第94話 故郷
心がぽっかりと空いているような気がする。
いや、気がするんじゃなくって空いているんだ。
ずっと、ずっとだ。あの時からこの飢えを埋めることが出来ないでいた。
なんで、なんで、なんで、なんで。
あの時程涙を流したことはない。
けど、隣で同じ歩みをしてくれている唯一のこの子のお陰で少しはこの飢えが、渇きが楽になったような気がする。
この感覚はなんだろう?昔、感じた事がある気がする。けど、思い出せそうにない。これがぽっかりと空いたものに関係するんだろう。
何だったんだろう。この気持ちは─────本当に何だったんだろう。
〉〉〉
「チツ……泣いているの?」
「……?」
ありとあらゆる悪意から守る為に張り巡らされた巨大な魔方陣。
それはある一つの世界、それだけを為に用いられ。クラとリバによって破壊と創造の力が込められた最強ともいえる防御魔法だ。
例えチツが本気を出そうが、一人の力では破壊不可能。最悪でも二人の最上位神の力がなければ解くことが出来ない。
ここは世界と世界の間にある狭間。目の前に広がる強力な魔方陣を前にチツと寝水は佇んでいた。
ふと、魔方陣の先に見える世界を見続けているチツの感じた事がない様子に気が付き、チツの事を見上げる。
え?っと驚いた。
チツは一見ぼーとしているように見えるが、今までのことを思い出しているかのように見つめながら一滴の涙を片眼からゆっくりと流していた。
「ホントだ。あはは、なんでだろーね。ほんとうに……」
チツ自身も、自分が何故涙を流したのか?と驚いた。
もしかしたら計画が終わりそうに近いため、感傷に浸って……。それとも、他の理由なのか。─────分からない。
曖昧な自分自身の行動に苦笑いしながら、ゆっくりと魔方陣に向けて掌をかざす。
「まったく、理解できない」
バリリ!
砕け散る音が周囲の隣接した世界にも、この魔法を施した人物までにも届く。
「行こう、ネミ」
「…………うん」
そっと差し出された、信頼している人の手に自分の手を重ねて。
「最後の仕上げに」
二人は転移した。
〉〉〉
雲がゆったりと空を泳ぐ。
太陽が暖かな日の光を地上にへ届ける。
ここにあるのは。どこまでも続く草原。軽く髪が靡く程度のささやかな風が緑色の絨毯のような草たちを揺らす。
その世界にあるのは小さな教会。長年のそこに住み続けていた人物による汚れや削れた後。そこでどんな生活をしていたのかが見て分かる程の生活感が滲み出ていた。
そこの裏にある小さな丘の上には、同じく小さな墓石。
ポツリポツリ。教会のすぐそばにある井戸から水の音が聞こえる。
使い古した物干し竿もある。
時計がある訳でもなく、のんびりと時間を忘れて暮らせそうなな和やかな世界である。
「…………」
だが、教会から遠く離れた草原だった場所は。草木が吹き飛び、茶色い地面をむき出しにしたクレーターの跡が所々見える。
その手前の草木の上に、ボロボロの姿の身に覚えがある少年が横たわっている。
そっと、少年を抱え上げると、来た道を戻り。教会の中にあるボロボロのベッドの上に寝かせ、彼らは再び元の場所に戻った。
じゃりじゃり。じゃりじゃりと地面の小石を踏みしめ歩いた先にあるのは。水色の巨大な水晶。
身に覚えがある水晶だった。いままでの出来事の始まりの原因を作った人物。それが眠っている水晶。
その手前にいるのは二つの人影。
「─────待ってたよ」
彼ら三人の気配を感じ取って此方に振り返ったチツ。
「やっぱり、ここに来たんだな」
チツの姿を確認して目を細めたクラ。
「勿論。ここはボク達の夢のような場所で、それでいて地獄の様な場所。そう、君がいなければ」
腕を広げ語りだしたチツ。その声はだんだんと低く冷たいものに変えながらクラを睨み付ける。
「あの時からボクはずっと胸が苦しかった。こいつのせいであんな事になった。こいつのせいであの人に出会えた。こいつのせいであんな幸せな?……だったはずの生活が出来た。─────全部はこいつのせいだよ」
コンコンと自分の後ろにある水晶に拳を当てる。
「ボク達が人の、生命としての大切な何かを欠如してここに住んだ。一体何年ここにいたのかもひび割れているようで思い出せないけど……。楽しかったんだろうな、ボクは」
「……」
クラ達が歩いてきた方角にある教会の方に顔を向け言う。
「けど、死んだ」
他の二人。大人しくクラの出方を見ているゴブとシナナを無視し、寝水をこの場に待たせ。クラに向いて歩き始めた。
「殺したんだよ、君が」
早歩きで歩き出し。
「君が……っ!君が!!」
駆け出して、クラの目の前まで行くと、クラの首元を掴み上げ強烈な目付きで睨み付ける。
「クラが!殺したんだよ!!!!」
「……ああ」
フーフーと荒い息遣いをしながら睨み付けるチツに対して、クラは首元を掴んでいる手を逆に掴んで無理矢理振りほどこうとする。
「……何でリバをあんな目に合わせた」
目を閉じて爆発しそうな激情を押さえつけながら震える声でチツに問いかけた。
「やり直すためだよ……。全部の力を手に入れてあの人を生き返らして、全てを、やり直す、ためだよ」
「─────そんなくだらない事にリバを殺したのか?」
ギリギリと音を立てながら目一杯の力を込めてチツの腕を掴む。
「仕方ないだよ?リバも分かってくれる。やり直したら全部元通りになるんだから、リバも本意に違いない」
「わかった。ああ、分かったよ。お前がどうしようもない野郎だってことがよーくわかった」
掴んだ腕を弾くように離すと、今度はクラがチツの首元を掴み上げそのまま思いっきり頬を殴り飛ばした。
水晶にぶつかる形で吹き飛んだチツは止まり、そのチツを心配して寝水が隣に駆け込んだ。
「その腐った気持ちをぶちのめして、頭を地面に無理矢理擦り付けながらスーナの前で懺悔さしてやる」
拳をゴキゴキと鳴らしながら吹き飛んだチツにそう言い放つ。
「クラ……お前が。お前がそれを言うなあああああ!!クラァァァ!!!!」
「今度こそこっちに引きずり戻してやる!チツゥゥゥ!!」
そして、二人の神の戦いが始まった。
〉〉〉
「何してるの!!クラ!チツ!リバ!」
「うわ!見つかった!?逃げるぞ!リバ!チツ!」
「ちょっと!クラ!待ってよ!」
「ボクは諦めとくから、勝手にしといて」
シスターの格好をした栗色の髪の女性が、悪戯をしていた三人を見つけ。プンプン怒りながら追いかける。
クラと呼ばれた活発な少年は走って教会の外に逃げ、それに追従するようにリバと呼ばれた身長が低めの少年がはぁはぁ言いながら走る。
その光景を横目に見ながら、高めで細い体格のチツと呼ばれた少年がいち早く諦め、教会の前で怒りながら逃げ去っていく二人を見ている女性の隣に座る。
「チツは一緒に行かなくていいの?」
「ボクはこれでも十分楽しいからいい」
「じゃ!洗濯物の手伝いお願いしようかな?」
「ん、分かった」
女性は走って逃げて行ったリバとクラに向けて口を手に当て遠くまでいかないようにね!と叫ぶと、チツの手を握って教会の中に入って行った。
これは、三人がまだ仲が良かった時のお話。
一日一日の日常を楽しく過ごし、この日が永遠に続くようにと考えなかった事はなかった。
けど、そんな日は。起こるべきにして起こった時の出来事による、容易に崩れ去ったのだった。
お読みいただきありがとうございました!