王宮での生活3
ウォーレンは自分の髪をくしゃりと掻き上げると、疲れた顔で微笑む。
「ウォーレン様、あの、申し訳ありません」
ウォーレンが何を悩んでいるのかは分からないまでも、どうやら原因は自分らしいと判断したソフィアは謝ることにした。
「いや、おまえは悪くない。それは、分かっているんだ。分かっているんだが」
ソフィアにはさっぱり分からない。
ウォーレンは一度強くソフィアを抱き締めた。ソフィアの耳に「愛してる」と、小さな声が届く。
その声に答えたい、と思うものの、どうしていいか分からないソフィアは困ってしまう。
何かをしなくては、と思うのに、何をすればウォーレンの苦悩を取り除けるのか分からない。分からないのに、自分の体がもどかしくて、腹の中から何かが飛び出しそうだ。
ソフィアはウォーレンの背中に手を回すと、掌でその体温を測るように添えた。びくりとウォーレンが体を揺らした。ソフィアは少し戸惑うが、ウォーレンがじっとしているので、ソフィアもじっとしていた。
「婚約式までは窮屈な思いをさせるが、ここにいてくれ。毎日必ず会いに来る」
ソフィアは頷く。
「今日は疲れただろうから、もう休め。続きはまた明日にしよう」
何の続きかは分からないが、ソフィアは頷いた。
ウォーレンはしばらく動かなかったが、やがてそろり、とソフィアを解放した。ソフィアの唇に、押し付けるだけのキスをして、ウォーレンは部屋を出ていった。
おやすみなさいの挨拶をし忘れた、とソフィアは扉が閉まってから気付いた。
追い掛けたほうが良いだろうか、と思ったが、この部屋を出て良いとは言われていない。
ソフィアはふぅ、と息をついてソファに腰を下ろした。
何だか分からないが、疲れた。分からないから疲れたのか。
まさか外泊するとは思っていなかったからソフィアは家の者に何も言って来なかったし、モリーや侍従夫妻は部屋の仕度をして待っているかもしれない。悪いことをした。
侯爵にはどのような話が入っているのだろうか。
誰かは何かを言っておいてくれるだろうけど、ソフィアからも伝えておいたほうが良いだろうか。
ソフィアは机に移動すると、引き出しを開けた。便箋と封筒がある。
まず、侍従長宛に、侍従夫妻への伝言を頼む手紙。
モリーへの手紙には、ウォーレンの意向でしばらく屋敷に戻れないが元気でいるから心配しないようにと簡単に書いて、ミシェルにドレスの礼を伝えてくれるように頼む。
そして、侯爵への手紙。
ソフィアは悩んで、だが、ありのままに書くことにした。
全て書き終え、封筒に入れたが、封をする糊も蝋もない。これは頼むしかなさそうだ。元々、届けてくれるように頼まなくてはならないし、これぐらい甘えても問題にはならないだろう。
ソフィアは部屋を見回して、窓の側に呼び鈴に繋がっていると思われる飾り紐を見付けた。引っ張ってみる。扉がノックされたので、「どうぞ」と答える。
身仕度を整えてくれた侍女の一人、クリスからジーナと呼ばれていた女性が入ってきた。
「お呼びでしょうか」
ジーナは静かに頭を下げた。
「あの、お手数ですが、これを侯爵家に届けていただきたいのですが」
「かしこまりました」
ジーナは恭しく受け取ると、ソフィア様、と声を掛けた。
「はい」
「わたくしどもに敬語は不要にございます」
「あ、ごめんなさい」
「お休みになられるのでしたら、お着替えをさせていたただきますが」
「はい、あ、では、お願いします」
「……かしこまりました」
お願いします、は敬語に入るのかもしれない、と気付いたのは、ジーナが用意のために一度部屋を出た後だった。
またやってしまった。
どうしよう、侯爵家の娘が馬鹿だと思われたら侯爵の立場がない。ただでさえプリシアがウォーレンの不興を買ってしまったのだから、どこかで挽回しなくてはいけないのに、ウォーレンの前でもカレンの前でも泣いてしまうし、侯爵家はまともな人間がいないと思われてしまう。
おろおろしながら部屋にいると、ジーナがカレンを伴ってやって来た。
二人に促されて寝室へ入る。
化粧を落としてもらい、ドレスとコルセットを脱ぐと、疲れがどっと押し寄せてきた。
うつらうつらしていると、カレンが手を引いてベッドへ導く。
「待ってカレン、本を片付けてないの」
しかし、もう目の前も見えない。
「はいはい、大丈夫ですよ。私が片付けておきますからね。お嬢様はお休みください」
「ごめんなさい、カレン、ジーナ。私、情けなくて、侯爵様にも何てお詫びすればいいか分からなくて、オーネリーもプリシア様もとても怖いの、きっとたくさん怒られて」
「大丈夫です、大丈夫ですからね。早く寝ましょう」
横になりながら、ソフィアはカレンの手をしっかりと握ったつもりだったが、それは実際、ジーナの手だった。
カレンは思わず吹き出しそうになって、顔を背ける。
ジーナはウォーレン付きの侍女なので、ご令嬢に甘えられて手を握られた経験はない。今も掴まれた手をどうして良いか分からないようで、硬直している。
「あのね、カレン。色々あったのよ、本当に、色々。でもね、貴女が元気そうで」
ご令嬢はまだ何か言っていたが、あまりにも不明瞭で、よく分からなくなってきたので、カレンは笑いを堪えながらその手を掛布の中に入れてやる。
ソフィアの口元が柔らかい笑みの形を作り、すぐに規則正しい寝息が聞こえてきた。
二人の侍女は顔を見合わせ頷き合うと、音を立てないように細心の注意を払いながら、部屋を出て行った。