ペンは竜より強し――異世界でオタク文化を流行らせるために手段なんて選んでられるか!
最後まで読んでくださればとても嬉しいです!
「絶対に文化を革新させてやる!」
街に薫風(くんぷう)がさっと吹き抜けると、じんわりとした暑さと、新緑の清涼な匂いが夏の到来を知らせるようで、それだのに長屋(ながや)の一室に籠(こ)もってはじっとりとした汗を張り付かせて、カーテンも締め切った暗い部屋の中に、蝋燭(ろうそく)の灯りだけを頼りに机に齧(かじ)り付く青年の姿。
彼の部屋は熱波が到来したかのように暑い。まるで火竜のブレスで炙(あぶ)られたかのよう。
逆上(のぼ)せ上がるように顔を上気させ、金の髪を鬱陶(うっとう)しそうにかき上げるその青年の名はエドガルドと言う。
元は別世界の人間であったが死の際に、どういうわけか赤子として生まれ。物心つく頃にはすべての記憶を思い出すに至る。
「この世界のサブカルチャーはゴミ過ぎる」
転生したは良いがオタクであった彼の、特に娯楽という物に絶えず飢えている有り様で。この世界の楽しいことと言えば専ら歌と踊りばかりで、活字の冒険小説など見当たらなかった。本と言えば難解な魔導書か、あとは啓蒙本(けいもうぼん)だとか自叙伝だとかそんなものばかりで、エドガルドの琴線に触れる物は皆無であった。
「それは俺に取っては死活問題だ!」
誰もいない部屋に、いや、エドガルドは自分自身に言い聞かせるように叫ぶと、どんっと机を叩く。
墨の入った瓶が危なげに飛び跳ねると、乱暴にペン先を突っ込んだのだった。
エドガルドにとってサブカルチャー。ライトノベルはおろかウェブ小説もないのは耐え難い苦痛であった。広く浅く読むのが彼の趣味であって、それが出来ないのならば転生しがいがないのである。
あまりにも退屈すぎる日常に、幼少の頃から難解な魔導書をそれらの代わりと読み耽(ふけ)っていた。それで天才などともてはやされたりしたが、彼にとってはどうでもよい些末(さまつ)なことである。そんなものは手遊(てすさ)びの慰(なぐさ)めにもなりはしなかったが、物語を読みたいという欲を抑えることが出来ず、代替品にもならないが無いよりはマシと言った程度で。
「無いなら作るしかない。そうだ、この世界にライトノベルというサブカルチャーを定着させることこそが俺の使命なんだ!!」
唾と汗を飛ばしながら再び齧るように机に向かうと、ひたひたに浸した羽根ペンを羊皮紙に向かって躍らせる。
このエドガルド魔術学園の学生の身なれど様々な勧誘を受けたが、すべて断ってこの世界にいない物語作家になろうという心積もりで。この世界にサブカルチャーを定着させるために命を掛けていると言える。そして自分以外の冒険活劇を読むのだと心に決めていた。
しかしながらエドガルドが自費出版した本はまったく売れていなくて。
教師に頼み込まれて、学費の足しになればと書いた魔術の本の方が飛ぶように、売れた。
と、どのような物語にしようかと思案するエドガルドの、額に皺(しわ)を深く刻んでうんうん唸ること数分。ぱっと思いついたように頭を打ち振った。
「そうだ、あれにしよう。自称天才魔術師がおいしい物を食べるために旅をするという話を!」
それは何時しか読んだ懐かしい記憶。
何となしに古本屋で買ってみて、それを読んだときの衝撃は恐ろしかった。
こんな世界もあったのかと灯りが点いたように気付くと、なけなしの小遣いで揃えようとした思い出が蘇る。
「それにしても何だか騒がしい。これじゃあ全然集中出来ないじゃないか!」
ざわざわとした声が、下宿先である年代物の木骨組みの長屋の壁越しに聞こえる。
彼が非難と悲鳴じみた声を上げると同時に、がたりと部屋の扉が開く。
下宿先の扉はぼろく蝶番(ちょうつがい)が軋(きし)んだ音を立てる。六畳の一間に堆(うずたか)く積み上げられた魔導書がどたんと崩れた。本に積もった埃(ほこり)が天井高く舞い上がると、咳き込みながらひとりの少女が入ってきたのであった。
「こほっ、こほっ。エドくん。大変だよ。火竜が 現れたって……」
「リアーナ……本が倒れるからあんまり強く扉を開けるなって言っただろう?」
「ごめんなさい。でも、早く知らせなきゃって思って」
リアーナと呼ばれた少女の、手には白パンが握られていて、何処か所帯じみた雰囲気のある年上と言った容姿であるが、エドガルドとは同郷の幼馴染みという奴で。幼少から色々助けたり、勉強を教えたりしたら妙に恩義に感じたのか、彼の目指す学校までついて来たのであった。放っておけば三日ほどろくに食べないエドガルドに甲斐甲斐しく食糧を運んできたりしている。
「それに火竜だって?」
「そうなんだよ。バルバラ高木林に現れたって。もう被害が出ているんだよ?」
「軍隊でようやく相手になる竜だろう。それに執筆で忙しいんだ」
「街はもうすっごい騒然としているの。滅ぼされたらどうしようかって怖くて怖くて……」
噛み合わない彼等の会話の、どちらも自分の言いたいことだけを言っている。
火竜というのはもはや自然災害の一種で、何処からかふらっと現れたら近隣の街の住人を喰らい、焼き尽くしては去って行くという。分厚い鱗に覆われた体は容易に刃物などは通さずに、半端な威力の魔法では傷も付けられないと言う。
エドガルドは執筆が忙しいとばかりに頭を振ったが、はたと気付く。
「待てよ、バルバラ高木林の近くには、南バルバラの街があったはずだ。そこには俺の本も卸していたはず。ダメだ。読者が減ってしまう!」
「エドくん?」
「もしかしたらその街には俺の固定客が居るかもしれないのに。なんて迷惑な。ならばドラゴン狩りだ!!」
自分の読者を無くすなどということがエドガルドには耐えられなかったのだ。彼の胸中には何処までいっても物語のことで占められていた。
がたんと椅子を跳ね上げると飛び出したのだった。
エドガルドは鬱蒼(うっそう)と生い茂る森の中を進む。
背の高い高木が包み込むようにして辺りに密集すると、昼間だというのに暗い影を落とす。不気味な動物の鳴き声に、街では見たこともない昆虫が飛び立つのを見遣る。そんなことお構いなしとばかりに気にも留めずに、ブーツの先を地面に食い込ませながら目的の場所まで歩いていた。
ここまで来るのに数える程度しか使い手がいないという飛翔魔術を使い、最短距離で飛んできたのであった。空から視る森の一部に、切り開いたかのようにぽっかりと穴が出来ていた。恐らくはその周辺が火竜の寝床であり、邪魔な樹木を押し倒したのだろう。
エドガルドは目的の主(あるじ)を見つけると、すうっと思いっきり息を吸い込む。
「たのもー!!」
ゆっくりと鎌首をもたげるように火竜が身を起こすと、まるで翅を失い地面に墜落した羽虫を見るが如く冷たい視線を向けると、面倒そうに唸った。
「なんだ人間。オレに喰われに来たか」
「やっぱり会話が出来るじゃないか!!」
何故だか歓喜の表情を浮かべるエドガルドの、熱にうなされたような焦点の合わない目を火竜へと向けることの。彼は火竜が賢い生き物であると伝聞があったことを知っていた。それには火竜に気に入れられて国を救ったなどという。他にも人語を介すだとか、文字を教えただとか様々だ。
ならばとエドガルドはこう考えたのであった。
字が読めるのならば読者になってくれるかもしれない――と。
それは、あまりにもばかばかしい考えであったが、エドガルドに至っては本気で、冒険小説文化を定着させるためならばどのような努力も惜しむつもりはなかった。
「俺の――いや、私の読者になってください!」
「……ふは?」
鼻から抜けるような間抜けた吐息を発すると、火竜は目を瞬かせた。
恐らくは予想した発言とは180度どころか、三次元にすら向いており、言葉を窮するのも仕方ないと言える。
エドガルド本人はまるで一仕事やりきったような充実感を持ってして、胸など張り上げ、実に鬱陶しい得意満面な笑顔を浮かべている。
「ふ、はははははは」
「――ははははは」
火竜が笑うのに釣られて、エドガルドも高らかな笑い声を上げることの。
すぐにその笑い声は恫喝へと変わる。
「この阿呆が! そんなもの読むわけないだろう!!」
「ええっ、そんな、読めばきっと面白いはずだ! まずはこれを読んでから答えを聞かせてくれ」
エドガルドは数枚の羊皮紙をぱっと広げると、火竜がすうっと息を吸い込み吐き出した。
するとぼっという音と共に、火の付いた油紙(ゆし)の勢いで羊皮紙が燃えてしまったではないか。
「ああっ、俺の書いた渾身の作品が!!」
「人類根絶。人類殺す。殺して喰う。喰って寝る。寝たらまた喰う」
「どうしても読者になってくれないのかい?」
「くどいぞ人間。誰がそんな物読むか」
「ああ…………そうか。話合いは無駄だったか」
「そんなもの最初から分かってただろう」
「読者になる可能性が1割でもあるのならば、言ってみて損はないだろう! 千里の道も一歩から。こういった地味な売り込みが明日を切り開く――はずだ……うぅ」
距離を取るエドガルドの、表情は暗く泣き出しそうで。
たとえばおやつを取り上げられた子犬の目の前で、別の子犬におやつを与えたような。あるいは当選したはずの富くじの一部にゴミがのっかて、取り除くとただのハズレ券に成り果てたときのような。兎にも角にも期待を裏切られて落ち込んでいたのであった。
そんなエドガルドにお構いなしに火竜は息を吸い込むと、背びれが赤く光り輝く。
――火竜の息吹!!
その熱量はいかほどのものか、まだ放たれていないというのにちりちりと髪の毛の先を焦がす。火竜の足元の草花が萎(しお)れると、ようやくごうっと、炎の珠が吐き出される。
それを涼しい顔で迎え撃つエドガルドの姿。
手にした羽根ペンをかざすと、その火球を上方へと弾き飛ばしたのだった。
驚いたように目を見開く火竜の、余裕のない台詞が胸中を物語っているようで。
「なぜ死なない!?」
「知っているか。ペンは剣より強しって言葉があるのを。なら、炎の珠ぐらいはじき返せてもおかしくないだろう。つまりペンは竜よりも強いのだ!」
自信満々に言い放つエドガルドとは裏腹に、頭上に疑問符をいくつも浮かべる火竜のどことなく哀愁を感じさせられる姿を。言っていることが何一つ道理に適っていないというのに、それは現実として姿をともないやってくる。
エドガルドはペンに、文字に力があると信じて疑わないのであった。
「さて、迷惑な竜にはご退場願おうか」
「こ、こんなこと認めん!!」
「お前の死の物語を書いてやろう」
いくつもの火球を吐き出すが、エドガルドはすべて弾き返してしまう。
うんうんと何度か唸ったあとに、ぽんと手を叩いたのだった。
「魂のこもったペンと文字には、魔力が宿るのだ!」
何処からともなく取り出したインク瓶にペン先を浸すと、竜の鱗に文字を書いていった。
それは日本語で『デコピンを喰らったら吹っ飛んで死ぬ』などと書かれてあった。
やめろと叫ぶ火竜の、声は虚しくエドガルドには届かない。
火竜の鼻先へと大きく跳躍すると、溜めた人差し指を放ったのだった。ふっと巨大が浮かび上がると、後方へと風に煽られた風船の如く飛んでいったのであった。高木林には火竜の鱗による溝が、数十メートルに及ぶ距離に引かれていたのであった。
エドガルドはそのままぴくりとも動かないのを確認すると。
「ああ、俺の読者は何処に……」
肩をがっくりと落としながら帰路についたという。
じりじりとした夏の熱気が、日に日に濃く彩られていく。
鮮やかなる空の、快活なる清(すが)しい空気がエドガルドの部屋にも入り込んできた。滅多に開けない窓も、こう熱くては開けゴマと呪文を唱えたように開く。
「くっ、今度の本も売れ行きが芳しくない……。むしろ赤字だ……」
前回書いた本は、ゲスな主人公が卑劣(ひれつ)で非王道を突っ走るといったものであったが、やはり設定を大まかに変えたのは良くなかったのかもしれない。主人公を筋肉隆々の剣闘士(グラディエーター)にしたのが良くなかったかもしれない。などとぶつぶつと呟く姿は傍目から見ても怪しく、人を寄りつかせないような雰囲気を発していたが。現在書いている本の主人公も食い道楽のはずが、何故か世界各国の鉱物を食べ歩くという話に変わっている始末で、反省を生かすどころかぶち壊す勢いであった。
「エドくんは自叙伝を書いた方が売れると思うの」
「そんなのダメだ。俺の自叙伝なんて何が面白いんだよ」
「えぇぇ……本気で言っているの?」
木樽に水をくみ上げ、氷結魔術で氷を作るリアーナだったが。
階下からばたばたと騒々しい足音が聞こえたと思ったら、ばたんとエドガルドの部屋の扉が開かれた。するとせっかくリアーナが積み上げた本が再びばたんと倒れたのだった。
「さあエドさん。わたしと一緒に火竜退治に行きましょう!!」
「ジョゼちゃん……」
「え、どうしたんですか?」
ジョゼと呼ばれた少女はきょとんと目をまん丸に見開いた。
魔術の発動を阻害しない軽鎧と杖と剣を携えた少女で、彼等の一つ下の学年であるが、ことあるごとにエドガルドにまとわりついては冒険をせがむのであった。
「それはもう終わった」
「え、もしかして倒してしまったんですか。何故わたしを呼んでくださらなかったですか! このわたしの雷撃魔法でもって一網打尽にしてやろうと思ったんですよ!」
「君の雷撃魔法って、雨雲が出てないと使えなかったんじゃなかったか?」
「ふっふっふ、わたしはその弱点を克服しました。見て下さい使い魔のテバサキさんです。なんと彼女は雨が降りそうな日には低く飛ぶんですよっ、凄い発見だと思いませんか!」
「ああ、そうですか……」
呆れ眼のエドガルドの。
上着を脱ぎ捨てて襯衣(シャツ)姿になると、汗で張り付き少し透けた肌を打ち眺める少女達の頬が自然と赤らむ。何処かばつが悪そうにあさってな方角へ視線を向けるが、ちらちらと眼球が彼の方角に動いているようで。
エドガルドはそんな少女等の心情など一切くみ取ることなく、背を向けると再び執筆活動に従事しだす。
「あ、まだそんな本を書いていたんですね。あの魔導書すっごく分かり易くて為になりましたよ! 売れない本を書くよりも魔導書を書いて下さいよ!」
「ええい、俺は何としてもこの文化を定着させるんだ。誰が何と言おうとも!」
口を尖らせるエドガルドであったが、少女等は彼の読者第一号と二号であるので無下にすることも出来ない。
リアーナが冷えた濡れ手巾(ハンカチ)を手渡すと、額に浮かんだ汗を拭き取る。
「ならば、自叙伝を書いた方が良いと思いますよ」
「だから自叙伝なんて書いてどうするんだ。読者が求めている物はこんな現実に起こった話なんかじゃなくて、ありえないようなファンタジーだろう? 竜だって頑張れば倒せるんだからそんなの書いたって面白くないだろうさ」
そんなエドガルドの言葉に、二人の少女は顔を合せると諦めたように溜め息を吐く。万感の思いを浮かべたその表情は、エドガルドが書くお話よりも彼の人生のほうがよっぽどファンタジーをしていると物語っているようだった。
他にも短編等書いていますので良ければどうぞ。