風と共に、4
耳元で唸る風に目を閉じる。馬にしがみつくように体を伏せているため、馬の体温が感じられる。
ソフィアの体が落ちないように囲うように手綱を繰るリサの腕は細いが、決してか弱くはない。しなやかで力強い。それはリサの生き方そのもののようで、ソフィアを安心させると同時に嫉妬も感じさせる。
ソフィアもリサのように自在に馬に乗れたら。戦える力があれば。
「見えてきた!」
森の向こうに火が見えた。火事だ。小屋が燃えている。数人の男女がいる。隣の小屋を潰している。
リサが馬の足を止めた。
馬から降りるのに手を借りた。
「隣の家まで燃えてしまえば、火が際限なく広がってしまう可能性があります。村を守るためです」
「そうなのですね」
頭で分かっていても、納得するのは難しい。
リサとソフィアがそのまま足を進めて行くと、村人がこちらに気付いた。
畏まって頭を下げるべきか、それとも火事に対処すべきか、迷っているようだ。
「ノラン村の方ですか?」
ソフィアが話し掛けると、一番年長の男性、と言ってもソフィアよりも若そうだが、その男性がソフィアに頭を下げた。
「は、はい、そうです」
「大変な時に手を止めさせてごめんなさい。この火事の原因は?」
「か、かまどの火の粉が飼い葉に燃え移って」
「怪我人は?」
「おりません」
「不幸中の幸でした。ローズさんのおうちはどちらかしら?」
「ローズさんなら、今、中央の広場で」
「ありがとう。皆も気をつけて火消しをお願いします」
全員が頭を下げて見送ってくれた。子供でもしっかりしている。ソフィアに答えてくれたのは恐らくまだ15かそこらだ。一番下は10歳にもなっていないかもしれない。
ソフィアは馬を曳いたリサと共に火事現場を後にする。
「ソフィア姫」
「あの火事はかまどの火が飼い葉に燃え移ったそうで、怪我人は出ていないとのことでした。母は、中央の広場にいる、と」
「火事が付け火でなくて良かったですね」
「ええ。でも、母が広場にいるというのが気になります」
「そうですね。もしも戦になりそうなら、ソフィア姫を連れて一度村を離れさせていただきますから」
「お願いします」
リサの言葉に感謝しかない。
ソフィアはとことん足手まといだ。分かっていても、これはソフィアの蒔いた種かもしれないから、ソフィアはここへ来る必要があったのだ。
「何?! 女だからって剣は向けられない?!」
低く張りのある声が遠くまで聞こえてきた。低いが、明らかに女性の声だ。
「仕方ないだろ?! この村で一番剣が上手いのが私なんだから!」
村の中央には大きな井戸があり、その近くで座り込んでいる大柄な男と、その前に仁王立ちしている女と大柄な男、周囲をぐるりと男達が囲み、その外側から女達が囲んでいる。
中心にいる男達はソフィアの関係者だし、女性もきっとソフィアの関係者だ。しかし、ソフィアの予想は全て外れた。
ソフィアの予想では、まずやって来るのはウォーレンの侍従であるクリスか、あるいはウォーレンの部下の兵士、次点でワイズリー家のケントが来るかと思っていたのだ。少なくとも、ウォーレンが来るのはまだ先だと思っていた。第二王子の仕事はそう簡単に投げ出せるものではない。少し手伝っただけだが、ソフィアにもそれは理解出来た。
だが、井戸の近くで座り込んでいる大男はどう見てもウォーレンその人であり、女の横にいる男は、ソフィアの祖父、ノリス男爵だ。
先行でクリスが来るのなら、その護衛で祖父が来ることも考えた。祖父は今でも強い戦士だから、王子の護衛でもおかしくはない。だが、あの立ち位置はどう見ても護衛ではない。助けようともしていない。
「妙な仮面なんか付けてるから、簡単に落馬して馬にも見捨てられるんだよ!」
はすっぱな口調の女。
何度も肖像画を見た。画そのままの燃えるような赤毛。
信じたくはないが、あれがローズだろう。ローズは自分が叱り飛ばしている男が王族だと分かっているのだろうか。
……分かっているはずだ。自分の父親の口から、きちんと聞いたはずだ。
「ソフィア姫、あれって」
人の輪の更に後ろから様子を見ていたソフィアの背中を、リサが突つく。
「あの女性が恐らく、私の母のローズかと」
「隣の男の人は?」
「私の祖父、母の実父ですわ」
「じゃあ、あの縛られて座り込んでる男の人は」
「……私の婚約者です」
「え?」
「タルヴィティエ王国第二王子殿下、ウォーレン様です」
「ローズ様はウォーレン殿下をご存知ないのでしょうか」
「いえ、祖父から聞いているはずです。祖父は殿下の剣術指南役でしたから」
リサは貴族らしくなくて、表情がとても豊かだ。今はなかなかに形容しがたい表情をしている。ソフィアも、微笑み以外は浮かべないように訓練は受けたし、泣きべそをかくことは多いが、不快をあからさまに出さないようにはしている。が、今はきっとリサと同じような顔をしていると思う。
この状況がよく飲み込めない。
ウォーレンには、ミランダに嘘の相談をするように頼んだ。
『ソフィアが実母の所へ行ってしまった。婚約は破談になるかもしれない』
そんな相談をして、裏付けるために、ソフィアからミランダへ手紙も送って、ミランダの動きを監視する。怪しければ更に事情を聞いてもらい、出来るなら罪を認めて欲しいと思っていた。
プリシアを唆して借金させたこと。手紙を奪ったこと。
思えば、ミランダは最初からあまりにもソフィアに優しかった。それに甘えてしまった。
ソフィアからプリシアと顔を繋いで、ワイズリー家ごとソフィアとの縁談を潰すことで、ウォーレンの婚約者の椅子を空席にしようとしていたこと。それがミランダの願い。
そして恐らく、王族への発言権を見込んでウォーレンとの結婚を望んでいたことを。
ミランダはヘイリー公爵領地だけでなく、国を手に入れようとしていた。
これは国への、王家への反逆罪だ。