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初めての舞踏会5

 数歩も行かないうちに、「ソフィア様」と声を掛けられる。立ち止まると、ウォーレンの側にいた使用人が恭しくソフィアに頭を下げていた。


「はい、何でしょうか?」


「ウォーレン殿下が、こちらをお召しになるように、とのことでございます」


 差し出されたのは、先ほどウォーレンがソフィアに掛けてくれた肩掛けだった。


 ここは外ほど寒くないから遠慮しようとしたが、ウォーレンの使用人は有無を言わさぬ笑顔で、「殿下のご希望でございます」とソフィアの肩に掛けてくれた。


 そんなに寒そうに見えたのか、と不思議に思いながら、ソフィアは礼を言った。


「あの、貴方は殿下の侍従なのですか?」


「はい、クリスと申します、ソフィア様。以後、よろしくお願いいたします」


「こちらこそ、お願いいたします」


 ソフィアとクリスは互いに頭を下げ合う。


「クリスさん、殿下に何か飲み物をお願いできますか? あと、同じ物を、皆様にも」


「かしこまりました」


「では、お願いします」


 ソフィアはその場を去ろうとクリスに背を向けた。


「ソフィア様はどちらへ?」


「あ、あの、少し、外へ」


 まさか聞かれるとは思わなかったので、言い淀んでしまった。

 それで察しがついたのか、クリスは「扉を出て左手の奥でございます」と教えてくれた。

 もちろん、お手洗いの場所である。


「戻られましたら、まず、わたくしにお声をお願いします」


 それは構わないが、何故だろう、とソフィアは首を傾げた。


「殿下のお側までお連れいたしますので」


 口答えを許さない迫力で言われ、ソフィアは了承した。

 何故か逆らえないし、理由も聞けなかった。


 ――なんだか、怖い人だったわ。殿下は、ああいう方、疲れないのかしら。


 会場の外はしん、としていた。クリスに言われたとおりに左に折れて、奥の扉を開く。更衣をしたり、化粧を直したりする空間になっていて、数人の侍女が待機していた。皆、同じお仕着せを着ているので、きっと王宮に勤めている侍女なのだろう、と見当をつける。


 うち一人が前に進み出て、「ご用がございましたら、何なりとお申し付けください」と頭を下げた。


「ありがとう、今のところは大丈夫です」


 ソフィアは言って、隅の方の椅子に腰掛けると、用もないのに鏡を見てみた。


 いつもより化粧が濃い。

 モリーが一生懸命施してくれたのだが、似合っているのかどうかは分からない。

 それから肩掛けを外して背中を鏡に映してみる。

 特に異常はないようだ。やはり寒く見えただけなのだろう。

 ミランダやオーネリーのように胸が大きければこんなに貧相には見えないだろうに、ソフィアがドレスを着ると、どうもドレスに着られてしまっているように見えてしまう気がする。


 ミシェルも色々と新しい工夫を凝らしてドレスを作ってくれるが、着る人間の体型が残念過ぎるのだ。背は低いし、女性らしい丸みもない。唯一褒められるのは腰の括れだが、胸の出っ張りがないせいで、ただ貧相なだけ。

 侯爵には、見栄えが悪いからもっと食事を摂るように言われるが、沢山食べようとすると気分が悪くなり、結局吐き出してしまう。料理人に悪くて無理に食べることはやめた。

 ならば、とモリーは甘い菓子を勧めてくれたのだが、少しなら美味しいお菓子も沢山は食べられない。代わりにモリーを始め数人の使用人の体重が増えてしまい、屋敷の菓子職人を怒らせてしまった。


 侯爵の態度が冷たいのは、この体型のせいもあるのだろう、とソフィアは一向に成長しない胸をドレスの上から撫でた。


「ソフィアお嬢様、お茶はいかがですか?」


 振り返ると、年嵩の大柄な侍女がお茶の盆を持って立っていた。


「カレン! 貴女、王宮で働いていたのね」


 昔、屋敷にいた使用人の顔に、ソフィアは思わずはしゃいだ声を上げてしまう。

 モリーの前にソフィアの世話係だったカレンがそこにいた。ソフィアが8歳の時にワイズリー家を辞めさせられ、それ以来の再会だった。


「はい。可愛いお嬢様がこんなにもお美しくなられて」


 お茶の盆をソフィアの前に置くと、カレンはソフィアに向けて10年前と変わらない笑顔を見せた。

 懐かしさのあまり、ソフィアの頬を涙が伝う。


「まあまあ。お嬢様、いけませんよ、淑女が泣いては」


 言いながらカレンは化粧直し用のコットンを手に取り、ソフィアの頬を拭く。


「だって、嬉しくて」


 ついつい甘えてしまう声も涙声で、カレンは、仕方ないお嬢様ですねえ、と呆れながら化粧直しをしていく。が、その手が不意に止まり、ソフィアがどうしたのかと問う前に、カレンは尻餅をついた。


「カレン? 大丈夫?」


「お、お嬢様、この肩掛けは……?」


「これ? ウォーレン殿下が、寒いだろうって、貸してくださったの。お優しい方で、びっくりしたわ。……カレン?」


 固まってしまった元・使用人に不安になっていると、後ろから複数の女性の黄色い悲鳴が上がる。


「な、何?」


 何か失敗してしまったのだろうかと、ソフィアはカレンの腕を掴んだ。ここでは唯一の知り合いである。


「ウォーレン殿下から、直接でございますか?」


「え、ええ。あと、クリスさんにも」


「侍従長が!?」


「カレンさん‼ ついにウォーレン殿下が!」


 部屋に控えていた侍女達が、あっという間にカレンを囲み、ついでに側にいたソフィアも輪の中心になってしまった。


 皆、何かギラギラした目でこちらを見ているが、ソフィアに害意はないようだ。ただ、上から下まで舐めるように観察してくる視線が辛くてソフィアは俯く。カレンの腕は掴んだままだ。


「では、ソフィアお嬢様、お化粧をお直しいたしましょう」


 カレンはソフィアを見てにっこり笑う。その顔に、先ほどクリスが見せた笑みと同じ強さを感じて、ソフィアは思わず身を引くが、今度はカレンがソフィアの両肩を押さえつける。左右を見ると、カレンと同じ服の侍女達が手に化粧道具を持ってにっこりと笑っている。

 ソフィアは逃げられないことを悟る。


 ――王宮に勤めると、皆、こんなに押しが強くなるものなのかしら。王族の方は大変ね。


 ソフィアは大人しく化粧を直され、この部屋に入る前より綺麗になってから、退室を許された。


 オーネリーが少しでもウォーレンと話せるようにと席を外したのだが、会場を出た時よりも疲れてしまって、カレンとの再会は嬉しかったのに、何故か泣きたくなってしまった。

 せっかく皆がしてくれた化粧が崩れてしまうのは悪いので、ソフィアはぐっと堪えて、会場へ入る。


 緩やかな調子のワルツが奏でられていて、数組の男女が楽しげに踊っている。

 ウォーレン達のいる場所はすぐに分かった。そこだけ取り巻く人が多いのだ。

 ソフィアは会場を見回してクリスを探す。


 視界を遮るように現れた男性の靴を避けようとすると、「ご令嬢」と呼び止められる。


 見知らぬ男性だったため、ソフィアは礼儀に則り、目礼に止める。


「モラン伯爵家、アーノルド・モランと申します。次の曲、私のお相手をお願いできますか?」


 アーノルド・モランは、確か次期伯爵だったはず、と貴族名簿を思い出す。モリーが要注意人物として、名前を挙げていたはずだ。


 ソフィアは首を横に振るとドレスの裾を軽く摘まんで礼をして、その場を逃げ出す。

 アーノルド・モランは女性との火遊びが好きな男性だから、近付くな、というモリーの命令は遂行出来た。ほっとしてクリス探しに戻ろうとする。が、またしても知らない男性からの呼び掛けに足を止められてしまった。

 首を横に振り断る。

 それが呼び水になったのか、数歩進んでは足を止めることになってしまった。


 誘う側は気楽かもしれないが、断る側は申し訳なさで一杯になってしまうからこう次々来ないで欲しい。クリスを探しながらソフィアはもう帰りたくなって本気で泣きそうになってきた。


「ソフィア嬢、貴女をダンスにお誘いしてもよろしいかな?」


 名前を呼ばれて、ぱっと振り返った。


「お祖父様!」


 大好きな祖父だった。思わず、ソフィアは自分から祖父の手を取っていた。


「お会いしとうございました。いつ、会場へ?」


「先ほどな。仕事で遅くなってしまった。悪かった」


「いいえ」


 泣きそうになっていたことも忘れて、ソフィアはにこにこと祖父の顔を見上げる。


 祖父、グレゴリー・ノリスは、将軍職に就いていたこともある軍人で、今は近衛兵の剣術指南役を務めている。

 ウォーレンほどではないが、堂々とした体躯の持ち主であるソフィアの祖父は、今日は軍の正装に身を包んでいた。胸元を飾る勲章の数々が、祖父の偉大さを示しているようで、ソフィアはそれも嬉しくてたまらない。


「誰かを探していたのか? 随分うろうろしていたが」


「お恥ずかしいですわ。クリスさんというウォーレン殿下の侍従の方を探していたのです。会場に戻ったら一番に声を掛けるように言われていて」


「ほう? ならば、向こうに見つけてもらうことにするのはどうかな、お姫様」


 ソフィアの手を引いて、祖父が会場の中央に進む。

 確かに踊ってくれると約束したが、何もこんなに目立つ場所を陣取らなくても、とソフィアは祖父に恨みがましい視線を送る。


「目立たなくては見つけてもらえないだろう? なに、見つかったら、すぐに抜けてしまえばいい」


 それはそれで余計目立つのでは、と思ったが、祖父がステップを踏み始めたので、合わせて動き出した。

 ウォーレンと踊った曲よりは緩やかな曲調で、これならお喋りも出来そう、とソフィアは安心する。


 そんなソフィアを見て、祖父はにこやかに話し掛けてきた。


「侯爵の話はあまり聞こえてこないか、最近はどうだ? うまくやっているのか?」


「はい、恙無く」


「そうか。相変わらずだな」


 ソフィアは微笑みを返す。

 おまり会話をすることはないけれど、出て行けとも言われていない。こうしてドレスを買うことも許されているし、オーネリーの母と上手くいっていない割には恵まれていると思う。


「侯爵も優しくしてくださいますし、屋敷の者にも助けてもらって何とかやっております」


「困ったことがあれば言いなさい」


 祖父の言葉に頷きながら、ソフィアは心が温かくなっていくのを感じる。

 モリーやミシェルが居てくれるが、どこかでまだ肉親の愛情というものに餓えていたのだろう。

 まだまだ子供なのだ、とソフィアは思う。18で、やっと社交界に出られるようになったのだから、もっとしっかりしなくては。


 曲が終わると同時に、ソフィアは肩を叩かれた。


「失礼いたします、ソフィア様。ウォーレン殿下がお呼びです」


 とても怖い顔をしたクリスが立っていた。手には、先ほど祖父が近くにいた別のウェイターに渡した肩掛けがある。


 クリスは笑顔だが、目が全く笑っておらず、どう見てもそれは激怒の表情であるのに、祖父はそれを見てにやにやしている。


「こちらへどうぞ」


 クリスはソフィアの肩に肩掛けを掛けると先に立って歩き出す。

 ソフィアは祖父の腕に軽く手を預けて、クリスの後ろに続いた。

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