいものだな」


「……よかったな」


 二階堂は、そんな何気ないロンロンの軽口に、かすかな本音が垣間見えたような気がした。


「言っとくけど、俺ただのおっさんだからな。あんまり期待するなよ」


 口を押さえて笑いを堪えているアノマリアに、二階堂は嘆息混じりに言った。するとそこにロンロンの声が聞こえてくる。


「そこでだ、カオル。まずはタンパク質を取ってきてくれ」


「は? ええ……この話の流れで?」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ