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人類未到の地

 ビヨンド号のハッチが開き、普段着のままの二階堂が、うしろ首を掻きながらタラップを降りてきた。彼の首にはチョーカーが巻かれ、手にはサンプル収集キットが。そして、背中には一挺(いっちょう)の銃が収まっていた。


 ――あんなこと言う奴だっけ?


 ロンロンとの付き合いは長くはないが、半年以上にわたって四六時中話し相手になるという濃密な時間を過ごしてきた。二階堂はロンロンの性格と考え方をそれなりに理解しているつもりだったのだが、それは思い上がりだったらしい。


 結局、早口で延々と続いたロンロンの、お(とが)めなのか説得なのか、それとも説教なのかよく分からない話に負けて、二階堂は重い腰を上げた――だっていつ終わるのか分からないくらい、長くボロクソに言われ続いたのだもの。根負けした。


 ああいう時、引き出し無限の人工知能は有利だ。攻めの語彙(ごい)と言い回しが凄い。途中から、二階堂は一周回って落語を聞いているかのような心地良さすら覚えていた。


 タラップを下り切った二階堂が、恐る恐る足元に広がる赤い池に足を踏み入れる。ピチャリ。池の底は浅く、水溜り程度の深さだった。そしてその直後、柑橘系の酸味の利いたトロピカルな花の匂いが、湿気と共に二階堂の顔を包み込んだ。


「――随分、南国チックな空気だな。何の匂いだ?」


『まずは足元の液体をチェックしてくれ』


 何処からともなくロンロンの声が聞こえてきた。船外でも彼の声が聞こえるのは、首に巻いた通信端末チョーカーのおかげだ。ロンロンも、このチョーカーを通じて周囲を観察している。


 ロンロンに言われるがままに、二階堂はビヨンド号の周囲に溜まっていた赤い水を、試験用のスポイトで吸った。少しとろみのある液体だった。よく見ると、ビヨンド号全体がその赤い液体まみれとなっていて、軟式ボールと揶揄(やゆ)される白い躯体(くたい)が赤く染まっていた。この柑橘の匂いは、どうやらこの赤い液体から発せられているようだった。


『成分の分析に失敗した』


「もっと吸うか?」


 二階堂は手に持ったスポイトで、暇そうに空気をキュポキュポしながら言った。


『いや、サンプルの量は十分だ。カオル、液体の組成(そせい)が未知のようだ』


「未知って……どういうことだ?」


『分析フローが途中でエラーになってしまう。簡易分析では無理だ、後で船内の量子分析器にかけてみよう。カオルはそのまま周囲を調べてくれ』


 二階堂は「はいはい」と嘆息をついてビヨンド号の周囲を歩いた。


 そこは森だった。その中でも、ビヨンド号の近くに立つ一本の太い木が、ひときわ目を引く。


 “この木なんの木”を更に太くしたような立派な大樹で、枝の張りが尋常でなく広い。ビヨンド号は個人向け宇宙船とはいえ、三階建ての家なみの大きさがある。そのビヨンド号がすっぽりとその大木の傘の下に収まってしまうほどの大きさだった。


 森の植生(しょくせい)(ことごと)くロンロンのデータベースと照合できなかったが、見た目には深い原生林だった。そして本当に、なにひとつ動くものがない。特に危険なところは感じられなかったが、逆に不気味にも思えた。試しに足元の土を削ったり、枯葉をめくったりもしてみたのだが、虫すらいなかった。


 しばらくサンプルを採集しながら歩いて行くと、突如として森が切れ、視界が開けた。


「これは……」


 風がふわりと顔を撫でた。


 二階堂が立ち止まった場所は、切り立った断崖の上だった。


 カラリ。彼が蹴った小石が静かに崖下に落ちていった。


 大パノラマに広がった光景に二階堂は目を奪われ、溜息が漏れた。


 ひと目見て美しいと思った。


 吸い込まれるような奥行きの向こうに、大地からまっすぐに伸びた一本の柱が、(きり)と雲を幾重(いくえ)にも貫いて天空に吸い込まれていた。それが何かは分からないが、柱全体がキラキラと色とりどりに光っていて、とにかく綺麗だった。


 遠景はガスで(かす)み、地上は鬱蒼(うっそう)とした森に覆われていた。その所々に土や湖が覗いていて、それらが眼下でせめぎ合い、広がっていた。


 そしてどういうわけか、景色の至る所から七色の煌めき(ファイア)が二階堂の目に飛び込んできて、彼の網膜をチクチクと刺激した。


 それはまるで大スペクタクルのジオラマに、乱雑に宝石を振りかけたかのように空想的で、かつ(きら)びやかな光景だった。


 そして、二階堂が断崖から望む正面には、光りを乱暴に反射する構造物が鎮座していた。あれがロンロンの言った動体が潜むという構造物だろう。そのひん曲がって酷く(いびつ)威容(いよう)を見て、二階堂はそれがまるで怒りと共に自分を威嚇しているようにも思え、どこかそら恐ろしい感じがした。


 じっくり見ると、構造物は細長い茅色(かやいろ)蟻塚(ありつか)の集合体に見えた。とても大きく、もはや大規模な城塞と言っても過言ではない。


 そんな蟻塚からは太い柱が四方八方に伸びており、二階堂は蟻塚でできた化学コンビナートを連想した。まるで工場のパイプラインが放射状に張り巡らされているようだ。


 しばらく言葉を失って見入っていた二階堂の耳に、ロンロンの声が届く。


『後ろも見ろ、カオル』


 二階堂が振り返ると、そこには壁があった。


 緑色の壁だ。見上げるほど高く、とてつもなく大きい。左を見ても、右を見てもその壁が視界を塞いでいて、押し潰されそうな圧力を感じる。


 二階堂が目をこらしてみると、その壁は(いばら)でびっしりと覆われており、どうやら茨の(つた)が複雑に絡み合い、編み込まれて出来た大壁であるようだった。


「なにこれ」


『どうだ、興味が湧いただろう』


 ロンロンのフフンという鼻息でも聞こえてきそうな口調に、二階堂は少しむっとなった。


「――別に」


『無理はするな。この状況で心(おど)らない男の子などいない。カオル、素直になれ。我々は正真正銘、人類未到の地にいるぞ。〈どこか遠くの彼方へサムウェア・ファー・ビヨンド号〉の船長が、ここを冒険しないでどうする』


 ロンロンの声音は無表情だか、話の中身は、念願のおもちゃを前にした子供のように弾んでいた。二階堂はロンロンのことがますます分からなくなった――このAI、ポジティブすぎる。


 しかし一方の二階堂の心は()いでいた。


 この絶景を目にして驚きと感動を覚えてもなお、一枚のスクリーンに映し出されたリアルな映像を見ているかのような、傍観者めいた冷めた感覚が二階堂の胸を満たしていた。


 自分でも不思議なくらいに、何もしたくなかった。


 早く殺して欲しいとばかり、考えていた。


 二階堂はその場にうずくまって崖の下を見た。


 とても高い崖だ。


『カオル』


「とりあえず」


 ロンロンの声と、二階堂の声が重なった。


「――めっっっちゃ、喉渇いた」


 二階堂は吐き出すように言った。


『カオル、バイタルサインは君が脱水症状の寸前にあることを示している』


「……知ってた」


 二階堂は嘆息をついてそのまま崖の(きわ)に腰を下ろし、空を見上げた。そよ風が吹く、黄色い空だった。風に乗って花の香りを感じる。薄曇りに見えたが、彼の周囲は晴れの日に負けないくらいに明るかった。太陽が見えない。


「――ロンロン、とりあえず水だ。どっちに行ったらいい?」


 ビヨンド号は宇宙旅行用の船だ。無人星でもサバイバルできるよう、設備は整っており、泥水でも見つけられれば浄化できる。水源を見つけるノウハウも、ロンロンが熟知しているはずだった。


『カオルはこれ以上歩き回らない方がいい。もうビヨンド号に戻ってくれ。水源の探索にはドローンを飛ばそう』


「ドローン」


 二階堂がはっとなって、ぐぬぬと呻き声を上げた。


「――それなら俺、船から出てくる必要なかったんじゃ……」


 目尻をヒクつかせた二階堂の恨み節に、ロンロンは『気分転換になっただろう?』と飄々(ひょうひょう)とした調子で言った。


 余計なお世話だ、というひと言を飲み込み、二階堂はしばらく目の前の壮大な景観を堪能してから、ビヨンド号に戻ろうと立ち上がった。


 ゴォンという音と、足元から揺さぶられる振動を感じたのは、その時だった。


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