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初めての舞踏会3

 照明の眩しさに目を伏せたソフィアから、ウォーレンは手ずから肩掛けをそっと外すと、さりげなく近づいてきたウェイター姿の男に渡す。

 そのウェイターの顔をソフィアは覚えていた。王族との挨拶の間で、ウォーレンの後ろで気配を消していた人物。恐らくはウォーレン王子の使用人。他に控えていた使用人達は皆女性だったため、目についたのだ。


 楽隊が、指揮者に合わせて音を奏で始めた。華やかでテンポの速いこの曲は、若い貴族達の間で好まれる曲の一つ。


 この舞踏会はまだ結婚も婚約もしていないウォーレン王子のために開かれるのではないかと噂されているのですよ、とモリーの声がソフィアの頭の中で響く。


 今夜の舞踏会、最初の曲は国王陛下夫妻と、王太子殿下夫妻が躍り、2曲目は伯爵家以上の者達が踊った。その時、ソフィアは声を掛けてくれたショーンと躍り、ウォーレンはオーネリー達と会話をしていた。次の曲からは爵位に関係なく参加出来るが、ソフィアは外へ出て、曲が変わる前にウォーレンがやって来たから、今夜のウォーレン王子はソフィアが最初のパートナーのはずだ。


 今夜最も注目されている人物の登場に、会場がざわめくのを感じた。

 注目されることに慣れていないソフィアの足が緊張ですくむ。


「ソフィア」


 顔を上げると、ウォーレンが笑みを浮かべてソフィアを見下ろしていた。手袋越しに触れている手と同じ柔らかな熱を、惜しみなく溢れさせている青い瞳。


「行こう」


 短く、けれど力強く告げられ、ソフィアはごく自然に頷き、強張った手から力を抜いた。

 ウォーレンに促されるままに踊りの輪に進み出る。ウォーレンの顔を見上げ、身を任せて躍り出した。


 ウォーレンのリードは巧みで、『足を踏まない程度』を遥かに越えていた。普段は剣と馬を自在に操っているであろう腕は、ソフィアの動きを見事に制御して、一流の躍り手にしてしまった。

 揺るぎのないリードに身を任せてステップを踏みながら、ソフィアはウォーレンの瞳の青さに見入っていた。まるで吸い込まれるような色。オーネリーの母が自慢する蒼玉のペンダントよりも澄んだ青に、ソフィアは自分が溺れてしまったかのように息苦しさを覚える。

 その胸の苦しみが引き金になったのか、急に昔を思い出してしまった。


「やっと笑ったな」


 ウォーレンがソフィアを見て微笑んでいることに気付いて、ソフィアは小さく、あ、と声を上げた。ウォーレンが苦笑する。


「何を考えていた?」


 ウォーレンがソフィアの体を強く引き寄せて囁く。

 会話を他に聞かれないためなのだろう。そんな話をするつもりもないのだが、とソフィアはウォーレンを見上げて、同じように笑みを浮かべた。


「ウォーレン様の瞳の色は、シシリィ湖の深いところの色と同じ色だと思ってしまったのです」


「シシリィ湖? エイベル領だったか。かなり大きな湖だったな?」


「はい。祖父は昔、エイベル子爵と釣り仲間で、私は幼い頃に祖父達の釣り船に乗せてもらったことがあるのです」


「深いところ、というのは?」


「私が船から落ちて溺れたことがあって、その時に思ったのです。この青さに抱いだかれて死ぬのなら、怖くない、と。本当に、自分が魚でないことが悔しくなるくらい、目の覚めるような美しい世界だったのです」


 言い切ってウォーレンを見上げたソフィアは、呆気に取られたようにこちらを見つめ返す表情を見つけ、己の失敗に気付いた。


 ――喋り過ぎてしまった!


 幼い頃の話とはいえ、ソフィアのあまりに愚かしい言動に呆れてしまったに違いない。

 ウォーレンの気さくさに、つい親しい友人にするようなくだけた話をしてしまった。

 ソフィアだけが馬鹿だと思ってもらえればまだ良いが、侯爵家は馬鹿だと思われてしまったら!


 ソフィアの目に涙が浮かぶ。

 侯爵から、オーネリーから、どんな言葉を投げられることか。


「ソフィア」


 ウォーレンが掠れた声で呼び、足を止めた。ソフィアの足も止まり、二人は会場の真ん中で手を取り合ったまま、見つめ合う。


「ウォーレン様、申し訳あ」


 ウォーレンの、手袋に包まれた手がソフィアの片頬を包み、ソフィアは言葉を失った。

 ウォーレンはソフィアの反対側の頬に、自分の頬を擦り寄せるようにして、ソフィアの耳に囁く。


「お前が無事で良かった」


 ウォーレンの唇が頬に軽く触れる。

 ソフィアが目を見開くのと同時に会場内に女性達の悲鳴が響き渡る。

 だが、当の本人は気にもせずにソフィアの腰を引き寄せた。


「もう1曲、いいか、ソフィア?」 


 言われて、楽の音がしていないことに気付いた。

 ウォーレンが動きを止めたのは呆れ果てたのではなく、曲の終わりだったのだ。

 どうやら、まだ自分は失敗していないようだ。

 ソフィアは安堵のあまり内心、泣きそうになったが、表面上は笑顔で「はい、ウォーレン様」と軽く膝を落としてから、手を組み直した。


 それを待っていたかのように、楽隊が演奏を始めた。前の曲よりも軽やかな曲調に、ウォーレンはソフィアを思う存分舞わせる。


「ソフィアはダンスが上手いな」


「ウォーレン様がお上手だからですわ」


「いや、それは違うぞ」


 ウォーレンがソフィアの体を持ち上げて、くるりと回転する。会場中のどのカップルよりも華やかなターンを決めながらウォーレンは余裕で微笑んでいる。並みの男性なら、微笑む余裕などないだろう。それほどまでに、ウォーレンはソフィアの体重のほとんどをソフィアの背中に回している腕で支えていた。

 ソフィアは今夜、最も軽やかに舞う躍り手になっていた。


「ソフィアが俺を受け入れてくれたからだ。お前が相手でなければ、こんな風に踊れなかった」


 ソフィアが小柄で、扱いやすいということだろう、とソフィアは思う。そういえば、家庭教師にも、ソフィアはダンスパートナーとして天賦の才があると言われたことがあった。ダンスの技量は褒められなかったけれど。

 男性にとって、パートナーにしやすい体格なのかもしれない。


「出逢えて、良かった」


 ソフィアにだけ聞こえるように囁かれた言葉に、ソフィアも笑みを返す。


「私もウォーレン様に出逢えたこと、嬉しく思います。こんなに楽しいダンス、初めて」


 ウォーレンはソフィアを見て頷くと、何か思い出したようにしかめ面になった。


「ソフィア、俺以外の男に誘われても断るんだぞ」


「え?」


 突然のことに、戸惑う。


「お前のダンスは男をその気にさせてしまうから、俺以外の相手をしては駄目だ」


 ウォーレンの表情を見る限り、どうも本気らしい。

 ソフィアは困ってしまう。

 付き合い上、断れない相手もかなり多いのだ。公爵家や、他の王族、取引先の商人達。関係を悪化させないために舞踏会での社交が必要なこともある。


 ダンスが前哨戦と言ったウォーレンだから、そんなこと、分かっているはずなのに。


「父の関係者からのお誘いはお断り出来ませんが、可能な限り、ウォーレン様の御心のままに」


 ソフィアの答えに、ウォーレンは顔をしかめたまま、不承不承頷く。


「今はそれで我慢することにしよう」


 子供のような仕草に、ソフィアは微笑む。


 ――本当に気さくでお優しい方。私が楽しめるようにこんなに気を遣ってくださるなんて。


「もう少し話を聞きたい。いいか?」


 曲が終わると、ウォーレンはソフィアの手を握ったまま尋ねる。


「はい、ウォーレン様」


 ソフィアが頷くと、ウォーレンはソフィアを抱えるようにして壁際に移動する。二人掛けのソファにソフィアを座らせ、自分もその隣に腰を下ろすと、ソフィアの方へ身を寄せる。


「殿下! ソフィアお姉様!」


 ドレスの裾を小さくつまみ上げ、オーネリーが小走りにやって来た。


「殿下、素晴らしいダンスでしたわ!」


 どこか必死な形相のオーネリーに、ソフィアは不安になってウォーレンを見る。

 ウォーレンは眉間に皺を寄せてオーネリーを見ていたが、ソフィアの手を握る右手と、ソフィアの体を抱き抱えるように腰に回した左手を離すつもりはなさそうだ。

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