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奴隷市場

作者: 柚子飴

「描きたいものはなんだ?」


それは命題のように、私の胸をかきむしる。

描いても描いても納得できる答えにたどり着かない。

日々、紡ぎださせる駄作には恥ずかしいタイトルがつけられる。


駄作は飛ぶように売れた。求めていない名声が私の絵に彩を添える。



最初は自然を模写した。

美しいと思ったものをそのまま描くだけで幸せだったのだ。

傍にいるあの人は私の絵を「柔らかい」といった。

私もそう有りたいと思った。 


舞い散る花を沢山の艶やかな色で飾り、樹木が新緑の葉をつける。

真っ赤に燃えた葉を茂らせ、土の下に豊満な実をつけ

時には枯れて雪に包まれても、其の中にあるキラキラした輝きを描きたいと思った。

私自身の性質はそういうものなのだと疑うことはなかった。 


しかし、そのような日々は長くは続かなかった。

何故なら私の絵に値段はつかなかったからだ。

焦る、憤る、許容が出来ない、思ったように描けない、輝かない。

心を写す鏡のように私の生活は荒れていった。


ある日、登録していない番号からの着信を何度も受けて

唯一の賛同者である大切な人を事故でなくしたと知った夜に

耐えきれず、汚く抱え込み切れない憎悪や嫌悪感を投げつけるように

汚泥のような色調で描いた絵を人は「素晴らしい」と絶賛した。


あの人が死んだというのに悲しみに己の全てを注ぎ込めず、今の気持ちを絵に起こそうとする作家としての業を、そんな己を呪った。


絶賛されるごとに追い詰められていく。

過去の自分を否定されていく。皮肉だろうこれは。


「ああ、こんな絵ならいくらでも描いてやる」


後ろ向きの感情は力となり

自分でも意味が分からない創作意欲の糧となり

作品は下水道が汚泥をためるように次々と生み出され、懐だけが次第に温かくなっていく。

そうして私の周りに望まない人達が集まってきた。


私は砂糖の塊を最初にみつけた蟻、もしくは砂糖そのものか。

砂糖の香りに惹かれて他のアリも集まってくる。

各々が争い、奪って巣に甘いモノだけを持ち帰る。

後には何も残らない。


蟻の期待であろうとも、私は応えなくてはいけないし

甘味を分け与えなければいけない。

時が過ぎ、鮮烈な経験であったあの人の死を受け入れ

私の絵が砂糖をなくした途端に自分以外の姿は見えなくなった。


それでも求められるままに ただただ前に進むしか無かった。

振り向いたら、今まで歩いてきた道の道標がなくなっていた。

巣はどこだったのか分からない。


無力な蟻は真っ暗闇の中で動けなくなっていた。 

巣に帰るために もう一度砂糖を探すしかない

砂糖は思ったよりも近くで見つかった


○○○


現代の奴隷市場などと言われることがあるが、一応これは合法である。

事情があり孤立無援となった子供を保護しヘルパーとして雇う。

代わりに最低限の義務教育、高等教育を受けさせる。

就職し、自立できるようになるまで。


まぁ受けさせるといっても、通信教育でも良いらしい。

いかんだろうそれは、と思うこともあるが

往々にして位の高い人達の中で都合の良いことは、まかり通ってしまうものなのだ。


まったくもって下から見上げる立場からしたら理解不能である。

こんなのは端的に養子縁組で良いだろうという話しになるのだが

そうならないのだから影で奴隷市場と揶揄されても仕方ない。


結局のところ「多額の金を払って若い子供を買うシステム」なのだから。

便宜上、世間体、建前、人権保護の観点から、なんでもいいが

そういう前置きをつけて人は一応の納得を得るわけだ。

そんな上の方の人たちが決めたことの恩恵を私が受けることになるとは

底辺の画家だった私が。


最初の契約金、早い話が奴隷の価格だが、名目上は販売会社への手間賃と

購買できるだけの熱意や資金を有している証拠

もしくは資格としてお金を払うらしい。

そんなの所得証明で良いだろうというのは野暮なんだろうな。


「1年前の所得が多くても、今はどうかは分からないだろう」

とかなんとかお偉い政治家がおっしゃったらしいが、ホントいい趣味してると思うよ。


今現在、まさにこの瞬間に沢山の資金を有している人間が

一番欲しい子供を手に入れられるようにしたんだから。


ところで、こんなところに来ている比較的若い男である私だが

一応は来る資格はある。

正直なところ生活資金以外には興味がないのだが、金は腐るほど持っている。


都庁の地下にある隠しホール、こんなのを作るのも悪趣味だ。

イメージで言えばそうだな、ローマ帝国の元老院がもっとも似つかわしいか

お椀型の真ん中に舞台があり、その周りを円形に椅子が取り囲んでいる。

舞台から離れるごとに椅子の位置は高くなっている。


ある程度以上離れると、後は立ち見席がある。

席の位置もVIP席とS~C席まで種類があり

ここでもやはり沢山のお金を払える人間はより優遇される。

近くで値を付け売買される奴隷を鑑賞できるわけだ。


設置された大型ビジョンには

「チケット代は運営資金に回されます」と表示されているが

やっぱり商売じゃないか。


私は今、VIP席の一番端に座っている。

パトロンの伝手を頼ってこの席のチケットを譲ってもらったのだが

私自身もそれなりに売れている人間なので、この席に座ることを許されたのだと聞いた。

「子供の将来がかかっているのだ。金だではなく

 やはり品格も必要なのだよ。君にはその資格があるがね」

とか偉そうに言われてさらに閉口する。

いや、まぁ成金は金を求めて、そのあとで地位や名誉をって

テンプレな方向っていつの時代もかわらないのね。


阿保じゃなかろうか。


そんな私の周りにいる皆、覆面をしているが大体は自分より年が上の人間ばかりだろう。

誰かが隠しカメラを持ち込んだり、マスコミが入り込んだり

この場では実際には何が在るかわからない。

そんな中で覆面をしないのは政治家やタレントの類の人間。

社会奉仕、利益の還元をしているのだとアピールしたいのだろう。


覆面をしているということは「顔を見られたら困るようなことをしている」

という自覚があるということだ。

ちなみに私は覆面をしていない。新気鋭の画家という肩書にとってはカリスマ性をあげるのに

社会奉仕活動は丁度良い目くらまし行為なのだ。

「どうでもいいけど」

本人はそんなつもりは一切ないのだが、顔を隠す必要を感じないだけだ。


並べられた椅子に座る暗い顔をした奴隷、いや失敬。

今まさにこれまでの辛い境遇から脱却しようとしている

運の良い孤児達は、一世一代の舞台の上で

各々色々な表情を浮かべている。


諦めた顔、なんとかいいところに買ってもらおうと繕った笑顔でアピールする少女

なんだか状況がわからずにキョロキョロとあたりを見回す少年

何にせよ哀れだ。


申し訳ない、購買側のVIP席にいる人間からだけは憐みの視線で見られたくはないよな。

まるで偶像アイドルのオーディション会場

もしくは一流企業の圧迫面接にあう大学生のように緊張した子供たちとそれを評価する大人たち。

現代画家のホープから言わせてもらえば、モチーフとしては面白い。

これに下卑た大人がついてくればチープすぎて逆に新鮮かもしれないが、どうだろうか。


真摯で理性的な男性が買えば、欧国の文学にある足の長いおじさんになるだろうし、若い女性が買えば

美しく人気のある怠惰な女性とそれを世話する小さなメイドという

微笑ましい関係が生まれてくるに違いない。

この場の絵を描いたとしようか、それを見る側の人間に与える心理的影響は

買われる子供の種類よりも

「買う側の人間が果たしてどういう人間なのか」という点によって

大きく印象が変わるというのは中々に興味深い。


このモチーフには見る人の想像する余地がある、想像の中に理想が在る。

ならば想像を促す完結しない美こそ最良なのではないか。

所詮、描くものの評価を創りだすのも人の心なのだから。


「うん?」


そのとき、私は違和感に気づいた。

一人だけまったく表情の無い少女が居る。

美しい金色の髪を無作為に垂れ流し、切れ長の目を伏せて

長い睫毛を晒しているが、その視線の先には何もない。

いや意識して何も見ようとしていないのか。

勿体ない。綺麗な顔をしているのに、そんな様子だと高く買ってもらえないぞ。


「さてさて皆様方 この少女」

「今まで紹介してきた不遇の子供たちの中でも最高の素材といえます。

 まずなんと言っても外見が可愛らしい。

 将来はもっと美しく成長し、皆様の期待に応える・・・」

「その子、笑った顔が見たい」

「無愛想すぎたら使えないぞ」 

遮るように野次とも取れる声が観客からあがる。

立見席のお約束のようだ、そうやって子供たちの反応を見て楽しんでいる。

いわない事じゃない、少女はあまりに無表情すぎる。

そりゃそこに突っ込むよなと思った。


VIP席でニヤニヤと状況を楽しんでいる覆面達。

こいつら普段は己の仕事場で人の上に立ち、理性的な大人を演じているんだろうか

と思うと滑稽で仕方がない。

品性を図るならこういう場でだろうな。


司会者は困っているようだ

「ほら、やれよ」

この場を仕切っている支配人だろうか、暗幕の裏手から激が飛ぶ。

「お、お任せください」とはいえ困惑顔だ、何かあるんだろうな。


「おい!笑え」

そう言われても反応をみせない、少女の目に光はない。


バンと司会者が少女の肩を平手で強く押した。

身体の軽い少女は横っ面に吹っ飛び椅子ごと倒れ、舞台に横たわった。

長い髪が顔を覆っているため表情は見えない。


「笑えって言ってるだろ」そんな可哀そうな少女に司会者は言葉を浴びせる。


観客席から歓声があがりホール全体に響く。司会者はその嬌声にテンションをあげて

更に蹴りをいれようとしたところに制止の声があがった。 


「やめろ、商品に手をだすな」

「す、すみません」おいおい、商品って言っちゃったよ。


顔を伏せて倒れていた少女は、なんとか床に手をついて

ついた手を震わせながら、ゆっくりと立ち上がった。

顔には長い髪がかかり、その表情はうかがえない。

そのままでぐるりと観客席を見回した。まるで洋風の貞子のようだ。


少女は両手を顔に当て、顔にかかる髪をかきあげながら

「にたーー」と全くもって気色の悪い薄笑いを浮かべた。


嫌悪と侮蔑という泥をこねてファンデーションのように厚く塗りたくった

ぎこちない表情がそこにあった。


「ああああ」客から落胆の声が漏れる。

「あれじゃつかえないな」

「お前買えよ」

「いや教育がめんどくさいよ、あんな顔を毎日みたくない」


今の境遇で、こいつらに恭順でも迎合でもなく

反撃をするのか、私は愉快な気持ちになった。


そういえば、動物は攻撃するときも笑うんだったな。

ライオンが獲物を襲う時、人が人を殴るとき、笑う。

何のために、愉快だからか。

少女の笑顔は世界への拒絶、もしくは攻撃のそれだった。


周りの人間の注目はもう次の少女に移っている

その中で私はなんとも言えない熱を感じた。

間違いない、この子だと。


相場は数百万~数千万までだ。不自由はさせてはいけない

あくまで人権を守った上での契約なのだから。


競合相手が居ない中で私は億を出して、少女を買った。



愛想笑いに何の意味があるのか。

もちろんその場の空気を柔らかくするため

相手の緊張を解くためになら笑ってもいいだろうが。

愛想とはなんだ、理由もなく相手に受け入れてもらうことか?

自分のために、嫌われないように、決して迎合する笑いのことではないはずだ。

そんなものは必要ない。


少女は笑わない。

それが潔い、それが良かった。


「ただの変態だな」


と独りごちる。

四苦八苦をしながら裸で立っている少女に下着をつけた。

嫌がるかと思って顔を見上げたが、その表情は変わらない。


下着をつけ終えたときに視線を感じた。それでも表情に変化はない。

取るに足らないことだとでも言うように、少女は視線を前に戻した。

ああ、やはりいい子だ。


下着の上から純白の足元まである長いスカートのドレスを着せて座らせる

「動かなくていい、そこにいてくれ」

少女に返事はない。

私の箱庭に大切なピースが埋まった。

洋館の中に、動かない人形と動かない人間、瓜2つを並べる。


子供頃に見たホラー映画。

その中で、すす汚れ日に焼けて、とこどころが剥げかけている

双子の少女の写真を見たことがある。

それは鮮烈なイメージを私の脳裏に焼き付けた。


双子の少女たちは真逆の人生を送る。

家には二人を養えるだけの金が無かった。

片側は養子に貰われ、大切に育てられ己の素養を育て、天真爛漫な少女へと成長した。


方やこの子だけはと親に選ばれて、家に残ることになった一人は

貧困、ゆとりのない生活での両親の不仲、喧嘩、虐待で過酷な人生を送り

身体の成長が止まり、表情の乏しい少女へと変わっていく。

シンメトリであってシンメトリでない少女達。

写真自体には特に物語性はない、ただの二人のピンナップだった。

同じ顔、同じ服を着た少女の、ある時間で縫い止められた同じ姿。それに強く惹かれたのだ。

今まさに、その写真の再現が目の前に有る。


片方が人形である少女たちの未来にシンメトリは無いだろう。

今、この時だけに有るシンメトリの美しさ。それを目に焼き付ける。



私の屋敷は郊外の丘の上にあった。

丘すべてが敷地であり、暇があれば散策をし

木々を芽で四季を感じそれを絵に起こした。

同じ場所で同じ状態であるものは無い。

それなりの広さの敷地があれば、その景色に飽きることはなかった。


仕事の相談は私が外にでかけるための自分自身への良い口実であり

敷地内に自分以外の人間を招き入れることはなかった。

親族との縁も切っている。動物は良く入り込んできていたが

人間が訪ねて来ることはまれであった。


赤い自転車がカラカラと音を立てて遠くから徐々に近づいてくる。

広い空間の中にポツリと存在する丘に、小さな建物。

敷地の下の方にある赤いポストに何かを入れたようだ。


今日やることが1つできたことに喜びを覚える。

作業の区切りのタイミングで、玄関まで郵便物を確認にいくのだ。


入口の門から建物までの道には美しい花が咲き、側道にはやわらかな水の流れがある。

季節は晩春で桜はすでに散ってしまっていた。

建物に入ると古木の香りが鼻孔をくすぐる。

木造の建物の中、喫茶店の内装のような部屋に、二人の少女が並んで座っている。


私はコーヒーを沸かす。

部屋中に珈琲豆の香りを広げながらコポコポと湯がわく音だけが聞こえる。


注ぎ、飲み、思索にふける。傍らに座る少女に見られている緊張感が心地いい。

私は目を細める。少女たちの視線は動かない。見られているようで見られていない。

非日常の空間こそ、私の求めていたものだった。

キャンバスの上の筆はなめらかに動いた。


爪と髪は伸びるのが早い。

さて、整えるべきだとは思うが、どうしようか。髪は伸ばし続けてもいいが

爪だけは衛生面から考えても、良くないだろうと判断した。


爪を切ろうと決めて、座っている少女に向かい合う。

少女の手を取ると微かにビクッと震えた。表情は変わらない。

私は何ともいえない愛しくも悩ましい気持ちに包まれてしまい


「うん、大丈夫だから」とそう独り言を呟く。


顔をあげれなかった。自分に驚いていたのだ。

私の絵の唯一の理解者を失ったあの日以来、毒が体を蝕むように

その毒を筆の先からキャンバスに叩きつけるようにして、絵を描き続けた。

叩きつけられた毒絵を見て、更に目を通して毒を吸い込むようにして生きてきた。

なのに、そこに少しだけ真水を注ぎ込まれたような気持になっていた。


ほんの少しだけ薄められた毒を浚う。

私はただ素直にそれを享受した。


シンメトリの美しさそれは一時でしか無い。

人形は徐々に経年劣化していき、反対に人間は成長していく。

2つの椅子の上に座る少女は、日々、時を重ねるごとに別の姿へと変貌を遂げる。

少女達の外見は徐々に距離を広げていく、それはとても興味深かった。


私は人形と少女の全ての世話を行う。甲斐甲斐しく。

大きな浴場で少女の身体を洗い、髪を整え、

手ずから食事を与え、通信教育の画面を見せ、言葉や文字を教える。


まるで介護のように、それを受ける少女は素直であり、無口であり、常に無表情であった。

また少女はとても賢く、水を吸うように知識を吸収していく。

私の質問に正しく自分の意見を答えるのである。

「ああ楽しい」

それと共に私の心に、水が染み込み満たされていく。


写真の中の双子の少女の再現であれば、ほんの数日で済んだはずである。

椅子に座る双子を仕事場に再現させながら

それでもモチーフとしては扱わず、絵に起こすことはしなかった。


私は別に奴隷市場に売られる少女を助けたかったわけではない。

少女のために介護をしていたつもりもない。

あの写真の再現絵を描きたかったわけでもない。

記憶の中で十分鮮烈であり、生涯忘れることがないものを絵に起こしても仕方がない。


毒のため、自分の中の変態性とでも言えばいいのだろうか

世の中と違うところに身を置き、偏屈な視点でものを見る

異質な状況に身を置くことで、圧倒的なまでの常識はずれ、埒外

そのような自分を保ち、何かわからないが

そのような創作の種もみを減らさないように

枯れないように努めるため

つまるところの作家業への熱のために少女を買い、そして接していたのだ。


少しずつ成長する少女

もちろん排泄物もするし時には病気になり私を困らせる。

人形は肌が日に焼け、その肌は少しずつ黄色へと劣化をする。

ウィッグはそのままだと痛むし毛は抜ける。

定期的なメンテナンスが必要だ、埃も取られねばならない。

できる限りのことを尽くす。その行為は決して無駄ではない。


阿保で愚かなことを懸命にすることで、何らかの心の安心感と

訳のわからない吐き出したいような熱意とが私を翻弄する

翻弄された心のままにキャンバスに熱を吐き出し

心地よい疲労と、ほんの少しの後悔を覚える


そのための二人のはずである。


少女たちは確かに私の創作のガソリンとなり

その仕事を着実にまっとうし続けていた。

少女たちが成長し、経年劣化するように

もう一つどうしても時間とともに変化し続けていくものがあった。

作家としての私は、そのことに早く気付くべきであった。


少女の膝に添えられた細い両手に、己の手を乗せて視線を合わせる。

情とは違うが、共感性とでもいえばいいのか

一緒に居る、同じ場所で同じものを見る安心感

ここに居ると自然と緩やかな気持ちになる。

その状態はまさに準備に適したリラックスした状態なのだ。

時には強く、熱く、優しく、悪意、熱意、殺意、恣意

その時その時に浮かぶ感情をキャンパスに叩きつける。


横に居る少女達には伝わっているだろうか、私のこの思いが。

少女たちが居ないと描けないのである。


仕事場で何も考えず仕事に着手するように、教室で教壇に講師が立てば

それを受ける心持ちに自然と切り替わるように。

少女たちが私にとって、画材の一部になっていた。


画材がなければ描けない。

画家としての私にとって、画材は私の身体と言っても良い。

少女たちは私にとって大切な仕事道具になってしまった。


絵以外に何もない私にとっては生活の大部分を占めるモノになってしまった。

だから大切に扱うことに違和感を覚えない。

手間も時間も十分にかけ、愛情をもって丁寧に向かい合う。

それを道具への傾慕の情と呼ぶのであれば、確かに情なのかもしれない。


いつからだろうか、画材として認めてしまった時に私は言葉に言い表せない

少し違うが愛情のようなものを持って少女たちに接してしまって居た。

人形は私の望み通り変わらずにそこに居てくれた。

しかし少女は別である。

どのような情であれ、温かな情に包まれ続ければ、その時を得る。


確かな情愛をもって世話を受け続けていた少女は

その情愛を残さずくみ上げて、飲み込み

身体を震わせながら、日々を重ね続けていたのだ。


〇アイという言葉を知りました 私と彼はそういう間柄ではないのですね〇


「うれしいのかそうでないのか、私自身もわかりません。

 彼が望むことはなんとなくわかっていました。だから我慢を重ねました」


少女は常に表情を変えずに、それでも地に目に見えぬ根を伸ばし続けていた。

愛が体を包むとき、私の体は成長し、彼に触れられると恥ずかしく

下着を脱がされて、その下着を見られるのが恥ずかしく

下着に滴る何かを見られるのが恥ずかしくて仕方がない。


日々、重くなっていく私の体をおぶって、風呂場まで連れていく。

触れている部分が熱い。熱い。

「自分で歩きますから」と言いたい、言いたくない。

「丁寧に洗ってほしい。綺麗で居たい。もっと奥まで触れてほしいのです」


いつからだろう彼を目の前にすると緊張し、身体が震えるようになったのは。

手を伸ばして彼の頭を抱きしめて、身体全体で包み込んで、受け取った愛情を

私の体の奥で醸造したこの感情を彼に返してしまいたい。


「もう私の樽はこれ以上の感情を受け入れることはできないのです」



やがて春が来ると、蕾となり花を咲かせる。

人形は変わらなかったが、少女は徐々に頬には赤み指し

表情が戻ってきていることに気付いた。

私はそのことに少なからずショックを受けつつも

気付かない振りをして過ごした。


「変わらないものなどない」それはいい。だが

「このままでは普通の少女になってしまう」


人形と少女の乖離は外見だけでいい。

中身までかわらなくていい、人間でなくていいのだ。

そう、無気質の心のままで、そう思い込もうとしていた。


作家としての私は少女を恐れていたのかもしれない。

描けなくなるような要素は私にとって必要ではないのだ。

今この時に、美的要素としてではなく人間として生まれ変わった少女が居て

私の熱がさらに高まると思えない。


むしろ温和で柔らかな何かに囚われて

満足し何一つとして描けなくなってしまうのではないか。

これは、私の絵を愛してくれたあの人への背徳になるのではないか。

そんなのは認めるわけにはいかない。


私は億もの金を出して奴隷を買い、それを鑑賞用に愛でる変態なのだ。

少女の大事な爪を切り、座れば地面にまで伸びる髪を放置し

顔を舐めて味を調べるような行為も行う。


引き受け規範に悖る、己の金と名声のために虐待を行い

その行為を絵に起こすという退廃的行為に愉悦を覚えるような人間なのだ。


そうでなければいけない。


だが私の思惑通りには進まない。時間の経過は時に非常である。

だからこそ美しい。だからこその双子であり、だからこそ愛でたのだ。

ああ、時よ進まないでくれと、世界中の人間は死ぬ前に思ったことだろう

私もその時に心の底からそう思ったのだ。




光がさして、静かで、ほんの少し小鳥の鳴き声が聞こえる、そんな日だった。

私の目の前に座る、二人の少女。

一人は座ったまま遠くを見つめていた。

有ろうことか片方の少女が急に立ち上がり、視線をこちらに強く定め

柔らかに目を細めて何かを訴えかけようとした。

私と目が合うと、頬を青森県の林檎のように真っ赤に赤らめた。


「あ・・あの、ありがとう、ございます」


言いながら必死に頭を下げる。

その言葉は、長い間に溜め込み、ついにはあふれだすように

意を決して、頬を真っ赤にして、額に汗を垂らし

必死に私に向けて発せられた。おそらくは心を込めて。


少女いや、もう女性と呼んでも良い身体になった彼女はそう言って

愛情を含んだ顔で朗らかに笑ったのだ。


奴隷市場で見た侮蔑の篭ったあの顔のかけらは一つもなかった。

少女の中で零れ落ちてしまっていた。

見るものを温かくする柔らかな笑顔。

少女は清々しかったに違いない。やっと言えたと、その表情が強く語っている。


「なんてことだ」

私は絶望と共に彼女への美的興味を失った。



「嬉しい!」

言ってしまった、駄目なのに、でも気持ちいい

ああなんて清々しく充実した気持ちなのだろうか


はぁはぁと口から吐き出される息が止まらない。

今までの人生でこんなにも幸せな気持ちを感じることはなかった。

告白というものがこういうものだとしたら

私は何度でも彼に告白したくなるに違いない。


溜まりに溜まった樽をおもっきりぶちまけたのだ。


ぶちまけられた気持ちは気化して、空気に溶け込んで

この部屋中に充満している。。

醸造されたワインのように飽満な香りと熱

人を酔わせ惑わせる立ちこめる甘い空気

そんなものが部屋を超えてこの敷地いっぱいに広がればいい。


彼には本当に申し訳ないと思うけど、それでも仕方ないの。

ああできればこのまま彼を抱きしめたい。

強く。でも、我慢しなければ。


そうして一定の満足感を経て、はっとした。

言った後に物凄く不安になった、だから彼の顔をおそるおそる覗き込む。

その時の、彼の顔は・・・



画材が画材でなくなったのである。

道具が人に変わったのである。

シンメトリが崩れたのである。

私が私でなくなったのである。


画家を続けるためにはこの手で彼女を殺すしか無い。

そんなことが脳裏に浮かんだ。 


だが無理だ。私には殺せない。

画家としての私は、彼女に殺されてしまった。


墓前で、私は泣き崩れた。愛してくれた人に、申し訳なかった。

君のために一生描き続けると誓った、私のあの頃の真摯な心は

どこにいってしまったのだ。

取り返さねばならない、でも、私に彼女を不幸にすることはできない。


それから、暫くはいつもどおり過ごしたが

やれることは自分でやるようにと言いつけた。彼女は素直に言うことを聞く。


「実は凄く恥ずかしかったのです。でも、でも嫌じゃなかった」

「ごめん。悪かったね」

「いえ、気にしないでください。お食事も私が作りたいな」


彼女は賢かった、世間のことも最低限のことは分かっていた。

考えてみれば当たり前で、通信教育という形で世界と触れ合っていたのだから。

世界と言わなくても1側面でも外が分かれば

外から自分を図ることができる。


少女は自分の今の有り様を分かりながら過ごしていたに違いない。

それでも感情が動かなかったのだろう。

動き始めた感情は、彼女に行動をもたらした。


「私にお金を払ったのはホームヘルパーを雇うためでした。

 あんなにも高額で見受けして頂いたのですから」


彼女はそれをわかっていた。

時にはメイドの真似をし、恋人のように、妻のように

私のために目につくこと、できることを何でもする。

私がまったく求めていなかったことだ。


画材道具としての少女は、折れた筆

書けなくなったパステルか中身のなくなった絵の具のチューブか何かだ。

だったら捨てればいい。買い直せばいい。

いや愛着があるから直して使うのか、それとも思い出として飾っておくのか、何にしてもこれはない。

画材に身の回りの世話をされてどうする、本末転倒ではないか。


少女の画材としての価値はゼロに等しい。いやむしろマイナスに働いてしまう。

飢餓のない心に創作の芽は生まれない。

ああ、不愉快でたまらない。


時間をかけて見ることができた。

月下草の華が開くのを見るかのように、少女は朗らかに笑い

日々を過ごしている。

温かく柔らかな光が小さな館に差し込んでくるように

楽園の主は、笑顔を絶やさない。


これが求めていた姿ではないのか。

写真の中の双子が各々の成長を遂げていったように

私もその過程を味わいたかったのではないのか。


違う、そうではない。


得られるのであれば不幸になる方の少女を見たかった。

双子ともに幸せになられては面白味がない。


そこには安定がある。安定したものに何の価値があるというのか。

安定とは普通が求めるものだ、普通の行きつく先、価値のない夢であり理想郷だ。

そんなもの、毒も苦もない完全な世界に閉じ込められるのは地獄よりも苦痛に違いない。

安定を求めるのはいい、しかし、絶対に手に入れては駄目なものなのだ。


ああ、私は普通と真逆に向かってひた走っていたはずなのに。


どんなに苦境に立たされようが泰然とし

済んだ瞳で遠くを眺め続ける、物言わぬ彼女の半身である人形は

経年劣化はし続けるものの、少女のまま美しさを失わない。

それと比べて彼女は、どうだろうか?


毎日のように活動的に動く彼女を見ていた。

キャンパスには以前のような強い感情で向き合うことができず

よくわからない空虚感と木漏れ日の中で青い香りに包まれて

風が吹くたびに葉の先が頬に当たっていたいと思うような

土に触れて、風に触れて、木々に触れて、日の光に癒された

何もない己のままに筆を動かしていく。


いったい何を描いているのかすらよくわからない。


彼女は一生懸命で、初めて覚えることに四苦八苦しながら

1つ1つ己ができることが増えていくことに喜びを噛みしめて

私に対して、その日の成果を問いかけて来るのだ。


「今日の料理はどうだったでしょうか?、昨日よりは美味しいはず、ですけど」


「勉強で分からないことがあって、ここですが」


「今日は庭を歩きませんか、蛇がでて怖かったので一緒に」

「そうか、一緒に行こうか」

「はい」


元気な声が古くなった建物の中にこだました。

人形の少女はその声を耳を澄まして聴いている。

3人だけの時は流れていく。





鼻歌を歌い、活けた花を取り換えようとしている小さく可愛らしい背中に向けて

「ありがとう」

自然と言葉が零れた。


端にたまった水滴が徐々に膨れて、重力に負けて零れ落ちるように

私の心にも何かが落ちて波紋として広がっていく。

波紋は確かに水の中を走り、伝わり、身体の70%を占める水分が波打った。


時間が何かを変えたのかもしれない。

私は何の抵抗もないままに、今思っていることを口にしていた。


こんな中年の男に付き添い、己の大切な時間を浪費する彼女に

誰とも会わずに偏屈に絵を描くだけの私に優しくしてくれる女性に対して

何かを言わずには居られなかった。


「え?」


彼女は振り向いて止まった。

時が止まったように不思議そうな瞳でこちらを見ていた。


私は顎を引き、君に言ったんだと心で呟いた。

それは彼女に正しく伝わったようだ。


「い、いえ、いえ、もっと頑張ります。何でも言ってください」


驚きから満面の笑みへ。


手に持った花を強く抱きしめる。

改めて愛らしい女性に成長したのだなと思った。

こんなにも感情豊かに育った起因はいったい何だったのだろうか。

少なくとも写真の双子の少女でいえば天真爛漫な少女の方向へ成長してしまったみたいだ。


毎日のように裸を見た。

人に言えば虐待と取られてしまうようなことをして

会話や表情の変化を許さず、人形と比べて道具として扱ったはずなのに。


何が少女を今のように変えたのだろう。


また林檎のように頬を赤くし

表情がグルグルとめまぐるしく変えている彼女を見ていると

何故かほっとしてしまう。


彼女は実に人間で、いつか見たような既視感を覚えてしまう。

だれか私の周りにこんな人がいたのだろうか。



時は残酷である

己が命をかけて執着した誓いも、願いも

何もかもが色あせて、私の中で意味を持たなくなっていく


だから描く。


時を止めるしかない、だから描く。


でも描けない。


己の中になくなってしまったものはどうしたって描けはしないのだ。

葛藤すらもそげ落ちて、後に残るものはなんなのだろうか。

そこにこそ、私そのものがあるのかもしれない。


それを見ることは果たして創作者として幸せな事だろうか。

こんなことになる前に、時を絶たれ

作品だけが言葉を残し続けることにこそ

意味があるのではないだろうか


だのに私は今、覚えてはいけない感情に包まれているのである



「もう十分だよ」


本当にそう思ったんだ。

むしろ金額以上のものをもらってしまったに違いない。

お金で買えない大切なものを少女から奪ってしまったことを

酷く悔やんだ。


若い情念に晒されて、社に構えて世界と向き合い

私は画家なのだからと特別である人間であるかのように振舞った。


正常な判断ができなかった、なんてことは今だから言えることだ。

普通に見受けをして、少女を学校に通わせ、成長した姿を味わえばよかった。


「君にも人生がある、これからは好きにするといい」

「お金は何だって援助するから、なりたいこと、やりたいことをやってみて欲しい」

「君自身の人生を、生きてほしいんだ」


私の作品は柔らかさを帯び、角が亡くなった。

人が好み見るものを温かくする、彼女と同じものになってしまった。

「進出気鋭が丸くなったものだ」

「やつはこんな作品も作るんだな」そんな肯定的な意見と共に

「年取って面白いものつくれなくなったな」否定的な意見も沢山ある。

反響は人それぞれだ。

それでも描かなければいけない。私は描き続ける、あるがままを。



年に1度、必ず私の絵を愛してくれたあの人のお墓参りに向かう。

花を抱え、墓前に向かい手を合わせる。

そうして私を愛してくれた唯一の人のことを思い出す。


私はいったい何のために絵描きになったのだろうか

私の絵を好きだと言ってくれた人のために描いた。

あの人が死んでから、毒をキャンパスに吐きつけた。

毒の絵は人々に受けいれられて金にかわった。

汚泥を塗り付けていた日々

「あの頃の絵をみたら、君はどういう感想をもっただろうか」


私は何のために描いていたのか

それを思い出すために墓前に向かってあの人のことを思い出そうとした。


でも、できなかった。

会いたい。その気持ちはあるのに。

あの人がどんな表情で私に接してくれていたのか。

忘れてしまった私を


今の私を叱責してほしい。


家に戻り、あの人がなくなってから

納戸に使っていた部屋の奥にしまって1度も見ることがなかった

初期の頃の絵をひっぱりだした。


私は、こんな絵を描いていたのか。


見たままの景色をただただ素直に描いた絵


時折遊びのように剽軽な表情をした人物画

ツンとすましてこちらを無視する猫

愚かなほどに懐いている犬


全くもって理解不能なモチーフである。

この絵を描いた人物は、それを描くのが楽しくて仕方ないのだろう。

上手くはない、決して上手くはないのに。 


「いい絵ですね」

「え?」


「この絵、私好きです」


そう言ったのは誰だっただろうか。

その声に振り向いて、慣れぬ女性の声にリンゴのように真っ赤になり

慌てふためいてどもりながら

必死に絵の説明を重ねた男は誰だっただろうか。


振り向くとメイド姿に身を包んだ彼女が

興味深い瞳を輝かせて私の絵を真剣に見つめていた。


遠い昔の声と、今の声が重なり胸の奥に響く。

時を飛び、何かと何か、会うことになかった何かが出会う。

その瞬間に、思い出せなかった愛していた人の顔が

海馬から呼び起こされ、はっきりと目の前に現れた。


彼女の表情と、愛したあの人の表情は同じであった。

そして続けてこう言った。


「それでも、今の絵の方がもっと好きですけど」と。


彼女は家から出ていかなかった。



時は過ぎた・・・穏やかな日々


いつのまにか私のほうが介護される側になっていた。

「不本意だ」そうつぶやくのは私の矜持のなせる技なのか、なのに不満はない。


かつて少女が座っていた椅子に腰掛けて

開け放たれたドアの先、庭を眺める。

庭には私と少女の残り香が楽しそうに遊んでいる。

その光景をただただ「美しい」と思った。


時が止まったような春の空気と

新芽の緑の香りが柔らかな風とともに吹き抜けていく。

ひらりと窓のレースが踊り、広がり

コマ送りのように元の位置に着地しようとする。

それを許さない風がまた吹き込む。


繰り返し繰り返し。それをずっと見ていた。


気付いたら私は両手を前に出して何かを掴もうとしていた。

何の感情も湧いてこないような弛緩した感覚の中で

呆然とした、緩慢とした心のままに

目の前の景色を包み込んで抱きしめて、柔らかく

手折らず、そのままに両手の中に挟み込んで

胸の中に送り込みたい。


まるでキャンバスの向こうに描かれた、楽園のようだ。


初めて絵を描こうと筆をとったあの日

私は自然の美しさに心を打たれた。

それは造られたものではない、あるがままの自然な光景だったから

人の意図の介在しない何かだから。


それをあの人は良い絵だねと言ってくれた。

まるで私自身の存在を肯定してもらえたように思えた。


あの日から、描き続けた。


日差しが眩しい。日差しに当てられたホコリが舞っている。

キラキラと輝いている。

「ああ」

私は背中に走る寒気にもにた感情と胸を温かくする何かを感じた。


横を向けば、古ぼけた、それでも美しさを失わない人形が座っている。

目の錯覚か、人形は柔らかく笑ったような気がした。


「そうだったな」

私よりもずっと長くこの景色を見続けてくれた。

人形は常にキャンバスの外に居たのだ。

ずっと同じ場所に座って、同じものを見続けていた。

私と同じように求め続けていたに違いない。


求めていた?


目を伏せると足元に私の人生が落ちていた。

そうか・・・私が描きたかったものは。



「今の今まで気づかないとは、間が抜けている」

独りごちる。それでも時は戻らない。

仕方なしに頭をあげるとドアの外にはもう一人の人物が描かれていた。


胸に迫る望んでいた景色が目の前にあった。

私はそれをモチーフに人生最後の絵に着手する。



こんなワクワクした気持ちはいつ以来だろうか

早く描きたい、描いてしまわないと止められない

筆の先から描かれる線に胸の鼓動が抑えきれない


もっともっとこうすれば、自動書記のように腕が

脳の指令を待たずに動き続ける。

まるでクレヨンをもってお絵かき帳に向かう子供のようだ。

脳裏に焼き付けられた景色は私の腕を抜けて

キャンパスへと雫のように落ちて広がっていく


もうすぐ、もうすぐだ

だのに終わりは見えない


そうだ、わかっている。私はわかって描いている

いや、今までずっと描いてきたのだ

完成などないのだと



「悔いはない」



私の躯は人形と共に埋められた。



○○○○○


数年の後

彼が描いた絵は洋館の壁に飾られていた。

入ったすぐそこには大きな1枚のキャンバスが出迎える。


庭で遊ぶ優しい母と娘の姿。 


絵の中の少女は何かを母親に見せている。

母親は笑っているが子供のほうを見ずに、絵を見ている私の方を見ている。

まるで早くこちらに来たら良いのにと催促するように。


階段の登り口には彼が初めて描いた風景画、発表した女性の裸体の絵があり

そこから順に階段にそって彼の人生の流れとともに描いた絵が飾られている。

そうして二階にたどり着くと


踊り場の前に二人の少女が座った絵があった。

この建物の玄関から入った場所

小さな喫茶店から椅子とテーブルを取り除いたようなホール

そこに座る少女達。


二人の少女は朗らかに笑っていた。



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