ソフィアと戦6
ほとんど眠れずに朝を迎えたソフィアは、自分で持ち込んだ下着と服を着ると、呼び鈴を鳴らした。
少し間を空けて、ジーナが入ってくる。
「おはよう、ジーナ。少し朝の散歩に付き合っていただける?」
「かしこまりました。お召し物はそちらでよろしいのですか? お着替えなら、お手伝いいたしますが」
「このままでいいわ」
どこか納得しかねる様子だったが、ジーナは何も言わず、ソフィアの為に扉を開ける。
よく晴れている。
行軍も滞りなく行われているだろう。
昨夜読んだ過去の戦の資料によれば、本隊が前線に出れば決着は早く、敵は本隊到着と同時に、蜘蛛の子を散らすように撤退した、となっていた。
多少の誇張はあっても、ゴチク国が海を越えてやって来ていることを考えれば、帰国手段が無くならないうちに撤退するのは当然だろう。
タルヴィティエ国にしてみれば、船さえ沈めてしまえば大量の捕虜が手に入り、戦を収める交渉に有利になるから、敵兵よりも船を攻撃しに掛かるはずだ。
ウォーレンの出発まで日数があったことから、本隊には貴重な大砲を持ち出していると考えたソフィアはそう踏んでいる。
久し振りの朝の温室には、まだスカーレットの姿はなかった。
ソフィアはゆっくりと温室を歩いて回り、南国の大きな葉の上に小さなカエルがいるのを見つけた。
鮮やかな黄緑色のカエルは、ソフィアを見たのか、すぐに跳び跳ねて見えなくなってしまった。
少し退屈ね、と苦笑してソフィアは温室を出た。警備の兵士に頭を下げて挨拶すると、そのまま部屋へ戻る。
「お湯をご用意いたします」
ジーナが出て行くと、ソフィアは机に向かい、昨夜途中退席した晩餐会について詫び状をしたためる。
湯と着替えを終えると朝食の前にジーナへ託した。
朝食後、クリスがやって来て、セシリアの授業は夕刻からだと言う。
そこで、ソフィアは書庫で過ごす許可を取り付け、ジーナを伴って書庫へ向かう。
昨夜、ジーナが持ってきてくれた戦に関する資料は全て目を通した。
いくつか疑問に思う点を自分なりに調べてみようと思ったのだ。
特に、ゴチクという謎だらけの国について知りたい。
戦に強いわけでもない小国が、何故海を渡ってまでタルヴィティエ国へ挑むのか。
夕刻まではあっという間に時間が過ぎた。
残念なことにゴチクという国の資料はほとんどなく、各地を旅して回った男の自伝のような本があるだけだった。
その自伝にしても内容がかなり胡散臭い。魔法使いで溢れている都で、強い光が満ちると悪漢が倒れていた、など、とても信じられない。
「ソフィア様が物語以外をそんなに熱心に読まれるとは、存じ上げませんでした」
セシリアがやって来たことを告げに来たクリスから、そんな皮肉も言われてしまう。
「これからはちゃんと国のことも勉強していくつもりよ。今まで不真面目でごめんなさい」
ソフィアは素直に謝るとクリスとジーナと一緒に祈祷所へ入る。
セシリアは見習い神官の着る裾の長い濃い灰色の服を着ていた。
セシリアの講義は分かりやすく、ソフィアの理解の速度に合わせてくれるので、ソフィアも焦らずに静かに記憶に励めた。
「今日はここまでにしておきましょう」
セシリアが言った時には、東の空に小さな月が浮かんでいた。
「ありがとう、セシリア。とても分かりやすかったわ」
ソフィアが礼を言うと、セシリアはにこりと笑った。
「授業とは関係ないのだけれど、一つ、お願いしても良い?」
「何なりと」
「今、ゴチクと戦争中でしょう? 戦死者も出ていると聞いたわ。祈りの時間を作って欲しいの。死者の鎮魂と戦の勝利を願う時間。難しいかしら?」
「いえ、問題ございません。明日から始めましょうか。ソフィア様のお時間に合わせます。午後になさいますか? 午前がよろしいですか?」
「では、午前に」
「かしこまりました、祈祷の準備を整えておきます」
「よろしくお願いします」
ソフィアが頭を下げて頼むと、セシリアは少し困った顔をして微笑んだ。
「ソフィア様、あまりご無理はなさらないでくださいね。お勉強も少しずつで良いのですから」
「ええ、体には充分気をつけるわ。ありがとう」
答えるとセシリアが益々困った顔をした。
「ソフィア様、ご夕食のお仕度が整いました」
ジーナが呼びに来た。
随分、時間が経っていたようだ。
「ごめんなさいね、セシリア。遅くまで引き止めてしまったわ。では、また明日。おやすみなさい」
深く頭を下げて見送るセシリアに挨拶して、ソフィアはジーナの後ろへ続く。
「ソフィア様、明日もセシリア様の授業を?」
「ええ、出来るなら。でもセシリアにはお祈りの時間も作って欲しいとお願いしたから、無理かもしれないわね。その時はまた書庫で調べものをしようと思うの」
ジーナが振り返り、セシリアと同じ困ったような顔をした。
「ソフィア様、昨夜はあまり眠れなかったではありませんか?」
「そうね。少し眠りが浅かったような気がするわ」
ソフィアは小さな嘘をつく。
「お顔の色がひどいので、今夜は早くにお休みください。そのように準備させていただきます」
ソフィアは、分かったわ、と答えて自分の頬に手を添える。
特に不調は感じていないが、確かに今朝はあまり食欲がなかったから食事の量が少なかった。そのせいかもしれない。
ウォーレンとソフィアの食事部屋には、既に二人分の食事が用意されており、スカーレットが待っていた。
「姉上! 今日は庭で会えなかったから夕食を一緒に取ろうと待っておったのだ!」
部屋に入った途端に飛び付かれて、ソフィアは思わずよろめいた。
ヴェールを被ったスカーレットがこちらを見上げてにこにこしている。
「まあ、嬉しいわ。わざわざありがとう、スカーレット」
スカーレットの小さな体を抱き締め返してソフィアはスカーレットを促してテーブルにつく。
スカーレットはいつも通りよく喋り、よく食べた。
ソフィアも笑いながら何とか出された食事の半分を飲み込む。とてもではないが、全ては食べきれない。料理人には悪いが、残してしまった。
「姉上、体調が悪いのか? このプディングは最高じゃぞ。特にこの上に乗っている白いのが甘くて美味い!」
「そうね。何のクリームかしら。あなた、分かる?」
給仕をしてくれた使用人に聞いてみる。
「は、はい! それは牛の乳から脂の部分を取り出して、砂糖と卵白を混ぜて泡立てたものです」
脂の部分と聞いて、ソフィアも得心する。どうりでこってりしていると思った。食欲のある時なら美味しいと感じるかもしれないが、今は体にどっしりとのし掛かるように思う。
スカーレットは理解しているのか、いないのか、口いっぱいに頬張って食べているようだ。
ソフィアは苦笑して、自分のプディングの上にあったクリームの大半をすくい、スカーレットのプディングの上に乗せてやる。
「良いのか?」
「スカーレットはクリームが好きなのねえ」
頷いたソフィアはプディングを口に入れ、ゆっくりと飲み込む。
美味しいプディング。
今頃、ウォーレンはどんな食事をしているのだろうか、と考える。
そもそも、食事を摂る時間があるのだろうか。
「大丈夫じゃ、姉上。以前聞いた兄者の信条は『腹が減っては戦は出来ぬ。戦わせるなら腹いっぱいで』じゃ。あちこちから大量の食糧をかき集めて出発したのだから、姉上が心配するようなことは起こらぬ」
だから食べよ、とクリームが半分戻ってきて、ソフィアは苦笑した。




