風と共に、5
ウォーレンが立ち上がった。
「よし、それでこそ男だ! 縄切って木剣渡してやりな」
ローズが言うと、ウォーレンの近くにいた村人がウォーレンを縛っていた縄を切る。別の村人が木でできた重そうな剣をウォーレンに渡した。
ローズは満足そうにそれを見てから、自分も同じような剣を手にして、片手で軽々と振り回した。
おかしい。ローズは男爵家の元ご令嬢。美しさで国王にまで求婚されかけていたというのに。
これではまるで山賊の頭のようではないか。
「かかってきな!」
いくら何でも勇まし過ぎる。祖父も何故止めない。
ソフィアの前で、二人は激しく打ち合いを始めた。ローズは確かに女性としては大柄かもしれないが、それでもウォーレンよりはかなり小さい。なのに、ローズはいとも簡単にウォーレンの剣を弾き飛ばして、その喉元に剣先を突き付けた。村人から喝采が上がる。
「てんで話にならないよ、王子さま。そんな弱い男に私の娘はやれないね。娘のほうがよっぽど強いよ」
絶対にそんなことはありません!
喉まで出掛かった言葉を飲み込んだ。
ローズの娘はソフィアだけではないかもしれない。こちらで再婚したと聞いたから、その人との間に生まれた娘のことかもしれない。
しかし、何がどうしてこうなっているのか。
ソフィアは勇気を振り絞って、一番近くにいた女性に声を掛けた。
「すみません、ノラン村の方ですか? これは一体、どういう状況なのですか?」
「ああ、あの大男が、ローズさんを拐かそうとして、反対にのされたところだよ。いや、ローズさんを拐かすのは王様の軍隊動かしたって無理だと思うけどねえ」
ウォーレンが何故ローズを拐うのか、目的が見えない。
「姫、どういう状況ですか?」
「どうも王子が母を拐おうとして返り討ちに合ったようなのですが、私にもちょっと」
「私、少し分かる気がします。とりあえず、姫のお話をローズ様が聞く状況を作りますね」
ソフィアが聞き返す間もなく、リサがフードを被り、口許を隠した。黒ずくめの服はこの朝日の中でよく目立つ。そのまま人垣をするすると走り抜け跳躍すると、ローズ目掛けて武器を降り下ろした。
悲鳴を上げる暇もない。ウォーレンも目を見開いているだけだった。
ローズの剣と、リサの持っていた棒がぶつかる。リサの武器はとても長い棒のような物で、先に刃がついている。槍に似ているが、槍よりも短く、刃も槍のように両刃でなく、片刃で、独特な形をしていた。初めて見る武器だ。ローズにとってもそうかもしれない。
二人は無言で攻防を繰り広げていたが、徐々にローズが打ち込まれる回数が増えていき、ついにローズの剣が弾き飛ばされた。片手を押さえて膝をついたローズがリサを睨み付ける。リサの武器はそのローズの喉元に刃を突きつける手前で半円を描き、リサを後ろから切りつけようとしていた祖父の首筋に傷をつける手前で動きが止まった。
「ソフィア姫!」
リサがその姿勢のまま、声を張り上げる。ソフィアの前の人垣が割れ、ソフィアは前に進み出た。
「リサ様、ありがとうございます」
ソフィアが言うと、リサが武器を引き、ソフィアの前に膝をついて、頭を下げた。
今のリサはソフィアの護衛になりきるつもりらしい。
「お祖父様、剣を引いてくださいませ。この方は森の中で迷っていた私を助けてくださった、エカテリア帝国の方です」
「これは、失礼いたしました」
祖父が言って剣を鞘に戻す。ソフィアは息を吐いた。これでまともに皆と話が出来る。
「お母様、ご無沙汰しております。ソフィアでございます」
ソフィアはドレスを広げて礼をした。顔を上げ、母を見る。
赤い髪。緑の瞳。肖像画では儚く美しく描かれていた母だったが、目の前にいる女性はどことなくリサと同じ空気を持った、しなやかな強さで大地に根差した大輪のバラの花。肖像画に描かれた時から20年近くは経過しているはずだが、今の方が若々しく見えるのは何故だろう。
「ソフィア」
ローズが茫然と名前を呼び、それから飛び付いてきた。
「こんな綺麗なお姫様になって! 本当にソフィアなの?! 会えるなんて夢みたい!」
言いながらソフィアの頬をつねったり引っ張ったり、髪を掴んだりしてくる。
かなり乱暴だ。
「ローズ殿、ソフィアが戸惑っているので、そろそろ離してやってもらえないでしょうか?」
遠慮がちに声を掛けてくれたのはウォーレンだった。
「なんだい、ケチ臭いねえ! ま、いいわ。ソフィア、ノラン村にようこそ! 大変だったね。でも、ここに来たからにはもう大丈夫! ここの連中の剣は私が一から仕込んだからね! ヘイリー公爵だろうが、ワイズリー侯爵だろうが、追っ払ってあげるよ」
両手を腰に当てて、嬉しそうに言ってくれるが、本当にやりそうで怖い。出来れば穏便に解決したいし、この人が王家に入らなくて本当に良かった。こんな血の気の多い人には、怖くて政治など任せられない。
「お気持ちだけ、ありがとうございます。殿下がこちらにおられるということは、ヘイリー公爵家は既に脅威というわけではないのでしょう?」
「ああ。ヘイリー公爵は領地を返上し、既にない。ミランダ・ヘイリーは牢に入れられた」
ウォーレンが答えると、ローズが首を傾げる。
「ん? ソフィアが何かやらかして、私の所に逃げてくるから、私を人質にして王都に連れて行って、ソフィアを捕まえようって話じゃないの、父さん」
「全く違う。だから、あれほど大人しく話を聞けと言ったのに! いきなり抜剣する奴があるか!」
目の前で祖父がローズの頭の上に拳骨を降り下ろした。ローズは頭を押さえてうずくまる。
「いったーい! ちょっと! 娘殴る父親なんて最低よ!」
「何が最低だ! 自国の王族に剣を振るう娘よりはマシだ!」
どっちもどっちだと誰か止めてくれないか、と辺りを見回す。
「何だ、またローズさんの早とちりかよー。一大事かと思って火事ガキ共に任せてきちまったよ。誰か手伝ってくれ!」
「人騒がせなんだから」
「どおりでエドさんが来ないわけだ」
「こんなことなら先にエドさんに話を聞いとくんだった」
なんと村人達が帰り始めている。
こんな小さな村に王族がいるというのに、もてなす気はないのか、それともその対応はローズに任されているのか。任せるにしては人選の失敗だと思う。
「あの、お祖父様、お母様、殿下から都の状況などのお話をお伺いしたいのですが、場所を移せませんか?」
何だかちょっと辛くなってきた。
とりあえず、火事は家が二軒犠牲になったが村人に被害はなく、ソフィアは無傷で、母にも、王子にも無事に会えたということで、リサとはここで別れることになった。
帰り際に、年が明けて行われる結婚式に招待することを約束する。
「リサ様、本当にありがとうございました。感謝しきれません。今度は王都にゆっくり遊びにいらしてください」
「必ず参ります。ソフィア姫もどうかそれまでお元気で。お手紙を出します。お返事をください」
「もちろんですわ。本当にありがとう」
ぎゅっと手を握り合う。リサの手はウォーレンと同じで、あちこち硬くなっていたが、とても温かい。
何度も振り返りながら遠くなる馬を村の端から見送って、ソフィアはローズの暮らす家に入った。