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苦手な方はご注意ください。

朝のエレベーターにて

作者: 秋月ひかる

ツイッターの、#百人一首でBL一次創作 という企画で書いたものです。


63番 清少納言

夜をこめて 鳥の空音ははかるとも 夜に逢坂の関はゆるさじ


現代語訳

夜も明けていないのに、鳥の鳴き真似で関所を抜けようとしても、逢坂の関は開けませんよ


という歌をモチーフにした超ショートストーリーです。

「おはようございます」

 ぼくの言葉に、耳にさしたイヤホンを抜き取りながら男が振り返った。

「ああ、おはようございます」

 ひょろっと背の高い、いかにも頭の良さそうなメガネ――いや、ぼくの上司が、ぼくに向かってひょこっと頭を下げる。

「ぎりぎりですね、お互い」

「ええ。でもまあ、あと五分ありますし。間に合うでしょう」

 生真面目な様子でぼそぼそと答え、彼はあくびをかみ殺した。無表情に近い淡すぎる表情に、抑揚のないかすれ声。

 それなりに表情豊かなぼくと彼とは正反対だと思われているようだが、その実、内側の価値観がそっくりで気があった。お互い、超合理主義な変人だからだろう。

 ちりん、と聞き慣れた電子音とともにエレベーターの扉が開き、二人を迎え入れる。フレックスタイムを使うぼくたちの他に、乗客はいなかった。

「もしかして寝不足ですか?」

 隣であくびを量産し続ける上司に向かってそうたずねると、彼はそれを肯定するようにふわふわと寝癖を上下させる。

「……今日は朝七時から電話会議だったんですよ」

「ああ、ニューヨーク」

「はい」

 こくりと頷きながら、男が答えた。存外にかわいい仕草だ。本社とも英語で対等に渡り合う一面を持ちながらも、彼にはどこか朴訥とした印象があった。

「じゃあ、このあいだ言っていた予算は、本社から――」

 会話を続けようとしたぼくは、だが自分を見下ろす物言いたげな視線に気がついて、顔を上げる。

「……ええと、何か?」

 その答えを聞く前に、ぼくたちは目的の階にたどり着いてしまったようだ。再び鳴った電子音につられ、ぼくは扉に向かって足を踏み出した。

 ――そして、ぼくの目の前に突き出された腕に、危うくぶつかりそうになる。

「あっぶね、一体なんなんですか?!」

 進路を阻む腕の持ち主が、あくまでも平然とした様子でエレベーターの「閉」ボタンを押す。

「わたしが、差別や偏見とは無縁だと言うことを、まずは知っておいて欲しいんですが」

「はあ?!」

 抗議の混じった呆れ声を上げるぼくの目の前で扉が閉まった。あんぐりと口を開けて男を見上げていたぼくだったが、エレベーターの階数が下がり始めたのを見て、ついに諦めて口を開く。

「……知ってますよ。あなた相手の年齢だとか性別だとかで、何ひとつ対応が変わらないじゃないですか」

 それがどれほど難しいことなのか、一応、まだ今の時代ではマイノリティに分類されるぼくは知っていた。知性と教養の高さに比例するのだ。そして彼の教養の高さもまた、ぼくが彼を気に入っている要因の一つでもあった。男が続ける。

「どんな、性的指向の人であってもです」

「あなたならそうでしょうね」

「君が昨晩、男性と歩いているのを見かけました」

 視線が、目の奥で、がちっと噛み合った。

 それがどうした、と言えばよかったのだろう。

 だが、口の先まで出かかったその言葉を、ぼくは飲み込んだ。じっと見下ろしてくる視線から、彼が何かの確信を持ってこの話題を持ち出したことは明らかだった。

 ぼくはため息交じりに口角を上げ、ほおを掻く。

「あー。できたら他の人には黙っていてくれませんか」

「それはもちろん。――驚かないんですね」

「驚いてるに決まってるでしょうが。なんなんです、この話の流れは」

 ぼくが口をへの字に曲げて文句を言ったところで、再び電子音が鳴った。

 扉が開く――その直前に、とんでもない爆弾を男が投下する。

「実はわたしも、ゲイなのだと言ったらどうしますか」

 再び、視線がかち合った。思わず目を見開く。

 過去、類を見ないくらい気が合う相手だからこそ、よく分かった。

 この人は、部下の一人が自分と同じだからと言って、わざわざプライベートなことを話題にしたりする人ではない。ましてや、リスクを冒して自分の性指向を共有するなんてことは考えられなかった。――つまり、そう言うことだ。

 つい、目の前の男とキスを交わす可能性について吟味してしまい、ぼくは軽く頭を振る。大人の恋愛とはおかしなものだ。相手が同じ指向を持つという、ただそれだけのことが恋愛の引き金になりうるのだから。

 ――だが、それがぼくにも当てはまると思ったのだろうか。全くもって心外だ。

 話を、二階の会議室で続けようとしているのだろう。男が、ぼくを促してエレベーターから降りようとする。ぼくはその進路を、すんでのところで絶った。

「いって!」

 ぼくの脚にまともにぶつかった上司が、抗議の声を上げる。

「すみません、ぼくの腕じゃ、ここからドア枠まで届かなくて」

 悪びれなくそう謝って、ぼくはオフィスの階のボタンを押し直した。二階のフロアに誰もなくて助かった。さすがに上司に足ドンする姿は、社会的に外聞が悪い。

「ぼくはね、仕事に来ているんですよ。まずは仕事をさせてくれませんかね」

「会議室からリモートで作業すれば問題ないでしょう」

「本当に、仕事の話だけで終わるつもりでいますか」

「…………」

「それから、ひとつ言っておきます。『どうしますか』なんてカマかけで、ぼくのプライベートに踏み込もうなんて甘いんですよ。出直してきてもらっていいですか」

「なるほど」上司が大真面目に頷く。「君の言いたいことは、よく理解しました」

 彼の言葉と同時に、エレベーターの扉が開いた。今度こそさっさとオフィスに向かって歩きだしたぼくに、男が長い足で悠々と追いつく。

「君の、そう言うところも好きです」

 なるほど、学習能力の高いことで。

 思わずオフィスの壁にのめり込みそうになったぼくの頭に、戦いを告げるゴングがなり響く。

 彼がどのようにぼくのガードをかいくぐってくるのか、少し楽しみだ。そう簡単に、口説き落とせると思うなよ。

 

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