王宮での生活4
朝、ソフィアはぱちりと目を覚ました。
昔から目覚めは良いので、いつも通りだろう。
ベッドの上でうん、と伸びをして起き上がる。
見覚えのない部屋に、少し考えてここが王宮内の客室であることを思い出した。
着ている寝間着も見たことのない上等なものだし、着替えはどうしよう、ととりあえずベッドから出てみる。カーテンを少しだけ開けて外を見る。まだ太陽が顔を出したばかりの時間らしく、柔らかい日差しが庭の草木に乗る朝露を光らせている。
――お散歩に行きたいけど、勝手に出たら怒られるかしら。
それ以前に着替えがないので、庭どころか部屋の外にも出られないのだが。
ソフィアはカーテンを開けると、部屋に光を入れる。
衣装箪笥があったので開けてみたが、中身は空だった。
着替えは貸してもらえるだろうか。
侯爵家から届けてもらったほうが良いだろうか。昨日の手紙でお願いしておけば良かった。
途方に暮れてベッドに腰掛ける。
そうしていると段々と不安になってきて、涙がぽろぽろと溢れた。
嗚咽を堪えているソフィアの耳が、コツン、という音を拾う。
驚いて窓を見た。
コツン、とまた音がする。
窓に近付いて外を見ると、ウォーレンが窓の下に立っていた。
部屋は二階にあるので、ウォーレンは小石を窓枠に当てていたらしい。
ソフィアが慌てて窓を開けると、ウォーレンが手を振り、そして一瞬見えなくなった。
ソフィアが身を乗りだそうとしたところへ、ウォーレンが顔を出した。腕の力だけで出窓の縁に上がり腰掛ける。
「おはよう。よく眠れたか?」
「はい」
ソフィアは頷きながら、カーテンを体に巻き付けて目から上だけでウォーレンに挨拶した。
「おはようございます、ウォーレン様」
「何で隠れているんだ?」
「あの、まだ着替えが」
恥ずかしくて、出来るなら消えてしまいたい。
「気にするな、そんなもの。それより、さっき泣いていただろう。何かあったのか?」
ウォーレンが手を伸ばして、ソフィアの目元を優しく拭う。
「いえ、あの、何でもないのです」
ウォーレンに触れられるとどきどきとして、ウォーレンのこと以外何も考えられなくなってしまう。
「何でもないのに涙が出るわけないだろう、ソフィア」
「あの、あの、ウォーレン様はどうして外に?」
「俺か? 俺は剣の朝稽古だ」
「お早いんですね」
「ああ、まあな」
と、にわかに外がうるさくなった。見下ろしたウォーレンが、おお、と驚く。
「逢瀬の時間は短いものだな。後で会いに行く。それまでには泣きやんでいてくれよ」
ウォーレンはソフィアの額に音を立ててキスをすると、ひょいと飛び降りた。
下を覗き込むと、ウォーレンは笑顔でこちらに手を振り、何かを捲し立てているクリスや、困り顔でそれを取り巻く衛兵達と共に去って行く。途中、一度だけこちらを振り返って、軽く手を上げてくれたので、ソフィアも手を振り返す。
二階からでも平気な顔で飛び降りてしまった。昨日のダンスでは顔色一つ変えずにソフィアを持ち上げてしまったし、やはりウォーレンは軍人なのだとソフィアは思う。
ソフィアの見たことのない世界を見て、その世界で戦い、そして勝利してきた人なのだ。
プリシアの言ったとおりだ。ソフィアでは釣り合いが取れない。オーネリーでも釣り合うとは思えないが。
プリシアは事あるごとにソフィアの素行の悪さを責め、早くどこかの商家の妾になれば良いと言うのだが、侯爵は出来るなら侯爵家に益のある貴族と縁を結びたがっていたため、ソフィアの縁談は全く進んでいないようだった。
一度だけ、侯爵はソフィアに希望を訊いた。
嫁ぐなら、どんな人物が良いのか、と。
ソフィアは一生懸命考えて「よく笑う方が良いです」と答え、侯爵を絶句させてしまった。
今思えば、あれは家柄とか職業とか、社会的なことを訊ねたのだと分かるが、あの時のソフィアは、単に自分の好みを訊かれたのだと勘違いしていたのだ。
穴があったら入りたい。
とにかく、そういうことで、侯爵はソフィアに訊くことを止めてしまった。
こういうところが、侯爵家の娘に相応しくないとプリシアに言わせてしまうのだろう。
ソフィアがミランダのように、付け入る隙のない淑女であれば、プリシアだってあのようにあからさまに侮ったりしないはずなのだ。
ソフィアは大きなため息をついた。