初めての舞踏会4
オーネリーはソフィアと違い、華やかな顔立ちで社交的な性格をしている。お茶会などで何度も羨ましいと思っていたが、この時もまた、ソフィアはオーネリーを羨ましいと思った。
もしソフィアが今のオーネリーと同じ立場で、ウォーレンが踊った相手がオーネリーだったなら、こんな風に話し掛けられなかっただろう。
「ありがとう。ダンスは久しぶりでしたが、ソフィアが上手く合わせてくれましたので」
ウォーレンはオーネリーにそう答えてからソフィアに向き直り、にこりと笑う。何故かまだソフィアの手を握ったままだ。
それを見たオーネリーのこめかみが大きく波打つ。
「わたくし、ダンスは得意ですの。家庭教師には姉よりも褒められる回数は多いんですの。次の曲はわたくしをお誘いくださいませ、殿下」
必死になるせいで、印象が悪くなっていることに気付いていないのだろうか、とソフィアはオーネリーを見るが、どうやら気付いた様子はない。
オーネリーは好戦的なところがあり、お茶会で度々失敗しているのだが、まだ学んでいないらしい。そこさえなければ社交界の華になれる美貌はあるのに、とソフィアはとても残念に思う。
「ね、いかがですか、殿下」
今にもウォーレンの腕を掴んで躍りの輪に連れていきそうな勢いのオーネリーに対し、ウォーレンの方はちらりとそちらを見ただけでまたソフィアに視線を戻す。
そのウォーレンの表情から、もしや、とソフィアは思い、口を開いた。
「そんなにまくし立てては殿下がびっくりされるわ、オーネリー。続けて2曲も踊られたのですから、少し休ませて差し上げてはいかが?」
ソフィアの言葉に、ウォーレンが、ああ、と小さく呟いた。
やはり、ウォーレンはオーネリーの名前を覚えていなかったようだ。
オーネリーはそれには気付かなかったのか、ウォーレンの方へ身を乗り出した。豊かな胸がドレスから溢れそうになっているのは、わざと見せつけているのだろうか。
「あら、そうでしたわ。不慣れなお姉様をエスコートされたんですもの、殿下、とてもお疲れになられましたでしょう? 姉がご迷惑をおかけして申し訳ございません」
オーネリーの視線から、そこは私の座る場所よ、と読み取ったソフィアはウォーレンの目を真っ直ぐに見つめる。
「ウォーレン様、何か飲み物を頼んで参ります」
「ああ、それなら」
立ち上がろうとするのを、握られている手に少し力を入れて握り返して止められた。
「私一人で大丈夫です。オーネリー、貴女は赤葡萄酒で良かった?」
「どうしましょう。殿下は何をお飲みになられますの?」
オーネリーは可愛らしく首を傾げてウォーレンに尋ねるが、ウォーレンはソフィアの手を強く握って「俺は何もいらない」と呟き、ソフィアを見つめる。
ウォーレンはどうやらオーネリーがお気に召さないようだ。
二人きりにしてやらなければ、オーネリーをウォーレンのお気に入りにしたい侯爵の怒りを買ってしまうのは分かっているが、そうなると今度はウォーレンの怒りを買いそうだ。
困ったな、と時間稼ぎに少し目を伏せて思案するが、ウォーレンはソフィアの手を握る手に力を入れて、行くな、と訴えてくるし、オーネリーの顔はどんどん怖くなっていくし、ソフィアはまた泣きそうになった。
そこへ「娘達がお騒がせして申し訳ありません、殿下」と、オーネリーの母親が割って入ってきた。
「ウォーレン、また女性ばかり侍らせて」
「見境がないというか、羨ましいというか」
同時に、ヘイリー公爵家のミランダ嬢と、ソフィアの知らない若い男がやって来て、親しげにウォーレンの肩を叩く。
「ミランダにジョシュア。来ていたのか。ソフィア、俺の友人だ」
くだけた口調で二人を呼ぶウォーレンに、ソフィアはほっとする。
これならオーネリー達がいても問題ないだろう。オーネリーには気の毒だか、今日のところは二人きりの会話は諦めてもらうしかない。
ソフィアは立ち上がる。今度はウォーレンもソフィアの意図を汲み取って、手を離すと一緒に立ち上がってくれた。が、その手は軽くソフィアの腰に添えられている。恋人のようだ、と恥ずかしく思うが、ソフィアは公爵家のご令嬢への挨拶を優先させた。
「ご無沙汰しております、ミランダ様。お初にお目にかかります、ジョシュア様。ソフィア・ワイズリーと申します」
ミランダが覚えているかどうか分からないが、ミランダとは昨年一度、ヘイリー公爵夫人主催の食事会で顔を合わせている。
ジョシュアの方の素性はさっぱり分からないが、公爵令嬢とも第二王子とも知り合いということは、丁寧に対応しておいたほうが良いだろう。
「ご丁寧にありがとう、ソフィア。でもジョシュアは気にしなくて良いわ。
それよりも、会うのは昨年の食事会ぶりね。貴女もう18なのにこういう場所に出て来ないから、どうしたのかと思っていたのよ。会わせたい人が沢山いるって言っていたでしょう?」
わざわざソフィアの手を手を取ると、ミランダは一気にまくし立てた。オーネリーよりも早口だ。
「お心遣い、ありがとうございます、ミランダ様。私もミランダ様に色々とご教授いただければ心強うございます。今後とも、よしなに。
遅くなりましたが、ミランダ様とジョシュア様にご紹介いたしますわ。母と妹のオーネリーでございます」
ソフィアは言って振り返った。一瞬目が合ったオーネリーの母親がひどく睨んできたが、どう考えても紹介しないわけにはいかないのだ。
オーネリーも母も、ミランダとは初対面のはず。爵位を持つ人間は、ダンスに誘う時以外は、顔見知りからの紹介がない限り会話しないというのが社交界の暗黙のルールだ。
「オーネリーでございます」
「プリシア・ワイズリーでございます。以後、お見知りおきください」
「初めまして、オーネリー嬢、プリシア様。ミランダです」
ミランダは軽く笑みを浮かべるだけで、頭は下げない。
この令嬢はヘイリー公爵家の一人娘で、将来は爵位を継いで、王国初の女公爵になるのでは、と噂されている。やはり公爵となる方は威厳が違う、とソフィアは心底敬服する。
ワイズリー家も娘しかいないが、侯爵はソフィアかオーネリーの夫を次の侯爵にすると考えているようで、ソフィアもオーネリーも侯爵としての仕事は教わっていなかった。
もしこれで運良くオーネリーがウォーレンの妃となったら、ソフィアは将来、侯爵夫人になるのだろうが、ソフィアは侯爵夫人としての仕事もよく知らない。
侯爵に聞いておいたほうが良いかもしれない。
「ジョシュア、最近、調子はどうだ?」
ウォーレンがジョシュアに水を向けた。
「まだまだ、全然慣れないよ。ダンスではミランダの足を踏んで怒られるし、領地の運営には触らせてもらえないし」
「あら、視察には連れて行ってあげたじゃない」
「あんなの! ただの荷物持ちだよ。きみの買い物をしている間に、きみはどっか行くし、見て回る時間なんてどこにもなかったじゃないか」
相当大変だったのか、ジョシュアは猛烈な勢いで喋り始めてしまう。
その様子から、どうやら、ジョシュアはミランダの婚約者候補として、ミランダと一緒にいるのかもしれない、とソフィアは思う。
背の高いミランダと並ぶと、ジョシュアの方が少しばかり背は低いかもしれないが、ジョシュアはまだ若そうだし、これから伸びるかもしれない。顔は女の子のように可愛らしいから、結構な美男子になるだろう。
「おいおい、あまり泣き言ばかり言うなよ。紹介した俺の立つ瀬がないだろうが」
「でも」
少し甘えた雰囲気で、ジョシュアは澄ました顔のミランダを見る。
ジョシュアはオーネリーと同じ、16歳ぐらいだろうか。
ソフィアは少しぐらいなら、許されるだろうかと、口を開いた。
「ヘイリー公爵様のご領地ですと、エメラルドの産地として有名でございましたね。ミランダ様のペンダント、エメラルドでございましょう? ミランダ様のお髪の色に良く映えますわ」
「そうなんだよ、このペンダント、職人泣かせでね、エメラルドはカットが凄く難しいのに、ミランダは形が悪いの光り方が鈍いのって」
ジョシュアは夢中で喋り出してしまう。
ウォーレンが、ぷっと吹き出した。
「ジョシュア、せっかくソフィアが知識の披露の場を提供してくれたのに、自分で潰すなよ」
「え、そうだったの? ごめん、気付かなかった」
「だからジョシュアは気にしなくて良いと言ったのよ、本当にどうしようもないんだから」
辛辣な言葉だが、ミランダの表情は柔かく、姉や母親のようにジョシュアを愛しているのだろうな、とソフィアにも伝わってくる。
「お姉様、殿下にお飲み物をお持ちするのではなかったの?」
オーネリーが尖った声で割って入ってきた。待ちきれなくなってしまったようだ。ミランダがうまく取りなしてくれるといいけれど、とソフィアはウォーレンとミランダに会釈すると、その場を離れようとする。
が、不意に腕を引っ張られて、ソフィアは「ひゃっ」と声を上げて座り込んでしまった。しかもウォーレンの膝の上に、だ。
「あ、あの、え?」
ソフィアの腕を引っ張ったのはウォーレンで、ソファの上でしっかりとソフィアの体を抱き止めているのもウォーレンだった。
「ウォーレン、何やってるのよ! こんな場所でソフィアに恥をかかせる気?」
ウォーレン以外、全員が息を飲む中、いち早く立ち直ったのは、やはりミランダだった。
「すまない、つい、な」
言って、ウォーレンはソフィアにだけ聞こえる声で「すぐに戻って来い。シシリィ湖の話を聞きたい」と囁いた。
ソフィアは小さく頷いた。
元々、話をするために躍りの輪を抜けてきたので、ソフィアに異存はない。
問題があるとすれば、オーネリーとプリシアだ。
ソフィアが戻って来るまでに全員が和やかに話せる雰囲気になっていればいいのに、とあり得ないことを夢想しながら、ソフィアはその場から離れた。